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8/27

はじめての夜

 8月の夜はため息が出るくらいに暑い。とても外に出て運動するような気候じゃないが、ヒーローとして活動する以上そういうわけにもいかない。


 時刻は午後の十時を過ぎたころ。俺はタオルで目隠しをされながら、木場の助けを借りてバットガールの衣装に着替えた。曰く、ナイフも通さない強度の繊維を使用しているとのことだが、着心地は想定していた以上に軽く、心もとなさすら感じるほどだ。


「ほら、目隠し取っていいわよ」


 言われて、頭に巻き付けられていたタオルをはぎ取れば、眼前の姿見にはすっかり変わり果てた俺の姿が映っていた。


 コウモリを意識したと思わしき全体的に黒を基調とした衣装。闇夜に溶け込むためにこんな恰好なのかと思いきや、ショッキングピンクのハートマークがところどころあしらわれているせいで、暗いとこに立っていると却って悪目立ちしそうである。他の奴が着ているのを見るのはなんともないのに、自分で着ると異様に恥ずかしい。


 腰のベルトには折り畳み式の特殊警棒が二本。バックルからはワイヤーが射出されるようになっていて、高所から降りる際にはこれを使うのだという。


「どうよ。ヒーローになった感想は」

「これが俺か、ってカンジ」

「いいじゃない、世界一似合ってるわよ。まあ、わたしの身体が着てるんだから当然なんだけど」

「それが言いたかっただけだろ」


 支度を終えた後は木場に連れられるまま部屋を出て、マンションの地下にある駐車場へ。そこへ停めてあったネズミ色の地味なバンの運転席に乗り込んだ木場は、「後ろに乗って」と俺に指示した。中に乗り込んでみれば、壁面にはモニターが四台にキーボードがふたつ。まるで秘密基地か何かだ。


「なんだよ、これ」

「ヒーロー特権、ってヤツかしら。各種データベースにアクセスできる他、来田街に仕掛けられてる監視カメラがそこから見れるようになってるの。その映像とわたしの聴力のふたつを使って、事件が起きていないか監視するってわけ」


 マイク付きの無線イヤホンをこちらに投げ渡した木場は、「それつけて」と言いながらエンジンをかけて車をスタートさせた。


「さあ、ヒーローの時間よ。〝バットガール〟」





 時刻は深夜十二時を回ったころ。来田街の中心地にある『欧豆ビル』という背の高いビルの屋上に立つ俺は、街を見下ろしながら事件が起きるのを待っていた。


 ヒーローなんてのは基本的には手遅れの仕事だ。動くのは必ず事件が起きた〝後〟。それでも、存在することそれ自体に意味があるんだろう……たぶん。


 来田街には様々な音がひしめき合っている。カラオケ店から漏れ聞こえる歌、キャバ嬢が客に高い酒をねだる声、品のないキャッチの呼び声、苦しそうなうめき声に続けて聞こえてきた、びしゃびしゃと液体のような何かがコンクリートに跳ねる音は……誰かが道端で吐いたな、こりゃ。


 聞こえてくるのはたいていロクでもない音ばかりだ。昼間はもうちょっとマシなんだけどな、なんて思ったところで、右耳につけていたイヤホンから車の中で待機している木場の深いため息が聞こえてきた。


「どうした、ため息なんて」

『……ミラーに映った自分の姿を見てイヤになったの。イロイロ服を買ってみたけど、なーんかどれもアンタの身体にしっくりこないのよね』


 こんな時にする会話かよとは思ったが、こちらをリラックスさせようと気を使っているんだろうと思えば強くは言えない。


「人の身体を着せ替え人形みたいにして楽しむんじゃねえよ」

『いいじゃない。それくらいしか楽しみがないんだから。アンタも、着たいものあるなら着てもいいわよ。いっつもジャージばっかでしょ?』

「俺はジャージでいいんだよ。どうせ家から出ないんだから」

『あっそ。じゃ、こっちは勝手にさせてもーらおっと』


 その時、雑多な街の音の中に混じって悲鳴のような声が聞こえてきた。距離は遠い。音の響き方から考えるに恐らく、どこか建物の中――。


「木場、十時の方向から悲鳴が聞こえた。たぶん建物の中だ。調べてくれ。俺は先に音の方に向かってみる」

『了解。無茶しないでね』

「ヒーローなんて無茶するのが仕事だろ?」


 欧豆ビルの屋上から隣のビルへ、さらに隣のビルへと次々に飛び移っていく。自分の身体が躍動する音に混じってまた悲鳴が聞こえた。焦る心に身体が追い付かない。もどかしい。


 イヤホンから木場の指示が聞こえる。


『そっから100m先の雑居ビル3階、『亀山ローン』って会社のフロア。急いで』


 血液が全身を駆けるのを感じた。踏み出す足に力が入る。


 やがて、『亀山ローン』が入居しているビルを見つけた。ブラインドが下げられた窓からは光が漏れており、ごそごそと人の動く音も聞こえてくる。


 目をつぶれば音が輪郭を形成し人の姿が〝見える〟。ソファーの上に男女がふたり。男が女に覆い被さるような形。消え入るような「やめてください」というか細い声。


 どうしようもないクソ野郎もいたもんだ。つまりは鉄拳制裁の時間だ。


「……木場、見つけたぞ。犯人をぶっ飛ばしてくる」

『ええ。思いっきりやってやんなさい。遠慮はいらないわ』


 お許しを得ると同時にベルトに装着された特殊警棒を引き抜いた俺は、大きく振りかぶって窓に目掛けて投げつける。窓に僅かにヒビが入ったのを見た俺は固く目をつぶり――反対側のビルの屋上から『亀山ローン』を目掛けて跳躍した。


 窓が破れ、ブラインドが千切れる。部屋への突入を成功させた俺は勢いそのまま走り出す。


「な、なんだっ?!」


 男がソファーから身体を起こした。身長は180cm前後、体格はやや太め。虚を突いて、一瞬で決めろ。


 オフィスデスクやコピー機を飛び越え、最短距離で男に接近し――。


「よう、悪人」

「ば、バットガ――」


 顎を目がけて膝を振り上げ――一閃。すかさずこめかみへ追撃の肘。意識を失った奴の身体は糸が切れた人形のように床へ倒れていく。


 決着。涙目の女がはだけたシャツを直しながら、動かない男と突然の乱入者である俺を交互に見ている。


『お疲れ様。警察はこっちで呼んでおくから、アンタは出てっていいわよ』


「そうか」と答えた俺は割れた窓に向けて歩き出す。そんな俺の背中に「あの!」という震えた声が追いすがった。


「ば、バットガール! その……ありがとう! カッコよかった!」


 礼も誉め言葉もこそばゆい。黙って窓から外へ出ようとすると、木場が「ちょっと」と呆れたように言った。


『手を振るくらいしてよ。ヒーローなんだから』


 仕方なく指示に従って軽く手を振ると、途端に顔へと血液が集中するのがわかった。


 ああ、クソ。やっぱりやらなきゃよかった。

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