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海東亜樹

 その日は例のクソサラリーマンの他、酔っぱらい同士の喧嘩や閉店後の飲食店荒らし等、計三件の事件や騒動を片付けた。今まではあまり意識していなかったが、こうやってヒーローの立場になってみると来田街は事件が多い。怪しい飲み屋が多いから治安はよくないだろうとは思っていたが想像以上だ。


 結局その日は疲れ果て、午前4時を過ぎたあたりでマンションへ戻ると同時にベッドへ飛び込み眠りについた。「シャワー浴びなさいよ」と木場は腕を引っ張ってきたが、起きるどころか耳を貸す気も起きなかった。


 翌日。起きて枕元のスマホを見てみれば、昼の12時近い時間だった。未だ気怠さが残る身体をなんとか引きずりベッドから降りようとしたが無理だ。ハナクソほじる気力すらない。


 もう少し寝ていようと決意し、頭から布団を被り直したところ、「はいはい起きてー」とここでは聞こえるはずのない声が聞こえてきた。まさかと思い掛け布団を蹴飛ばし上半身を起こせば、寝室の入り口には亜樹がいる。どうしてアイツがここにいるんだ。


「おはよ、レンちゃん。そんな目ぇ丸くしちゃってどしたの?」


 どうしたのはこっちのセリフである。まさか不法侵入か? 


 亜樹は「早くしなよ」と残して寝室を去っていく。その後を追い慌ててリビングへ向かってみれば、木場は何食わぬ顔をしてコーヒーをすすっている。


「……おい、木場。どうして亜樹がここにいるんだ」

「バットガールが街で活動してるって聞きつけて、不安になってアンタに電話したのに出てくれないから、居ても立っても居られなくなってここに来たんだって」


 説明の最後に木場が「妬けるわね」とわざとらしく付け加えたところで、亜樹がのんびりと俺の背を押した。


「ほらレンちゃん。早くシャワー浴びてきちゃいなよ。それからご飯。レンちゃんの好きなナポリタン作ったからね」


 こうやって勢いで圧されると、俺は亜樹には逆らえないように出来ている。言われるがまま風呂場へと向かった俺は、いつものように目隠しをした状態でさらりとシャワーだけ済ませた。


 部屋着に着替えてリビングへ戻れば、木場と亜樹はソファーにふたり並んで腰かけ、テレビを眺めながら仲良さそうに喋っている。木場と喋っている時、俺は鏡に話しかけているような気分になってなんとなく落ち着かないが、こうして亜樹と仲良さげに話している木場を見ていると、また別種の落ち着かなさを覚える。自分の居場所を進行形で奪われている……まではいかないにせよ、それに近い何かを感じているのかもしれない。


 元の身体への恋しさを覚えつつ、亜樹が作ったナポリタンをもそもそと食っていると、ふたりの会話が耳に入ってくる。 


「ねえ、たつきちゃん。そういえば、レンちゃんの活躍はどうだった?」

「ん。悪くなかったわよ。まあ、本物のわたしには到底敵わないレベルではあるけど」

「よかったぁ。いやいや、ご迷惑おかけしてないようで何よりです」


 そのまま「ウチの息子がすいません」なんて言いかねない調子で頭を下げた亜樹は、続けてこちらに話を振る。


「レンちゃんはどうだった? 楽しかった?」

「楽しいとかそういうもんでもねえだろ。疲れたよ」

「でも、楽しかったんでしょ?」

「だから、疲れただけだって」

「また強がっちゃって。顔見ればわかるんだよ?」


 理由はわからないが、今日の亜樹はいつもより三割増しでテンションが高い。本当に同じ言語を使っているのかと疑うほど話にならんのはそのせいかもしれない。


 俺たちの不毛な会話を聞いて、木場がクスクスと笑った。


「ふたりって、会話のテンポがずいぶん違う感じがするけど、どうやって知り合ったの?」

「知り合った……っていうより、〝拾った〟って言った方が近いかも」

「……亜樹、その話は――」

「いいじゃない。減るものじゃないんだし」と遮った亜樹はのんびりと語りだす。


「アタシがまだ来田街のキャバクラで働いてた時の話なんだけどね。レンちゃん、アタシがちょっと困ったお客さんにお店の外で絡まれてるところを助けてくれたの!」

「へえ。少女漫画みたいというか、ちょっと運命的じゃない?」

「でしょ? でも、カッコよかったのはここまで。レンちゃん、アタシを助けたあと倒れちゃって。どうしたのって聞いたら、『腹減った』なんて言ってさ。トキメキ返してってカンジで」

「それ、サイアク。アンタ、乙女心とかわからないわけ?」

「……賞味期限切れのキャラメル一箱で三日過せば、誰だってぶっ倒れるだろ」


 俺の言い訳を他所に亜樹の話は続く。


「それで、それがきっかけでなんとなくウチに居付くようになって、無職じゃ困るからアタシの紹介でお店のボーイとして働くようになって、アタシがお店辞めて独立するって時についてきてくれて、いまに至るってカンジです」

「ふーん。でも、そんな関係なのに付き合ってないんでしょ? 付き合っちゃえばいいのに」


 木場の提案に亜樹は腹の底から声をあげてからりと笑った。


「ムリムリ! レンちゃん、甲斐性ないし」

「言えてる、それ」


 亜樹の奴、言わせておけば好き放題に言いやがる。このまま放っておいたらどんなことを言いだすのかわからない恐怖がある。俺はナポリタンをコーヒーで流し込むと、「そろそろ店の準備の時間じゃないのか」と亜樹に帰るよう促した。


「はいはい、わかってます。もう帰るよ。結構長居しちゃったし」


 意味ありげにニヤニヤしながらソファーから立った亜樹は思い出したように「あ」と声を上げると、木場へ笑顔を向けた。


「ねえ、たつきちゃん。また遊びに来ていいかな? こうしてご飯作ってあげられるし、なによりレンちゃんがご迷惑かけてないか心配だし」

「もちろん。こうやって美味しいもの作ってもらえるならいつでも大歓迎」

「よかった」


 安堵したように息をついた亜樹は、「じゃね〜」と能天気に手を振ってリビングから出て行く。これでようやく落ち着ける――などと思った矢先、木場がテレビを眺めたまま「ねえ」と呼びかけてきた。


「外まで送ってあげなさいよ。亜樹さん、アンタを心配してここまで来たのよ」

「いいだろ別に。アイツだってガキじゃねえんだ」

「いいから行きなさい。それとも、今日からわたしもアンタのこと〝レンちゃん〟って呼んであげよっか?」


 ……覚えとけ。今度この身体でマックのポテトを目一杯食ってやるからな。


 恨み節を奥歯で噛み締めた俺は、黙って亜樹の後を追った。



 玄関を出ると、廊下を歩く亜樹の背中が見えた。「おぅい」と呼びかけながら駆け寄ると、意外そうな表情を浮かべてこちらを振り返った亜樹が「送ってくれるの?」と首をかしげる。


「木場が送れってうるさいんだよ」

「ひょっとしてアタシたち、たつきちゃんになんか勘違いされてる?」

「かもな」


 ふたり並んで廊下を歩きだす。とくに話すこともないが、いまさらお互いに沈黙が気まずい関係性でもない。エレベーターロビーまでやってきて、呼び出しボタンを押したタイミングで、亜樹がなんの前触れもなく「ごめんね」とつぶやいた。


「なんだよ、急に」

「アタシね、本当はレンちゃんを言い訳に使ってここまで来たんだ」

「どういうことだ?」


 亜樹は言いにくそうに言葉を吐き出した。


「……アタシに妹がいたって話、したことあるよね」


 妹の話は出会ったばかりのころに聞いたことがある。


 亜樹には3歳歳の離れた妹がいた。〝いた〟と過去形なのには理由があって、亜樹の妹は7年前に亡くなっているらしい。あまり踏み入るような話題ではないと思ったので、詳しい話までは聞いていない。


「ああ、なんとなく聞いてたな」となるべく感情が揺れないようにぼかして答えれば、それを受けた亜樹はさらに続けた。


「たつきちゃんね、アタシの妹にそっくりなの。顔とかは全然似てないんだけど、雰囲気とか、話し方とか。だから、なんとなく懐かしくって、会いたくなっちゃって……だから、ここに来たの」


 足元に視線を落としながら静かに言葉をつむいでいった亜樹は、最後に「ごめんね」と重々しく吐き出した。


 亜樹の行動のどこに罪悪感を覚える必要があるのか、俺にはわからない。きっと、俺をダシに使ったというたったそれだけのことでさえ、亜樹は辛いのかもしれない。潔癖で、それでいて繊細だ。それが亜樹の美点ではあるが。


「……亜樹。俺でよければ、いくらでも言い訳に使え。でも、アイツだったらたぶん、言い訳なんてしなくたって会ってくれると思うぞ」

「……うん。ありがと」


 その時、エレベーターが到着して音もなく扉が開いた。箱の中へと踏み出した亜樹は、無理に口角を上げていつもの笑顔を作る。


「じゃあね、レンちゃん。今度は夏野菜たっぷり入ったカレー作ってきてあげる!」


 俺はエレベーターの扉が完全に閉まるまで、亜樹の背中を手を振って見送った。

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