街を護る者
例の記者会見から二週間。ヒーロー業界は大混乱に陥っていた。
〝担当区域制度〟に関わっていたヒーローは軒並み引退、あるいは活動中止。また、マスコミによるヒーロー叩きは日を経るごとに激化。あることないこと噂され、現役、引退者問わず『ヒーロー』の肩書を持つ人はことごとくメディアから姿を消した。
はじめのうちは来田街周辺だけの問題に思われていた〝担当区域制度〟であったが、引退したヒーローが「似たような事例は都内には多く見受けられる」と週刊誌にて告発。これにより、ヒーローに対し――とくに東京都内で活動するヒーローに対しては強く懐疑的な視線が向けられた。
入れ替わり騒動の犯人にとっては、俺と木場の入れ替わりはもちろん、木場の『熱愛スキャンダル』すら、担当区域制度問題に注目を浴びせるための布石に過ぎなかったのである。
数多くのヒーローが叩かれ、揶揄される中、もっともダメージを受けたのは当然ながら木場だった。
マスコミは連日のように木場が住むマンションに張り込み、マンションから出る人を見れば、それが関係者か否かを問わずに「バットガールについてどう思うか」とインタビューした。木場の部屋のカーテンがわずかに揺れるだけで、望遠レンズを向けてフラッシュを炊いた。これだけならばまだかわいいもので、宅配業者を騙りマンションへ侵入し、木場の部屋まで向かおうとした記者まで出たというのだから、やりすぎという他ない。
あの日以来、俺は木場に会っていない。電話は毎日のようにかけてはいるが、あいつが出たことは一度もない。おかげで、毎日朝のニュースを見るときは、あいつの自殺が報道されているんじゃないかとヒヤヒヤしてしょうがない。
秋の足音が急速に近づいてきて、朝夜は肌寒くなる日も増えてきた9月の半ば。夜の八時を過ぎたころ、俺は木場のスマホへ電話をかけた。案の定というべきか通話は繋がらず、とりあえずの安否確認ということで続けて弓田へ電話をかけると、こちらはすぐに繋がった。
『もしもし。弓田ですが』
「おう。どうだ、木場の調子は」
『私が聞きたいくらいですよ。最後に顔を合わせたのはもう三日前です』
「アイツは、いつまでこうしてるつもりなんだろうな」
『わかりません。私ともほとんど話してくれず、ずっと部屋に引きこもっているばかりで……』
「たまには外に連れ出してやれよ。外の風を浴びないと体に毒だ」
『やれるならとっくにやってます! でも、二十四時間体制でマスコミがマンションの周りにいるんですよ! 外に出られるわけがないじゃないですか!』
震えた声で感情を爆発させた弓田は、今にも立ち消えそうな声で続けた。
『……すいません、突然叫んで。ですが、私も、いっぱいいっぱいで……』
「……いや。こっちこそ悪かった。もう電話は控える。それと、木場に伝えておいてくれ。この街のことは、なにも心配するなって」
◯
木場の会見が終わったその翌日から始めたことがふたつある。
ひとつが、外出時のマスクと帽子の着用。
幸いなことにというべきか、マスコミ連中はこぞってヒーロー叩きに夢中で、俺の元に話を聞きに来るような奴は数少ない。とはいえ、いることにはいるというのが現状で、そうなると外に出る際には嫌でも変装が必要になるのである。
そしてもうひとつが――夜の見回り。
来田街からヒーローが消えたが、犯罪が消えたわけじゃない。となれば、誰かがその役割の空白を埋めなければならない。誰かがやらなきゃいけないなら、俺がやる。それだけだ。
木場からもらった特製のスーツを着込み、強盗チックな目出し帽をポケットに詰めれば準備完了。ヒーローらしからぬ格好ではあるが、俺はヒーローじゃないんだから仕方ない。
午後十時過ぎから俺の活動は始まる。バットガールをやっていた時のように音が聞こえるわけでもないし、防犯カメラの映像を見られるわけでもない俺にとって、できることといえばただひたすら夜の街を練り歩くことだけ。役に立っているのかわからないが、いないよりはずっとマシなはずだ。なにせ、この二週間で犯罪や騒動を見かけなかった日は一度としてなかった。
午前一時を過ぎたころ。駅前の通りを見回っていると、路地裏でチンピラ風の男三人がうつぶせに倒れた人影を囲んでいるのが見えた。カツアゲか、因縁でもつけられたのか。どっちでもいい。俺の出番だ。
目出し帽を被った俺は男達に「おい」と声をかけながら歩み寄る。
「お前ら。今すぐ辞めるか痛い目に遭うか、ふたつにひとつだ。選べ」
すると、三人のチンピラのうち赤いジャージに金髪という〝いかにも〟な組み合わせの男がこちらを睨んできた。
「なんだよ、テメェ。何様? てか、なにそのダサいカッコ」
「なんだっていいだろ。バットガールが体調不良でな。あいつがいない間、お前らみたいなのがこの街で調子に乗らないように見張ってんだよ」
「アホかよ。ヒーローならともかく、妙な格好したオッサンがなに出来るんだよ」
「何ができるんだろうな。試してみるか?」
「……いいんだな?」
挑発的にニヤリと笑ったチンピラは拳を固め、真っ直ぐ俺に向かってきた。
こちらを舐め腐った直線的な動き。受けてやるまでもない。
腰を落とし、前傾姿勢で男へ接近。急な動きに足が止まったのを見逃さず、顎を肘でカチ上げる。
起きる上体。人体における全急所ががら空きだ。鳩尾を狙って軽く小突いてみると、金髪男は無駄に苦しみながら仰向けに倒れた。
声にならないうめき声をあげる金髪男を見て、残ったチンピラ仲間の顔が青ざめていく。「どうすんだ」と問うと、奴らは金髪男を見捨てて尻尾を巻いて逃げていった。
チンピラ達を尻目に見送った俺は倒れた人影に歩み寄る。なんだかずいぶん妙な恰好をした男で、白と赤といういやにめでたいカラーリングのスケイルアーマーを着込み、同じく紅白カラーのヘルメットを身に着けている。ハロウィンパーティーを先取りでもしたのか。
「あんた、大丈夫か」
「ああ、平気だ。いや助かったよ。もうこのまま殺されるのかと思った」
壁に手を突きながらよろよろと立ち上がった男が、額の汗をぬぐうためにヘルメットを脱いだその時、俺はぎょっとして飛び上がりそうになった。目の前にいるおめでたい格好をしたソイツが、木場の所属する事務所の社長、山羽だったからだ。
山羽は切れた唇を指でなぞりながら俺に訊ねた。
「君、見ないヒーローだね。名前は?」
「いや……その……」
名を名乗るわけにもいかず返答に詰まった俺は、「名乗るようなもんじゃない」なんてカッコつけた風の答えでごまかす。すると山羽は不思議そうに目を丸くしてこちらを見た。
「珍しいね。ヒーローなのに名乗りたがらないなんて」
「それより、こんな時間にそんな格好で何やってんだ。バットガールがいない今、この街はあの手の輩が大量にいるんだぞ」
「だからこそ出てきたんだ。彼女がいなくなったのなら、誰かがこの街を守らなくてはならないだろう? まあ、志と格好だけは立派で、結果はこのザマなんだがね」
少し……いや、かなり意外な答えが返ってきて面食らった。この男にも人並み以上の正義感があるんだと感心すら覚えた。
……でも、それなら――。
湧いてくる感情のまま、俺は思わず山羽の胸倉に掴みかかった。
「……そんな風に考えられるなら、どうして木場の味方をしてやらなかったんだよ。どうしてあいつを支えてやらなかったんだよ。社長だったらできるはずだろ」
「君は……」
山羽は俺をじっと見てきたかと思うと、ふと視線を足元に落とした。
「……たつきくんは真面目な子だ。だが、いささか真面目すぎる。このままヒーローを続けていたら、いつかその重圧に押しつぶされてしまうと思った。なにか問題が起きた時、抱えきれずに爆発すると思った。私は、彼女にヒーロー以外の道を見つけてほしくて、それで……でも、想定外だったな。君のような人が現れるのは」
ふっと薄い笑みを浮かべた山羽は俺に背を向けると、右足を痛そうに引きずりながら歩き出した。
「では、〝名無しのヒーロー〟くん。バットガールと、彼女が守ろうとしたこの街を頼んだよ」