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くそったれヒーロー

 この世界にはヒーローがいる。子どもでも知ってる常識だ。


 日本においてヒーローの〝元祖〟と呼べる存在が産まれたのは1950年ごろの話。戦後ということもあり警察組織が現在のように機能しておらず、非常に治安が悪かった日本国内各地で犯罪対策のために自然発生的に生まれたのが、報復を避けるために覆面を被った一般市民により構成される――〝地域防災覆面警備隊〟だ。


 それから時が移りゆくと共に、科学の発展によって犯罪も多様化、増加し、またそれと競うようにヒーロー数も増加。90年代になる頃には国の許可なく自警活動を行うヒーローという存在を疑問視する声が一部市民から上がるようになり、それを受けた政府によって2000年代前半に『ヒーロー登録法』が制定されてからは、登録への煩わしさや国の首輪が付けられることへの不満などでヒーローの数は大幅に減少。しかし、ヒーロー活動を行う者へ月24万円の給付金支給が決定、支給が開始されてからはその減少幅を最小限に留めている。


 ヒーローの全体数は全国でおよそ2万人。しかしその大半が東京で活動していると言われ、その原因がヒーローのタレント化というところに集約されている。


 市民から人気が出たヒーロー達は芸能事務所からのスカウトを受けて〝本業〟を引退し、タレント業にシフトするというのがもはや当たり前の常識となっている。それゆえ、人の注目を集めやすい――すなわち人気を稼ぎやすい東京に人員が集中するわけだ。


 そうだ。ヒーローなんて仕事は奴らにとって、華々しい芸能界へのステップに過ぎない。奴らは倒れている人に手を差し伸べたいわけでもなければ、誰かのためになりたいわけでもない。誰彼構わず手を差し伸べるのは、どこまでいっても自分のためなんだ。


 クソだよ、クソ。ヒーローなんて、全員クソだ。



 海東亜樹は27歳という若さにして自分の店を持っている。一国一城の主というわけだ。新宿区の来田らいだという街の駅前通り、『ビッグショッカー』という看板を構えたその店は、若干のいかがわしさがある業態内容というか、まあハッキリ言えばガールズバーというヤツである。店を開いてからもう四年目に突入するが、経営状態は常に上昇傾向にあるというんだから、亜樹の商才は認めざるを得ない。


 それで、俺の仕事はといえば、その『ビッグショッカー』専属の何でも屋。その業務内容は店で起きたトラブルの仲裁から、店で働くキャストを家に送り届けることまで多岐にわたる。危険なことも多々あるし、給料もたいしたことはないが、まあ何の取り柄もない俺なんかが開店当初から雇って貰えていることを考えれば文句は言えない。


 駅前から一本外れた通りにある雑居ビルの地下一階。そこが『ビッグショッカー』の所在地だ。木製の扉を押し開ければ、「いらっしゃいませー!」と元気のいい声がそこまで広くもない店の各所から飛んでくる。社員教育が行き渡っている証拠だ。


 店に入って一番手前のカウンター席に腰掛けると、控室の方から海東亜樹が急ぎ足で出てきた。相変わらずピンク色のショートヘアと大胆に開けた胸元の谷間が目に眩しい女だ。


 唇を尖らせた亜樹は「ちょっと」と俺の胸を人差し指で突いてくる。


「レンちゃん、遅い! あんまり遅いから、ヒーロー呼ぼうかと思っちゃったよ」

「ヒーローに知り合いがいるのかよ」

「知り合いとかじゃなくっても、『助けて』って叫べば来てくれるのがヒーローでしょ? それこそ、レンちゃんみたいに」


 大真面目な顔で言う亜樹に「だな」と笑って返した俺は、さらに続けた。


「それより、仕事の話だろ? なにがあったんだ?」

「ほら見て、あの席に座ってる男の人」


 亜樹は店の最奥へと視線を向けて小声で囁く。


「あのお客さん、ウチのサヤカちゃんに付きまとって困ってるの。実際、サヤカちゃんのシフトが終わるまで店の前で張り込んでることもあるし……レンちゃん、あの人どうにかしてくれない?」


 言われて、男の姿を確認する。


 体格は太め、身長は180センチ前後。身体全体に薄い脂肪を纏ってはいるが、その下にはしっかりした筋肉がついている。肌は浅黒く、恐らく仕事は現場関係。血管の浮き出た上腕を見るに、ジムか何かで鍛えているのだろう。


「見ない顔だな。最近来た客か?」

「そう。こういうとこ、慣れてないのかな。一回来ただけでサヤカちゃんに本気になっちゃったみたいで……」

「わかった。話つけてやる。店の外にうまいこと呼べるか?」

「それは出来るけど……その前に、レンちゃんお酒飲んでない? なんか、ちょっと臭うよ?」

「飲んだけど、いいだろ別に」

「よくない。お酒入ってたらすぐに手が出るでしょ。手を出すのはあくまで最終手段。基本的には話し合いで解決っていうのが、人類が生み出した賢いやり方なの」


 優しくて甘い考え方だ。でも、そんなふわふわした綿飴みたいな思考が通用しない奴だって世の中には存在する。


「知ってるよ。なるべく穏便に済ませるから安心しろって」


 適当にそう言い残して俺はさっさと店を出た。男が亜樹に連れられて店の外へ出てきたのはそれから数分後のことだ。


 亜樹が適当な理由をつけて店へと引っ込んだのを見た俺は、ひとり残された男に歩み寄り、「おい」と声をかける。こちらを向いた男は視線だけであからさまな敵意をぶつけてきた。


「誰だ、お前」

「誰だっていいよ。それよりお前さ、この店のサヤカちゃんに付きまとってるらしいな」

「は? 急になに言ってんだ、お前」

「悪いね、急で。でも、サヤカちゃん、かなり迷惑してんだよ。そうやってしつこくするの、やめてくれないかな」

「馬鹿言うなよ。先に手を握ってきたのはあの子だぞ? 俺は別に、しつこくしたつもりなんてない。断じてないぞ」


 ……先に手を握ったのはあの子、か。たしか、亜樹の店って〝お触り〟禁止のはずだよな。いくら太客を作るためとはいえ、サヤカちゃんの行動も褒められたもんじゃない。とはいえ、ストーカーを正当化できるのかといえば、そういうわけでもないが。


「こういう店だからさ、軽く手を握るくらいはあるでしょうよ。それを本気にするなんて、あんた、いくらなんでも耐性なさすぎるんじゃない?」


 男は消沈したように肩を落としてうつむいた。どうやら、現実を受け入れてくれたらしい――と思いきや、奴は顔を上げて卑屈な笑みを浮かべた。とても説得が成功したようには見えないな、あれじゃ。


「わかったぞ。お前もサヤカちゃん狙ってるんだな」

「いやいや……どうしてそういう話になるんだよ」

「うるせぇっ! サヤカちゃんは俺のモンだ!」


 腰を落として構えた男は真っ直ぐこちらに突進してきた。力任せの雑なタックル。避けるのはラクだが、正当防衛を成立させるためにまずは受ける。


 力に逆らわず、背中から壁に叩きつけられる。大振りのフック気味に放たれた拳を顔面で受ければ、派手に鼻から血が出てきた。これでいい。


「おぉい、どうしたぁ? もう終わりかよ?」


 興奮気味に声を上げる男の横腹を目掛けてアッパーを入れる。呆気なく〝く〟の字に曲がった奴の鳩尾へ追撃の肘打ち。たった二撃で大のオトナがコンクリートに這いつくばる、オシオキコースだ。


 俺は倒れ伏す男の耳元で言い聞かせるようにささやいた。


「人の迷惑考えろ。わかってんのか? 迷惑なんだよ、迷惑。お前のせいで怖がってる女の子がいんの。わかったら、この店に二度と近づくなよ」


 男は痛みに苦しみ唸るばかりで、俺の言葉に否定も肯定もしない。ここまで痛めつけてやれば、もう店には来ないのだろうが、言質を取っておかないと後で面倒だ。俺は男の耳元で、今度は語勢を強くして訊ねる。


「おい。この店には来ないよな? もう二度と来ないって誓うよな?」


 なんの前触れもなくフラッシュが焚かれたのはその時のことだ。「なんだ」と顔を上げてみれば、いつの間にか周囲は一眼レフやテレビ撮影用のカメラを持った奴らに囲まれている。


「おい、撮んな。撮んなっての。見せ物じゃねえぞ」


 寄ってくるコバエを払うような仕草でわかりやすく敵意を向けてやったが、奴らはカメラを止めようとしない。怒りよりも気色悪さが勝って、思わず俺がその場から去ろうとしたその時、カメラマン共の間から現れた奴がいた。


 一目見るだけでわかった。アイツはヒーローだ。


 身長は160㎝程度だろうか、そこまで高い方じゃない。顔の上半分はマスクで覆われており、その全貌はわからないが、年齢は恐らくかなり若い方だろう。わずかに見える素肌が空気まで弾いてるようにぴちぴちだ。全身を覆うスーツから象徴的な意味合いしか持たないマントまで、全体的に黒で統一されたその衣装は、どこかコウモリを連想させる造りをしている。


 ソイツは俺を人差し指で差し、それから言い放った。いかにも勝気な女の声だった。


「――アンタ、自分が〝悪者〟って自覚ある?」


「ずいぶんと急な物言いだな。お前、誰だよ」

「この衣装を見ればわかるでしょ? バットガール、ヒーローよ。善良な市民を傷つける迷惑者を成敗しに来たの」

「誤解があるようだから教えておいてやるよ、ヒーロー。コイツが善良な市民ってのは間違いだ。俺が悪者なら、この男は大悪党だよ」

「誤魔化そうとしたってそうはいかない。アンタはここでアタシに倒されるの」


 言いながら、女ヒーローは真っ直ぐと俺に向かって歩み寄ってきた。自分がやられるなんて微塵も考えてない、自信たっぷりの歩き方だ。腹が立つ。


「話通じてないな。何歳だか知らないけど、もう一回小学生からやり直したら――」


 瞬間、鋭い痛みが鼻頭に走る。口の中でどろりと鉄の味がした。ジャブを打たれたと気付いたのは、唇からどろりと血が垂れてからのことだ。


「大丈夫? 血、出てるけど」

「……安心しろ。元気いっぱいだよ」

「そ。じゃ、もう一発ね」


 軽口で煽ってきた女は爪先でリズムを刻みながらこちらに接近すると、片脚を軸に身体をひねって豪快な回し蹴りを放ってきた。


 速さはある。食らったら痛そうだ。だが、予備動作が大きすぎる。


 その一撃を軽くかわした俺は、世の中をナメたクソガキにお灸を据えてやるべく、ガラ空きの頭にゲンコツを振り下ろしたが――拳が当たる直前に俺の身体は横からの衝撃になぎ倒された。かわしたはずの奴の蹴りがもう一回転して襲ってきたのだ。


 二連回し蹴り。想定外の一撃が入れられたのは横腹。呼吸ひとつが遥か彼方だ。


「終わりね」


 勝ち誇ったように呟いた女は周囲でカメラを構えていた奴らに手を振った。


「みんな、ちゃんと撮った? じゃ、これで密着取材は終わりね。あとはひとりにさせて。結構忙しいの、ヒーローって」


 クソ。勝ったつもりかよ。俺はまだまだやれるってのに。


 深呼吸、歯を食いしばれば痛みは忘れる。膝を叩いてなんとか立ち上がった俺は、ファイティングポーズを取ってみせた。


「……ちょっと驚いた。まだ立てるんだ。それとも、身体に鉄板でも仕込んでるとか?」

「馬鹿言うなよ。一日中だって続けられるぞ。来いよ、バッドガール(不良少女)」

不良バッドじゃなくて蝙蝠バット。……ま、いいわ。今度は本気の本気で――」

「ちょっと! たつき!」


 怒りの感情が滲む叫びと共に俺達の間に割って入ったのは、パンツスーツスタイルの髪の長い女。「なによ、葵」と女ヒーローが応じているところを見るに、ふたりは知り合いらしい。


「何よじゃない! 勘違いなの、勘違い! この人、悪い人じゃないのよ!」と女は俺を指す。


「……どういうこと?」とバットガールとかいうヒーローの方はいかにも困惑した声色だ。


「倒れてる男はストーカー! で、あなたと戦ってたこの人は、ストーカーを追い返そうとしただけ!」


 どうやら亜樹が事情を説明してくれたらしい。とりあえず、この不毛な戦いにもケリがつきそうだ。「まだやんのか?」と女ヒーローに問いかけてみれば、奴は心底不服そうに鼻を鳴らした。


「……アンタ、紛らわしいのよ。そういう事情があるなら、最初からそう言いなさい」

「事情は説明したつもりだけどな」

「アレでわかると思う? わかったらただのエスパーよ」


 奴は俺に背を向けると、謝罪のひとつも残さずに去っていった。カメラを持った連中も奴に追従する。

唯一残ったのは先のパンツスーツの女は、「この度は大変失礼致しました」と何度も頭を下げながら、その手に持っていたハンカチで俺の鼻血を拭いとる。俺が「アイツにやられた傷じゃねえよ」とその手を払うと、女は困ったように眉尻を下げた。見ているこっちが気の毒になる表情だ。


「私はバットガールのマネージャーの弓田葵と申します。今回の件はなんと申し上げればよろしいのか……なにかお詫びをと思うのですが、いかがでしょう?」

「要らねえよ。それよりさっさと行けって。アレがまた俺みたいな〝善良な市民〟をぶっ飛ばす前にな」

「い、いえ! それではこちらの気が収まりません! どうか、何か受け取って頂ければ――」

「だからいいって。口止め料なんて貰わなくたって、この件を言いふらしたりしねえよ」


 弓田とかいう女は不安そうな表情のまま、「失礼します」と頭を下げてその場から去っていく。よほどあのバットガールとかいうヒーローに苦労させられているらしい。あんなストレスがたまりそうな仕事、さっさとやめちまえばいいのに。


 騒動が終わったところで、物陰に隠れていたらしい亜樹が俺の元へ駆け寄ってきた。


「ごめんね、レンちゃん。外で騒ぎが起きてることは気づいたんだけど、事情を聴いてくれる人を探すのに手間取っちゃって……もっと早ければケガなんてしなくて済んだのに」

「これくらいならなんともねえよ。それよりなんだ、アイツ」

「自分で名乗ってたでしょ。バットガール、本名は木場たつき。結構テレビとかにも出てるて、〝かわいすぎるヒーロー〟とかで話題になってるけど、知らないの?」

「こういうのに俺が興味あると思うか?」

「……まあ、ないよね。そもそもレンちゃんの家、テレビないし」


 言いながら亜樹は俺にスマホの画面を向けた。涼しげな目元と長い赤髪が特徴的な女が、大胆に胸元を開けたシャツを着たグラビア写真が写っている。これがあのヒーローの〝中身〟か。モデル気取りかよ。こんな写真撮影する暇があればパトロールでもすりゃいいんだ。


「もう十分だよ」とスマホを払いのけると、「そ」と唇を尖らせた亜樹は俺の手を取った。


「それより、ウチの店で少し飲んでいかない? 迷惑かけたお詫び。なに飲んでもタダでいいよ」


 思いがけないお誘いだ。気分をよくして「そりゃいいな」と答えた俺は、亜樹に引かれるまま店に入った。

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