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特訓と実践

 翌日からヒーローになるための訓練が本格的に始まった。木場との一対一の組み手に終始するそれは、男の身体を失った俺にとって相当厳しいものだった。


 まず、リーチの差で攻撃が届かない。届いたとしても女の筋力じゃ通じない。躱すことに徹してもスタミナの差でいずれ捕まる。とんだ三重苦だ。まともにやったら百回中百回負けるだろう。


「――そこで、この異常聴覚が活きてくるわけ。相対する相手の音に耳を澄ませて。動作の瞬間、筋肉が収縮して間接が軋み、風が揺らぐ音を聞いて。予備動作の前段階から相手の動きがわかれば、躱すのはもちろんそこに合わせてカウンターを当てることだって簡単なはずよ」


 数えきれない音の中から敵の音だけを聞いて、それを頼りに戦えってことか。自分ができたからって簡単に言ってくれるな。とはいえ、泣き言は言っていられない。やると決めたんだからやる、それだけだ。


 一日目はボコボコにやられるだけで終わった。雑多に混じる音の中から木場の音だけを聞き分けるなんて、到底できそうになかった。


 二日目にはなんとかそれらしき音を聞き分けられるようにはなったが、それを頼りに動きを予測するというのが困難で、結果は一日目と同じ。

見えているものに惑わされているせいだろうかと思い、苦し紛れに目をつぶって戦ってみたのが三日目の昼ごろ。当然こんな手がうまくいくわけもなく、鼻に一撃喰らって鼻血が出てきたところで休憩となった。


 今日の昼飯はハンバーガーとサラダにスープ。太るというシンプルな理由でポテトは食わせてもらえない。思えば、この身体になってからというもの脂っぽいものを一度も口にしていない。久しぶりに唐揚げが食いたい、トンカツが食いたい、ポテチの一枚でもいいから食いたい。


 油まみれの煩悩に塗れつつ無心でブロッコリーをかじっていると、ふと玄関扉の開く音が聞こえてきた。「葵かしら」と対面に座る木場は言ったが、廊下を歩いて来るのは聞き覚えのない足音だ。


「違うみたいだぞ」と答えた俺は席を立って拳を構える。


「不審者じゃねえのか。バットガールのストーカーとか」

「そんなわけ……いえ、ちょっと待って。まさか――」


 その時、リビングの扉が開いて上下スーツを着込んだ細面の男が大股で踏み入ってきた。いかにも神経質そうなその瞳は俺と木場を交互に刺している。


「急に仕事をキャンセルしたと聞いてまさかと思ったが……男を連れ込んでいたとはね。さすがの私も想定外だよ、たつきくん」


 刺々しい物言いはカチンとくるものがある。俺は拳を固めながら、木場に小声で「誰だ、コイツ」と訊ねた。


「……わたしの事務所の山羽社長。面倒な相手よ。わたしに合わせて」


 そう言い残した木場は早足で山羽に歩み寄ると――。


「あらぁ、イイ男。あなた、どちら様?」


 などと、気色の悪い言葉遣いをしながら山羽の薄い肩をそっと撫でた。何やってんだ、木場のヤツは。


 困惑したのは俺だけでなく山羽も同様のようで、ヤツは俺に助けを乞うような目を向けてくる。


「……たつきくん、なんだこの男は」

「いや、その、これは……」

「イヤねえ! 友達よ、ト・モ・ダ・チ♡ アイドルに手ぇ出す男に見えるぅ?」


 すっかり〝夜の人間〟になり切った木場は陽気なステップで山羽の周囲をくるくると回る。人の身体だと思って好き放題やりやがって。でも、ここまでくるともう引き返せない。俺は木場の話にノリを合わせる。


「そ、そう。友達ですよ、社長。その……中学の時の友達で、たまたま道端で会って、それで」

「ちょっとたつきぃ! 自己紹介は自分でするから、この人の紹介しなさいよ! なにこの人? アンタのマネージャーとかなのぉ?」


 木場は値踏みするような視線を山羽に向けながら、人差し指で奴の胸を何度も小突いた。


 身の危険を感じたのだろうか。山羽はやや上擦らせた声で「失礼する」と言い残してリビングを出ていく。そのまま帰るのかと思いきや、奴は玄関扉を開けて逃亡の準備を万全にしたところで、負け惜しみ的な台詞を吐いてきた。


「たつきくん。聞くところによるとヒーロー活動の方もおろそかになっているようじゃないか。ちょうどいい機会だ。本格的にタレントへの転身も考えておくといい……それと、友達は選びたまえ」


 急ぎ足で廊下を逃げていく足音が聞こえてくる。ひとまず安心といったところだろう。


〝夜の人間〟の演技をやめた木場は気怠そうにソファーへ身を投げ出し、どこまでも深いため息を吐いた。


「なによアイツ、偉そうにしちゃって」

「実際にお前よりも偉いんだから仕方ねえだろ」


 食卓に着いた俺は再度ブロッコリーを食べる作業に戻りながら木場と話す。


「ていうかそもそも、お前みたいにそこそこ真面目に現役ヒーローやってる奴が、どうして芸能事務所になんて入ってんだよ。あんなのに入らなくてもヒーロー活動ならいくらだって出来るだろ」

「事務所に入っておけば、ヒーロー活動に邪魔なタレント紛いの仕事のオファーや取材は全部『事務所を通してください』って魔法の言葉で弾けるからね。イロイロ楽だと思ったの」

「……雑誌のグラビアにテレビ出演。どう見ても事務所の所属が足枷になってるように見えるけどな」

「最初はうまくいってたの! なんか面倒な仕事が増えたのはここ数ヶ月の話なのよ!」


 木場は恨みがましくソファーに幾度と拳を叩きつける。


「あのアホアホ社長、わたしが『イヤだ』って言ってる仕事を強制的に入れてくるのよ。わたしをアイドルかなにかだと思ってるわけ? パワハラよ、パワハラ。訴えたら勝てるわ」

「だったら事務所なんてやめちまえよ。この調子じゃそのうち、俳優デビューでもさせられるぞ」

「元からそのつもり。次の契約更改では絶対にやめてやるわ」


 際限なく溢れる苛立ちを少しでも発散させようとしたのか、木場は「バァァァカ!」と天井に向けて目一杯叫んだ。高級マンションならではのストレス発散方法は、羨ましいとしか言いようがない。





 異常聴覚を十分に活かし、木場と同等に戦えるようになったのは特訓開始から五日目のことだった。木場は俺に殴られた顔面をどこか満足げに撫でながら、「合格よ」と言った。


「でも、驚いたわ。まさか五日でここまで戦えるようになるなんて」

「あと一週間も貰えれば、お前以上に戦えるようになってやるよ」

「バカ言わないで。無理に決まってるでしょ」と笑った木場は汗に光る額をタオルで拭う。


「今日の夜は〝実践〟よ。真黒には、実際にバットガールとして活動してもらう」

「実践、か……」

「あら、不服? それとも、やっぱりヒーローはイヤ?」

「やるよ。一度決めたことだからな」


「それならよかった」とほほ笑んだ木場は、こちらにスポーツドリンクの入ったペットボトルを手渡してきた。


「真黒。アンタなら平気よ。このわたしが保証するんだから間違いない」

「……嬉しいね。現役ヒーローのお墨付きか」

「ええ。だから自信持ちなさい」


 俺はスポーツドリンクで喉を潤しながら自答する。


 今日の夜から、俺はヒーローとして活動する。遠い昔にヒーローにあこがれをもった俺なんかにしてみれば、〝身体が女になる〟と同じレベルで現実離れした現実だ。正直に言えば実感が湧かない。

やれんのか、俺なんかに。


 ……とはいえ、ここまできたらやるしかないんだろうな、俺なんかでも。

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