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理由

 音は絶えず鳴り響いて、俺の全身をひたすら揺さぶり続けた。経験したことのない現象に身体は拒絶反応を起こし、毛穴という毛穴から汗が滲み出てくる。指一本を動かすことすら億劫だ。頭がどうにかなればどれだけ楽だろうかと思ったが、人間はそう簡単には壊れないようにできているらしい。崩れない正気の中でじっと動かず、狂気的な音にひたすらさらされていると、ひとつの思いにぶち当たった。


 この異常聴覚を木場は生まれつきだと言っていた。つまりアイツは生まれたときからこんな世界で生きてきたということだろう。だとすりゃ、アイツの生きてきた世界はとんだ生き地獄だ。想像するのすら嫌になる。


 しばらく経って、音にもだいぶ慣れてきた。というよりも、『音を聞かないようにすることができるようになった』、というのが正しい。木場の身体に俺の精神が馴染んできたおかげだろうか。もし俺の身体に同じ苦痛が与えられたら、とっくにぶっ壊れていたと思う。


 目を開けてみれば部屋は暗い。這うようにして立ち上がって窓に歩み寄ってみれば、外は既に夜だ。いったいどれだけこうしていたのだろうか。


 汗で全身がじっとりとする。ゆっくりと風呂に浸かりたいが、そんなことしたらどうせまたアイツはガタガタ騒ぐだろう。風呂の代わりにしばらく夜風に当たっていると、背後に人の足音がした。


「驚いたわね。丸一日ぶっつぶれたままだと思ってたのに」という声は木場のものである。

「根性だけは人一倍でな」と返した俺はベランダに出て手すりに背を預ける。「不良女。お前、生まれつきって言ってたけど、ずっとこんな音の中で生きてきたのかよ」

「だから、不良じゃなくて蝙蝠……というか、名前で呼びなさいよ」

「そっちも、『アンタ』じゃなくて名前で呼べよな、木場」

「わかったわよ、真黒」


「呼び捨てかよ」とぼやくと、木場はどこか楽しそうに笑った。


「真黒、音が聞こえるって想像以上にツライでしょ?」

「……だな。お前の頭がおかしくならないのが不思議なくらいだよ」

「もしかしたら、とっくにおかしくなってるのかもよ?」


 冗談っぽく言った木場はさらに続けた。


「騒音がキツいのはもちろん、聞きたくもない陰口が聞こえてくることだってある。精神がぐちゃぐちゃになって、なんにも信じられなくなった時期もあった。そんな時に、お母さんが言ってくれたの。その力を持って生まれたのには、なにか理由があるはずだって」

「それで、ヒーローになったってか」

「そ。こんな力を活かせる仕事なんて、ヒーローかスパイか探偵くらいでしょ」

「……俺だったらスパイか探偵になるね」

「そう言うと思った」


 ベランダに出てきた木場は俺の隣に並び立った。


「ねえ、真黒。アンタ、ヒーロー嫌いでしょ?」

「キライだね、大っキライだ。よくわかったな」

「そういう人、わりと近くにいるからね。見ればわかる。アンタと違って真正直にそう言ってはくれないけど」

「信用できないヤツだな。嫌いなら嫌いって、素直に言ってくれるヤツの方が却って付き合いが長くなるもんだぞ」


 どこか嬉しそうな表情で「そうね」と返した木場は、ゆらりと歩いて部屋を出て行った。


「ついてきて、真黒」

「また修行っていうんじゃないだろうな」

「違うに決まってるでしょ」と木場は笑った。


「お風呂の時間よ。わたしの身体が汗臭いのはイヤだから」



 風呂とは、基本的にひとりで入るものだ。誰にも邪魔されず、平穏な時間を過ごせる空間であるべきだ。肩まで湯に浸かり、時には鼻歌なんか歌ってみたりして、一日の疲れを存分に癒すべきだ。


 だから……風呂とは、決して目隠しと耳栓をされた状態で入るべきところではない。


 そう。俺は現在、視覚を封じられた状態で風呂に入れられている。脱衣所では監視役の木場が睨みを利かせており、下手なことをしたら頭を湯船に突っ込まれそうな感じすらあり、これではまったく落ち着けない。


 リラックスできないまましばらく風呂に浸かっていると、ふいに「出なさい」と指示された。なんだと思いつつ湯船から出て、「ここへ座りなさい」と指示されるまま浴室に置いてある座椅子に腰を下ろすと、なんの前触れもなく頭に勢いよくシャワーが当てられた。


 突然のことに驚いた俺は思わず横に身をかわし、その拍子に豪快に転んだ。しかし木場は冷静なもので、「はい動かないで」と呆れながら俺の身体を起こして座らせる。

「動くだろ、そりゃ。こっちは急に水かけられてんだぞ。心の準備ってもんを考えろ」

「意外と繊細なこと言ってんじゃないわよ。我慢して」

「俺が繊細なわけじゃねえ。お前の家のシャワーの勢いが強すぎんだ。あと、やけに水滴が細かい」

「細かいのはアンタよ。ほら、じっとして、動かない」


 腹立たしいが、こんなくだらないことで喧嘩しても仕方がないと諦めを受け入れた直後、湯が頭に掛けられた。


 長い髪が水分を吸ってぐんと重くなる。座っているだけで首が凝りそうな重みだ。やがてシャワーが止められて、頭にごわついた指の感触が触れ、シャンプーの甘い香りがふわりと漂ってきた。

木場は太い指を繊細に使い、マッサージするよう丁寧に髪へシャンプーを浸透させていく。ワシャワシャグシャーとかき混ぜるように洗ってハイ終わりの俺とはエラい違いだ。さすが芸能関係の仕事もしてるだけあって、普段から髪の扱いにはかなり気を使っているんだろう。


 丸裸ではあるが、床屋に来たような心地良さを感じる。そこに先ほどまでの訓練の疲れがどっと押し寄せてきて、思わず眠気を催してきたその時、野太い声で紡がれるメロディーが耳をくすぐった。木場の鼻歌だった。ずいぶん機嫌がいいなとか、なんでアメリカ国歌を歌ってるんだとか、いろいろ言いたいことはあるが何より――。


「……なあ、木場」

「なによ。痒いところでもあるの?」

「いや……お前、意外と音痴なのな」


 無言で落とされた肘鉄に、俺はただただ悶絶した。

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