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バットガールの身体

 それから俺は木場に連れられる形で『ビッグショッカー』を後にし、そのまま木場の住むマンションへと直行した。曰く、ヒーローになるに当たっての特訓を行うには木場の部屋が一番とのことである。


 特訓というのがどんなものだか想像つかないが、かわいい決めポーズとかサインの練習をしろって話だったら速攻で断って帰ってやろうと思う。


 エレベーターに乗り込んでマンション最上階へ。指紋認証で開く玄関扉から部屋へ入る。朝は慌てていたからよく見る暇もなかったが、この家はデカい。


 まず玄関からして意味不明だ。一人暮らしのはずなのに、二十足は余裕で靴が入るほど下駄箱がデカい。

玄関から廊下を真っ直ぐに行けばリビングダイニングへ。無論ここも無駄に広く、ベッドみたいに広いソファーやテーブル、テレビの他、卓球台まで設置してある。誰が遊ぶんだよ、あんなの。


 リビングへ向かう道中の廊下にはいくつか扉が並んでいて、それぞれトイレ、風呂、脱衣室、洋服が無駄に置いてある姿見のある部屋(木場曰くメイク室)に繋がっている。


 ここまでに挙げた以外にも、シアタールームや来客用の寝室など多くの部屋があるが、圧巻だったのはなんといってもトレーニングルームだ。


 太陽の光が存分に差し込む大きな窓を備えた二十畳ばかりある広い部屋で、床は薄いカーペット張り。サンドバッグやダンベルといった器具が一通り備えられており、身体を鍛えるには申しぶん無さそうに見える。かわいいポーズを練習するための部屋ではなさそうで何よりだが、経済格差に泣けてくる。


「なかなか立派な施設だな」と負け惜しみ気味に言えば、木場は「当たり前でしょ」と胸を張った。

「ヒーローっていうのは身体が資本。常日頃から鍛えておかないといけないの」


 一通り部屋を案内された後、木場はいつの間にかその手に持っていたタオルを俺の顔面に巻き始める。柔軟剤の香りに包まれながら「なにすんだ」と問えば、「トイレ行きたいんでしょ?」と返ってきた。


「わたしだって鬼じゃない。そもそも漏らされたら困るし。だからこの目隠しをつけるのと、なにも見ないのはもちろん、なにも聞かないでなにも嗅がないでなにも感じないのが条件よ。出来る?」


 見ない聞かない嗅がないはともかく、感じないなんて出来るわけねえだろ。なんて言ったら本気でトイレ禁止令を食らいそうなので、俺は素直に「わかった」と答えてトイレに入った――瞬間に背後から腕を引かれ、「待った」が掛けられる。


「……今度はなんだ」

「信用できない。扉を開けてやって。済んだら右手挙げて。わたしが拭くから」


 とんだ変態にプレイを強要されている気分になりつつ黙ってうなずいた俺は、便座に腰掛けてなんとかに〝用事〟を済ませた。



 時刻は午前十一時を過ぎたあたり。目隠しされたままジャージに着替えさせられた俺は、木場に指示されるままトレーニングルームで柔軟体操をしていた。女の身体というのは怖いくらいに柔らかい。前屈をした際はあんまりにも曲がるものだから、腰の骨が砕けたのかと勘違いしたほどだ。


 身体が軽く汗をかき始めたところで、腕を組みながら部屋の壁に背を預ける木場がこちらに声をかけてきた。


「これからアンタに教えるのは、バットガールとして最低限の戦い方。遅くとも一週間後までには覚えてもらうから、スパルタでいくわよ」

「戦い方なんて教えてもらわなくたって知ってるっての」

「話聞いてた? アンタに教えるのはバットガールとしての戦い方。アンタが知ってるのは喧嘩のやり方。根本的に違うのよ」

「ヒーローなんて街の迷惑者相手がほとんどだろ? 喧嘩の方法知ってりゃ十分じゃねえのか」

「じゃあ、試してみる? 来なさい。軽く捻ってあげるから」

「いいのか? 痛むのは俺の身体だけど、痛いのはお前だぞ」

「そういうのいいから。ホラ」


 軽く拳を握って構えた木場は挑発するように微笑んだ。いいぜ、やってやる。相手が女の身体じゃないなら存分に叩ける。


 先手必勝。駆け出した俺は勢いをつけて肘を突き出す。それは正確に木場の身体の正中線へ刺さったが――奴は何事もなかったかのように腕を伸ばして俺の襟元を掴む。


 まずい――と思うより先に床に組み伏せられる。文句のつけようのない完敗だった。


「アンタの身体の身長は185cm、体重は82kg。筋肉質のいい身体つきよ。対するわたしの身体の身長は161cm、体重は……まあ、いいとして。とにかく、体格差のある相手に雑な打撃は効かないし、こうして簡単に組み伏せられるの。いくらアンタが喧嘩得意だとしてもね」


 説明しながら立ち上がった木場は再び壁に背を預けた。肘による一撃を受けてまったくの無傷ではなかったらしく、その表情は口元が僅かに歪んでいる。


「さ、これでわかったでしょ? わたしの身体に入っている以上、今までのアンタのやり方じゃ誰も守れない」

「だったら、どうすりゃいいんだよ」

「わたしの耳にイヤリングが付いてるはずよ。それを取りなさい」


 耳たぶに手を当ててみれば、小さな星形のイヤリングがついていることに気が付いた。言われた通りにそれを外してみたその瞬間――爆発的な音が激しく鼓膜を揺さぶった。


 血液が流れる音――心臓が鼓動する音――関節が小さく軋む音――人が、生きている音。


 耳の中に高性能の集音器が取り付けられたような感覚。頭がずきずきと痛む。胃の中のものを全部吐きそうだ。


「……なんだ……こりゃ」

「異常聴覚。生まれつきなの。ここは完全防音だから、わたしとアンタの身体の音しか聞こえない。まずはそれに慣れて」


 木場はどこか得意げに語る。


「人間の身体って結構うるさいものでしょ? でも、そのおかげで相対した相手の動きが目で見るより手に取るようにわかるの。普段はノイズキャンセラーが手放せないから不便だけど、ヒーローやる時には結構便利よ」


〝特訓〟という言葉の意味がようやく理解できた。たしかに、こんな能力を使いこなすなら特訓が必要になる。


 とはいえ、この程度なら爆音で音楽を聴いているのと同じだ。ひとつ頬を叩いて気合を入れ、なんとか立ち上がった俺は精一杯の余裕の笑みを浮かべてみせた。


「もう慣れた。次だ」

「なかなかやるじゃない。少なくとも一時間は動けないかと思ってたけど」


 意外そうに言った木場は近くの窓に手をかけ、思い切り開け放つ。


 瞬間、鼓膜を揺らす轟音。車のエンジン音、人の話し声、蝉の鳴く声、風が木々を揺らす音。今まで何気なく聞き流していた音のすべて。雑多な音は人間が出すそれとは比べものにならない圧を持つ。耳の穴から融かした鉄を注ぎ込まれているみたいだ。


 倒れる身体。耳をふさいでも音は止まない。熱い。痛い。熱い。


「なかなかキツいけど、その程度じゃ死にはしないからがんばって」


 死にはしないだろうけど死にたくなるから死んでもいいか? 


 そんな軽口も、鼓膜を殴りつける街の音のせいで声になって出てくることはなかった

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