第4話「見えない恐怖」
夜が明け、少しずつ明るくなってきた森の奥深く。
俺は大の字になって草地の上に仰向けに寝転びながら、朝日を眺めていた。
(あ〜、お日さまってきれいだな〜)
いつもなら、気にも止めないそんな事を俺はしみじみと感じていた。
そりゃそうだ。昨夜、俺は死にかけた。
感傷的にもなる。
ネト率いる黒蜘蛛に殺されかけた俺は裏ワザ〔ステルスモード〕を発動して、命からがら逃げ出した。
と言っても、心臓と頸動脈をやられたのだ。
まともには動けない。
そこでこの〔ステルスモード〕に助けられた。
これは、名前の通り透明になる裏ワザなのだが、目に見えなくなるだけではない。
攻撃も当たらないし、音や足跡、匂いも消える。
俺の痕跡はすべて消せるのだ。
その代わり、こちらも相手に攻撃が当たらないし、物を掴むことも出来ない。
要するに、プレイヤーの存在自体が無いものとして扱われる状態。
これが〔ステルスモード〕。
ちなみに暗号は〔uw . stealth mode sh 005〕だ。
ステルスモードで、黒蜘蛛の前から姿を消した俺は、奴らから少しでも遠くへと、地を這いつくばって何とかここまで来た。
当然、突然に姿を消した俺を、黒蜘蛛は血眼になって探していた。
森一帯を捜索していたらしく、さっきまで俺の目の前を何度も奴らが通り過ぎた。
まるで、生きた心地がしなかったが、ステルスモードはしっかりと機能し、奴らに捕まることはなかった。
(それにしても、一撃目を受ける直前に〔ステルスモード〕を使ってれば無傷だったのにな‥‥。)
そう、ネトに心臓を刺される直前に使ったのは〔チュートリアルモード〕。
絶対死なないがダメージは受けるのだ。
もし、あの時に〔ステルスモード〕を使っていれば‥‥。
俺は後悔を禁じ得ないが、咄嗟のことだったので仕方なかった。
さて、奴らは他の任務でも入ったのか、ここ2時間ほどは見かけていない。
だが、未だに捜索を続けている可能性もあるので油断できない。
しかも、致命傷を受けた俺の心臓と頸動脈は、何にも治療できていない上、水分補給すら出来ていない。
なぜ生きているのか不思議だが、これが絶対死なないモードこと、〔チュートリアルモード〕の効力なのだろう。
一応、生きている。
とはいえ、やっぱり不安だったので、未だ一度もステルスモードはオフにしていない。
ただ、俺は一瞬だけステルスモードを解除する必要があった。
なぜなら、今俺の寝転がっているすぐ真下には薬草が生えているのだが、ステルスモードのままでは薬草を掴むことさえできないのだ。
今のままでは、安全な場所に行こうにも、心臓と首の傷が痛んでまともに動けない。
だから、俺はこの逃亡中、薬草を求めて這いずり回っていた。
そして、見つけてから一歩も動かず、奴らが諦めるのをひたすら待ち続けた。
キョロキョロと。
あたりを見回す。
(誰もいないよな‥‥。)
臆病に見えるかもしれない。
だが、死よりも辛い苦痛を味あわされた俺は、過剰なまでに奴らを恐れ、慎重になっていた。
(よし。今だ!!)
「〔uw . stealth mode zz 005〕」
俺はステルスモードを解除する暗号を唱えた。
瞬間、俺の存在が空間に現れる。
間髪入れず、俺は両の手に力を込め、薬草をむしり取ると、すぐに右手を首筋に、左手を心臓に持って行き、傷口に押し当てた。
(頼む!効いてくれ!)
俺は何かに縋るように傷口に擦り付けた。
薬草の使い方がこれで合っているのかさえ分からない。
ゲームなら『薬草を使用する』という選択肢を選ぶだけでよかった。
しかし、ゲームの中に入り込んだこの状況では、選択肢は出てこないのだ。
そして、襲ってくる恐怖。
ステルスモードのおかげで安心できていたのだ。
それを解除した今、いつ襲われるか分からない。
奴ら黒蜘蛛は暗部組織。
隠密のプロだ。
俺が気づいていないだけで、すぐ側にいるかもしれない。
奴らでなくても、魔物が現れるかもしれない。
こわい。怖い。恐い。
俺は見えない敵に怯え、心臓がギュッと締め付けられるように苦しくなる。
(まだ効かないのか?
やっぱり使い方が間違ってるのか??)
実際には薬草を傷口に当ててまだ3秒も経っていない。
だが、恐怖で感覚が狂ってしまっている俺は、もう随分と長い時間が経ったように感じ、不安になる。
不安はますます心臓を締め付け、その苦しみはネトから剣で刺された心臓の痛みを思い出させた。
(早く早くはやくはやくハヤクハヤクハヤク!!!
頼むからハヤク効いてくれ!!!)
時間と共に強まる胸の痛みに比例して、より強く手に力を込め、傷口に押しつける。
ふっ、と。
暖かいものが心臓と首から、ゆっくりと全身を巡り、じわじわと痛みが柔らかくなっていった。
(き、効いた?!)
俺は咄嗟に指先で傷口に触れた。
すると、確かにゆっくりと傷が塞がっていくのが分かった。
(はあぁ、よかった。)
流石に全快とまではいかなかったが、随分と楽になった気がする。
俺はすぐに唱えた。
「〔uw . stealth mode sh 005〕」
スッと、俺の体が消えた。
ホッとした。
その瞬間、思わず涙が溢れた。
「ははっ。ダッセェ。」
ステルスモードは、今の俺が唯一安心できる安全地帯だった。
夢にまで見た異世界転生。
思いがけないことだった。
しかし、その出発は苦痛に満ちた苦いものとなってしまった。
しかし、俺は恐怖にばかりに気を取られ、気づいていなかった。
“痛みなくして、得るものなし”という言葉があるが、この時、俺は確かに痛みと引き換えに、今後の異世界人生を大きく助けるものを手に入れていたのだ。
実はステルスモードをオフにした瞬間、視界の端に小さな文字でこう表示されていた。
《称号:【生還者】を獲得しました。》
つづく
※今日は19時にもう1話更新する予定です。よろしくお願いします。