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帝国の崩壊

 マンションを出てバンに乗り込めば、目的地までは十分足らずで到着した。住所が示していたのはラブホテルが数多く並ぶ一帯の中でもっとも古い三階建てのホテル。名前を『愛の巣』といい、ぱっと見の印象は「寂れた」という言葉以外に表現が見つからない。しかしこういった外観に風情のようなものを感じる客は一定数いるらしく、近くを通れば物好きそうなカップルが入っていくのをチラホラ見かけることもある。


 建物から少し離れたところまで来たところで、「ここでいいわ」と弓田にバンを停めさせるよう指示した木場は、先行して外に出た。


「葵は車の中で待って辺りを見張ってて。なにかあったらすぐに連絡する」


 木場の後を追ってバンの外に出た俺は、共に『愛の巣』の正面入り口へと向かう。軒先に置かれた古びたネオンサインには光が灯っていたから営業中だとは思うのだが、受付には従業員がいないようだ。妙ではあるが潜入の手間がはぶけると考えれば好都合だ。


 受付を素通りしてエレベーター前に立った俺は、ホテルの上階に向けて耳を澄ませた。男女が〝行為〟に及んでいるような音や声は聞こえない……が――。


「どう? 真黒、なにか聞こえてくる?」

「人はいそうにない。でも、雨が窓を叩く音に混じって妙な音が鳴ってる部屋はある。たぶん二階だ。機械なのか、それとも別の何かがあるのかはわからないけど」

「なら、そこへ行ってみましょう。犯人がなにか残したのかも」


 エレベーターに乗り込んで二階へ上がる。狭い廊下を進んでいけば、最奥の部屋の扉がわずかに開いている。どうやら音もそこからのようだ。そろりそろりと足音を立てないよう慎重に歩み寄り、隙間から中を覗き見れば、そこにはラブホテルに置いてあるには似つかわしくない巨大な装置が鎮座していた。


 全体的な色は黒。縦は電話ボックスほど、横の大きさ自体は冷蔵庫の二倍ほどあるだろうか。ブラウン管テレビのような分厚いモニターとキーボードがスパコンに付随したそうな装置で、側面には電子レンジのような扉も付いている。扉を開けてみれば、中には赤い液体を循環させる細い管が何本も通っていた。

休みなく動き続ける装置を冷やすためなのか、冷房を強く効かせているせいで部屋全体が寒く、まるで冬のようだ。俺は鳥肌が立ってきた腕を両掌で擦りながら、「なんだよ、こりゃ」と呟いた。


「……もしかして、これが例の〝入れ替わり〟装置なんじゃないの?」と木場は正体不明の装置を見上げながら呟く。


「……もしそうだとしたら、止める方法があるはずだ」


 俺は適当にキーボードを叩いて装置を止めようとする。そんな俺に木場は不安そうに声をかけた。


「ちょ、ちょっと。よくわかんないならあんまり触んない方がいいんじゃないの?」

「ビビるなよ。爆弾をいじってるわけじゃねえんだ」

『そうだ。別に何も怯える必要はない』


 ふいに響いた機械音声。モニターの電源がついて、ピエロのような顔をしたロボットの姿が映し出される。演出された登場シーンに、俺はたまらず苦笑した。


「派手な登場だな。まさに悪役ってカンジだ」

『その通り。そして君達はヒーロー、ということでいいのかな?』

「コイツはな。俺は違う」


 俺の隣に立った木場はモニター越しにピエロ野郎と対峙する。


「アンタがわたしたちを入れ替えたの?」

『その通り。でも、もうそれも終わりだ』

「どういう意味よ」

『言葉通りの意味だよ。その装置を破壊すれば入れ替わりはおしまい。君達は元通りだ』

「そんな言葉、信用すると思う?」

『信用して欲しいね。そもそも私は君達に恨みがあってこんなことをしたわけではないんだ』

「だったら、どうしてこんなことをしたの。アンタの目的はなに?」

『そうだな……強いて言うならば、〝帝国の崩壊〟、だろうか』


 自らの発言を嘲るように、ピエロはくつくつと愉快そうに笑う。


『私の言葉を信じるのも信じないのも君達の自由だ。どうせ結果は変わらない』


 モニターからピエロが消え、その代わりに右方向を指す矢印が浮かび上がる。矢印の方向を見れば、壁に二本の手斧が刺さっている。


 あれでこの装置を壊せ、ということだろう。理解と共に斧を壁から引き抜いた俺は、装置の前でそれを構えた。


「待ってよ。こんなの罠に決まってる」

「わかってる。でも、コイツをぶち壊す以外に選択肢があるのか? もう手がかりはないんだぞ」


 数秒の沈黙を置いた後、木場は覚悟を決めたように斧を手に取った。


「……やるしかない、ってわけね。わかったわよ」


 ふたりで装置を挟むように構え、「せーの」の掛け声で斧を振り下ろす。


 鈍い刃が装置に刺さったその瞬間、激しく揺さぶられたような感覚が頭に走り、視界が白い光に包まれた。



 気づくと、俺は床に横たわっていた。窓から見える外はいつの間にか雨が止んでいる。頭が芯からガンガン痛む。全力で走った後みたいに全身が怠くて重い。何が起きたのかと思いつつなんとか身体を起こせば、先ほど目の前にあったはずの装置は跡形もなく消えている。夢か幻覚でも見ていたのかと部屋を見回すと、ベッドに俺が仰向けで横たわっていることに気が付いた。


 どうして――と一瞬困惑した後、倒れているのが〝俺〟ではなく、元の身体に戻った木場であることを理解した。慌てて自分の身体を見てみれば、懐かしさすら覚える男の肉体だ。股間に手を当てれば、あるべきものがある! 元の身体に戻ったんだ!


「おい、起きろ木場! おい! 戻ってるぞ、俺達!」


 興奮隠せず木場の身体を揺すると、「うっさい」という力ない声が返ってきた。どうやら既に起きていたらしい。


 木場は薄目を開いて自身の手のひらをじっと見た。

「……戻ったのね、わたしたち」

「ああ。なんか、妙な感覚だ。背が高い」

「こっちは身体が無駄に軽いわ。頭がぼーっとして動けそうにないけど」


 木場は天井を眺めながら「情けないわね」と薄く笑う。


 このまま木場が動けるようになるのを待っていたら、ここを出るのがいつになるかわからない。俺は木場の後頭部と腰に手を回し、その華奢な身体を抱き上げた。


「ちょ――なにすんのよ!」と木場は力なく脚をばたつかせる。

「動けないんだろ。外まで運んでやるんだよ」

「いいから! ひとりで歩けるから!」

「歩けないからこうしてやってるんだろうが。暴れんな。落ちるぞ」


 弱々しい抵抗の構えを見せていた木場だったが、やがて無駄だと諦めたらしく、俺の首に両腕を回した。


 部屋を出て廊下を進み、階段を使って一階まで降りる道中、流れる沈黙が気まずかったのか木場がもごもごと語りだした。


「ねえ。この事件、これで終わりだと思う?」

「いや、思わん。あのピエロ野郎にはもっと別の目的があったはずだ」

「まあ、そうよね。これで終わりのただの愉快犯なんてわけがない」

「……もし、お前があの野郎を捕まえるつもりなら、協力してやろうか?」

「……いいの? もうアンタが協力する理由なんてどこにもないのに」

「乗り掛かった舟だからな。ここで降りたら寝覚めが悪い」

「……ありがと、蓮」

「なんだよ、急に名前呼びって」


「いいでしょ。真黒って呼ぶより短くて済むんだし」と木場は気の抜けた微笑みを見せる。俺はなんだか頭のてっぺんが妙に痒くなってきた。


 一階まで降りてくると、木場は「もう大丈夫」と俺の腕から滑り降りた。それでもなおふらついた足取りだったので、「ほら」と肩を貸してやると、木場は「ありがと」と素直にそれを受け入れた。


 エントランスの時計を見れば、時刻はもう午前三時。今日は久しぶりに自分の家に帰ろうかなんて考えながら正面入り口から外へ出たその瞬間――突然炊かれたフラッシュで俺の視界は白く眩んだ。薄目を開いて見てみれば、カメラやレコーダーを持った奴らが溢れんばかりに押し寄せている。


 なんだ、この状況は。


 困惑、動揺、混乱。頭が微塵も働かないところに、様々な声が浴びせられる。


「バットガールさん! その男の方はどなたなんですか?!」

「ホテルから出てこられたということは、恋人ということでよろしいんでしょうか?!」

「街を守らず楽しんでいていいんですかぁ? あんたヒーローでしょ?」


 マスコミ? どうして? なんでこんなに集まってやがる。まさか、あのピエロはこれが目的?


 木場は顔面蒼白で言葉を失い、ただ唖然と周囲を見回している。とても釈明なんて出来る気配じゃない。一旦逃げるべきか? でも、どうやって?


 その時、けたたましく鳴り響いたのは車のクラクション。マスコミの大群を割って伸びてきたヘッドライト。グレーのバンが俺たちの目の前につけられる。


「ふたりとも! 乗って! 早く!」


 窓を開けて叫んだのは弓田。木場と共に後部座席に乗り込むと同時に車は前進を始める。


 背後からどこまでも追ってくる怒号とフラッシュに、木場は俺の腕を抱いてカタカタと小刻みに震えていた。

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