きみには絶対かなわない
指切りげんまん、嘘ついたら絶対に許さないのいとちゃんと石花くんの続きの話を書きました。読んでもらえるととても嬉しいです。
「いっちゃん、卒業おめでとう、本当に嬉しいよ。それに袴姿もすごく似合ってる」
「ありがとう。わざわざ来てくれると思わなかった。遠かったでしょ?」
「いっちゃんの卒業式に僕が来ないわけないでしょ。3日後には今度こそ卒業旅行だからね。ちゃんと荷造りしてる?」
「え、まぁ、はい」
朔くんはわたしをジロリと睨むと大袈裟にため息をついた。今日の朔くんは黒いスーツにストライプのネクタイが良く似合っていた。スタイルが良いと何でも着こなせて羨ましいなあと思った。
朔くんと話していると大きな花束を抱えた鬼さんが手を振りながらこちらにやってきた。鬼さんも黒いスーツで、ストライプのワイシャツを合わせていたので朔くんとお揃いみたいになっていた。
「え、鬼さんスーツだったんだ。ていうか僕たち格好被ってない?」
「石花くんさぁ、178センチで着こなせる袴があるなら教えて欲しいね、是非」
「いや、ドレスとかで来るかと思ってたから、でも似合ってるよ。ただ僕たち並ぶとリンクコーデみたいだね」
「そんじゃ石花くんネクタイ取ったら?」
それもそっかと言ってから朔くんはネクタイを解いた。朔くんは趣味友だからか鬼さんに対してわりと好意的なので遠慮がない。あんまり知らない子相手の方が愛想が良いのだ。朔くんはモデルという職業柄とても良く声をかけられるけどいつも愛想良く対応している。
183センチの朔くんと178センチにヒールを履いた鬼さんが並ぶととても迫力があった。わたしも別に小さい方ではないけど2人と一緒にいる時はずっと上を向いているので結構首が疲れる。顔は全然似ていないけど背が高くて色素が薄くて姿勢が良いところが似ている。
「そういえば明明後日からイタリアでしょ?お土産はエッフェル塔の模型が良いな」
「了解、探してみるね」
「お土産指定しちゃうのが鬼さんらしいね」
「とってもセンスの良い石花くんからはヴェネチアングラスが良いかな、よろしくね」
「なんかちょっと僕のこと馬鹿にしてるでしょ?」
どうだろうね、と鬼さんは笑った。彼女は4月からこの大学の大学院に進む。鬼さんは成績優秀者なので教授の手伝いをしながら研究を続けていくのだ。わたしはそんな彼女のことをとても尊敬している。
「いとちゃん、一応聞くけど学科の打ち上げは来ないよね?」
「うーん、ごめんね、朔くん来ちゃったからやめとくね。あと、今日は外泊します」
「ごめんねぇ鬼さん、いっちゃんは何よりも僕が優先なんだよね」
朔くんが勝ち誇った顔でいうと鬼さんはわたしの耳元に顔を近づけてこう言った。
「いとちゃん、4月からもよろしくね」
「えっ?それってどういうこと」
「そのまんまの意味だよ。いとちゃんとわたしの進路一緒だもん」
「え?いっちゃんは4月からは専業主婦なんだけど」
「あの、言うのが遅れたんだけどわたし、4月から修士課程に進みます」
「嘘ぉ、もう向こうで新居の手配してあるのに!?え、何でいっちゃんはいつも僕に相談しないで進路決めちゃうの?大学卒業したら結婚するってもう17年前から約束してるじゃん!何しれっと大学院行き決めてるの?いっちゃん報連相って知ってる?」
「ほら、絶対そういう感じになるから言い出しにくくて…」
「そりゃそうでしょ、だって君の未来の夫だよ!?」
「痴話喧嘩ならホテルでやんなよ。じゃあ、2人ともまたね」
「鬼さん絶対面白がってるでしょ…!何で教えてくれなかったの、僕たち友達じゃん」
「うーん、石花くんは友達だけどいとちゃんは親友だからね」
「ひどい裏切りだ」
「ま、仲良く喧嘩してね」
鬼さんはひらひらと手を振って颯爽と正門へと歩いていった。言わなきゃいけないと思っていたけどまさか彼女からバラされるとは思わなかった。隣にいる朔くんからは強い怒りのオーラを感じた。チラリと顔を覗き見ると眉間にくっきりと皺が刻まれていた。
「いっちゃんって普段ポケーっとしてる癖に僕のことこうやって出し抜くんだよね」
「ごめん」
「あ、また面倒だからとりあえず謝っておこうみたいなの本当に良くないよ」
「ごめんて」
「絶対許さない。もう今日これから婚姻届出しに行く」
「いやいや、学生結婚はちょっとねぇ?」
「僕は4月から社会人なんだけど?」
「まぁ、とりあえず着替えないとだからホテル行こ。予約してくれてありがとね」
「納得いかないけどその格好じゃレストラン入れないしね、わかった」
卒業式が終わってすぐ帰省することも考えたけど朔くんがせっかくだから見にいくと言ったので2人でホテルに泊まることになった。前に電話した時に予約取ろうかと聞いたらいっちゃんの卒業祝いの日にビジネスホテルなんて絶対嫌だからねと言うので全部お任せした。彼のことだから多分すごいところ予約しているんだろうなと思う。
朔くんはそういう事に関してとてもマメというか多分選んだり段取りを決めるのが好きなんだと思う。イタリア行きが決まった時わたしのパスポートが期限切れだったため発行手続きを全部やってくれた。
わたしがしたのは委任状にサインをして証明写真を渡すことくらいだった。戸籍謄本がいつの間にか用意されていたことにわたしは恐怖を感じた。昔からこの人は準備が良すぎるのだ。
「足、痛くない?今日結構歩いたでしょ?あと5分くらいで着くけどタクシー呼ぶ?」
「いや、ブーツだから意外と平気だよ。それに徒歩5分にタクシーは勿体ないよ」
「いっちゃんが良いなら良いけど。着替えはもうホテルに送ってあるしお風呂上がってからヘアメイクする道具も持ってきたから」
「え、もしかして朔くんがやるの?」
「大丈夫、セミナー通って勉強したしいっちゃんのパーソナルカラーも顔タイプも骨格もわかってるから。完璧に可愛くする、安心して」
「至れり尽せりだね…、朔くんといるとそのうち何もできなくなりそう」
「良いよ、いっちゃんは存在してるだけで良いの。だから早く結婚しよ」
「なんか朔くんウエディングドレスとかオーダーメイドで作りそう」
朔くんはにっこり笑って否定も肯定もしなかった。多分何かしら用意しているんだろう。深追いするとめんどくさそうなのでわたしは黙って朔くんについて行った。
辿り着いたホテルは所謂ラグジュアリーホテルで朔くんこういう資金を一体どこから捻出しているのか不思議だった。モデルの仕事はそんなに高給取りなんだろうかと考えて、やめた。
広いエントランスにはシャンデリアが煌めきカーペットはとても歩きやすくて高いんだろうなと思った。20代前半のカップルが利用するにはちょっと高級すぎるホテルだなというのがわたしの感想だったけど朔くんは馴れた手付きでコンシェルジュからカードキーを受け取ると私の手を引いてエレベーターに乗った。30階で降りると1番奥がわたしたちの泊まる部屋だった。
広い部屋にはキングサイズのベッドとソファと大きなテレビとテーブルと観葉植物とオーディオがあり、とても豪華だった。当然のようにベッドがひとつで朔くんをみるとにっこりと笑った。広いから端で寝れば良いかと考えてとりあえずシャワーを浴びた。髪に刺さる大量のピンを抜きながら成人式のことを思い出した。久しぶりに再会した朔くんが怖かったこと、結局丸め込まれて流されてここまで来てしまった。
朔くんのことは好きだし流石に外堀も埋立地くらい埋められているし将来的には結婚すると思っている。朔くんと指切りげんまんしてから17年、紆余曲折あったけどわたしたちは離れていた2年間を除けばずっと一緒にいる。
朔くんはずっとモテてるし本気を出せばきっとすぐに相手も見つかるだろうにずっと初恋を拗らせていて、わたしはそんな朔くんに対して独占欲のようなものを抱いてる。喜びそうだから絶対に言わないけど鬼さんに対してすら嫉妬した事がある。自分から一度は突き放したくせに心が狭いのだ。
髪の毛を乾かそうとしたらドライヤーを奪われて丁寧に梳かしながら乾かしてその後コテでゆるく巻いてからハーフアップにしてくれた。メイク道具ももわたしが持っているよりも本格的で高そうなもので揃えられていて、思った以上に手際良くやってくれて驚いた。本当に良く出来た恋人だと思う。
鏡を見ると美容室で今日の朝プロにやって貰ったのよりも綺麗に仕上がっていて改めて朔くんの器用さに感心した。用意されたワンピースは星空みたいな紺色に細かな点が散りばめられていてそれに合わせた銀色のパンプスと一粒ダイヤのネックレス、それに20歳の誕生日にプレゼントされた華奢な腕時計に婚約指輪を合わせた。全ての調和が取れていて改めてそのセンスの良さに脱帽した。
「すごく可愛いワンピースだね、好みにぴったり。やっぱり朔くんわたしのことわかってるね」
「当たり前じゃん、ずっと見てたんだから。良く似合ってるよ。卒業おめでとう」
「ありがとう。進路勝手に決めちゃってごめんね、博士課程までは行かないからあと2年待ってて」
朔くんはムッとした顔でもうごはん行くよと言った。どこかに移動するのかと思ったらホテルの中のフランス料理店だった。成人式以来の値段のないメニューに震えた。あと普通に読めなかった。
「朔くん、私、メニュー全く読めない」
「僕が適当に頼んじゃうけど良い?いっちゃんお肉が良いでしょ?」
「うん、いつもありがとう。素敵なお店だね」
「料理が良いからこのホテルにしたんだ。うーん、ロッシーニは頼むとして前菜は何にしようかな、ワインは赤と白両方頼もうね。それともいっちゃんはカクテルとかの方が良い?」
「お任せします。朔くんセンス良いから」
「鬼さんもだけど僕のこと馬鹿にしてるでしょ?」
「それは被害妄想ってやつじゃないかなぁ?」
朔くんがため息をついた後目配せをするとウェイターさんがやってきた。なるほど、こういうお店は呼んだりしないんだなと勉強になった。彼が呪文料理を頼んでいる間窓の外の灯りを眺めた。キラキラと白や赤や緑の光が綺麗だった。
朔くんといるといつもお伽話のお姫様みたいな気分になれる。朔くんの隣に立つことで嫌な思いをしたことがあるしこれからもそういうことはたくさんあると思う。モデルは知名度のためで他の仕事をすると説明してくれたけど難しくて良くわからなかった。朔くんとしてはわたしが卒業後すぐに婚姻届を出して同居するつもりだったみたいだけどやっぱり修士課程に進んでもう少しだけ勉強がしたかった。
受験勉強はあんなに辛かったのに今やっている分野は大変だけど楽しい。それに鬼さんがいるというのも心強い。彼女といるともっと頑張ろうと前向きになれるし見習おうと思える。鬼さんがいなかったら大学院には進まなかったかもしれないくらい彼女には影響を受けた。
「ねぇ、いっちゃん、今全然関係ないこと考えてるでしょ?僕と一緒にいるときは僕のことだけ考えてほしいんだけど」
「ごめんごめん、卒業旅行楽しみだね」
「あっ、話逸らした!いっちゃんってほんと良い性格してるよね。僕は優しいから許してあげてるけど他の男ならこうはならないよ?あー、なんか例えで言っただけなのにいっちゃんと他の男が並ぶなんて絶対に許せない」
「勝手に想像して嫉妬しないでよ。わたしが朔くん以外と付き合えると思う?」
「何その殺し文句、いっちゃんって僕のこと手玉に取ってほんとに悪い女だね」
再会してから気付いたけど、朔くんは結構可愛いところもある。そして何よりもわたしのことが好きで好きで仕方がないらしい。朔くんは口もペラペラ回るけどそれ以上にその色素の薄い瞳が雄弁にわたしを好きだと語っていた。
出された料理はどれも美味しかった。ロッシーニというのはステーキにフォアグラが載せられたもので前にも鉄板焼き屋で食べたなと思った。口の中でフォアグラがとろけた。
ソースの味付けは前と全然違ってたけど、みんな違ってみんな良いだなと思った。ワインもすごく美味しくてつい飲みすぎて頭がふわふわした。デザートと一緒にコーヒーを飲んでから部屋に戻った。
部屋に入ると朔くんはわたしの髪を解いてメイクをクレンジングクリームで落とした。
それから慣れた手付きでワンピースを脱がせてガウンを着せた。さすがラグジュアリーホテルなだけあってつるつるしたシルクで出来ていた。
「朔くん、わたしちょっと酔っちゃったぁ」
「ちょっとじゃないでしょ、途中で止めたのにあんなに飲むから。ほら、お水たくさん飲んで。頭は痛くない?薬も用意したけどいる?」
「うーん、大丈夫。だから手、握ってて」
「いっちゃん、僕は酔っ払った君に酷いことしたくないから我慢するけどイタリアについたら容赦しないから覚悟しておいてね」
「覚悟…?わかったぁ」
頭を撫でる朔くんの手が気持ち良くてわたしは意識を手放したのだった。
「いっちゃん、ほんとに悪い女だよ、いつも後ちょっとってところでするっと逃げちゃうんだもん。僕はこんなに君のことを愛してるのに。いっちゃんにも同じくらい好きになって欲しいよ。ねぇ、いっちゃん、大好きだよ」
目が覚めると朔くんがテキパキと荷物をスーツケースに詰めていた。もうガウンじゃなくて黒いニットに濃い色のデニムに着替えていた。そういえば昨日は食事が美味しくて飲みすぎたことを思い出した。多分2本頼んだワインの殆どをわたしが飲んでしまった。しまったという顔をすると朔くんは大きなため息をついた。
「おはよう、いっちゃん。あと30分で朝ごはんだよ。部屋に運んでもらうからそんなに急がなくても良いけど僕になんか言うことない?」
「えーっと、飲みすぎちゃってごめんね。着替えも朔くんがやってくれたんだよね?」
「他に誰がいると思う?君が出来なさそうだったから仕方なく僕がやらせて頂きました。せっかく夜景が綺麗な部屋を取ったのにいっちゃん全く起きなくて呆れたよ。いっちゃんって絶対僕の思い通りになってくれないよね?せっかく卒業祝いだったのに飲みすぎて寝ちゃうなんて思わなかったよ」
「返す言葉もありません…」
「荷物も全部まとめといたから。12時発の新幹線の指定席予約してるから11時には駅に行ってお土産選ぼう。おばさんはあんこ系、紗雪ちゃんはクッキー、おじさんはご当地ビールが良いでしょ?」
「さすがだねぇ、大正解です」
「何年お隣さんやってると思う?それに家族になるんだから好みの把握くらい当たり前でしょ?」
朔くんがこうやって何でも手際良く段取りをつけてくれると本当に駄目人間になりそうだった。わたしはおじさんとおばさんの好みを知らなかった。お姉さんは偏執的に林檎が好きだったから林檎だとは思うけど。小さい頃は良く箱で取り寄せた林檎のお裾分けを貰っていたなぁと思い出した。
「いっちゃん、今日の服用意したから着替えてね。洗面台の前の椅子に置いてあるから。あと、洗顔したら化粧水だけじゃなくて乳液もつけてね。」
「あ、ありがとう。わたしも一応着替え持ってきたんだけどな」
「良いから早く。ガウンのまま朝ごはん食べる気?10時にはチェックアウトするからね」
「はぁい」
朔くんはたまにお母さんみたいだ。本物の母じゃなくて創作物に出てくる概念上のお母さんみたいな面倒見の良さがある。
指示通り顔を洗って化粧水と乳液をつけて椅子の上にきちんと畳まれたブラウスとジャンパースカートに着替えた。下着とタイツまで新しいものが用意されていてギョッとした。サイズは紗雪か鬼さんのどちらかに聞いたのかもしれない。こういうことに慣れている自分に笑ってしまった。
「どうかな?こういうの初めて着るんだけど変じゃない?」
「すごく似合ってるよ。やっぱり骨格ナチュラルだからそういうの似合うね。いつもみたいな格好も好きだけどゆるめのシルエットの方がいっちゃんの持つ可愛さが引き立つね。ああ、ウエディングドレスはやっぱりエンパイアラインが良さそうだなぁ、ヴィンテージレースとかたくさん使って海外セレブみたいな…」
「おーい、朔くん戻ってきて。飛躍しすぎ。もうすぐごはんでしょ」
「ああ、ちょっと未来のこと考えてた。朝はパンケーキとオムレツとサラダとフルーツだからね。昼ごはんは駅弁買って新幹線の中で食べよう。そういうの好きでしょ」
「うん!良くわかってるね」
「当たり前じゃん。僕はいっちゃんのことなら何だって、いや進路についてはいつもわからないなぁ。将来的には僕のお嫁さんだけど」
ホテルのパンケーキは分厚くてふわふわでとても美味しかった。オムレツにはマッシュルームとチーズと玉ねぎとパプリカが入っていて見た目もあざやかでやっぱり美味しかった。
朔くんは相変わらず綺麗な食べ方でどんなことをしても様になるなと思った。昨日も思ったけどナイフとフォークの持ち方を直したみたいだった。
「朔くんナイフ右で持つようにしたんだ」
「仕事関係で食事するとうるさい人がいるから練習した。ペンとハサミは今も左で使ってるよ」
「別に僕が何利きで何型で何座でも迷惑かけてるわけじゃないのに左で使うのはマナーがとか言われると面倒だからね」
朔くんは何でも器用に出来る。でも、それは彼の努力による部分も大きい。確かに人より要領は良いけどそれだけではない。基本的に真面目で努力家で負けず嫌いなのだ。
食べ終わってから朔くんにメイクをして貰った。昨日よりは薄めだったけどやっぱり上手だった。ナチュラルメイクの工程が多いっているのは本当なんだなと思った。朔くんのひんやりした手が気持ち良かった。
自宅に帰ってからまた一悶着あったけれど無事に飛行機に乗ってローマに到着した。ビジネスクラスって広いんだなと感心した。前にハワイや沖縄に行った時のエコノミーとは全然違って空港にいる時点でラウンジがあって高そうだなと思った。ラウンジでお酒を飲んで機内でも飲もうとしたらお酒はもう禁止!と怒られてしまった。
映画で見たことがある場所で写真を撮ったり買い食いをした。美術館は朝一じゃないとすごく並ぶというので明日行くことになった。景色も綺麗でみんなお洒落だった。朔くんに全部お任せしてしまったけどすごく楽しい、わたしが決めてたらもっと観光地詰め込んでスケジュールがタイトになっていただろう。やっぱり朔くんはすごいなと思った。
「朔くんってなんか旅慣れてるよね、海外とか結構行ってるの?」
「いや、海外旅行は2回目、1回目は誰かさんのせいで1人でオーストラリア」
「ごめん…」
「まぁ、謝られても高校の卒業旅行は二度と戻らないけどね、一生許さないから」
「ごめんて」
「いっちゃん絶対そう思ってないでしょ、ほんと無神経だよね?初めての海外旅行は絶対いっちゃんと行くって決めてたのに中学生の時に家族とハワイ行ってるし」
「それはわたしのせいじゃないじゃん。まぁ、今回ちゃんと来れたんだから許してよ」
「やだ。絶対許さないから一生かけて償って」
朔くんは不機嫌だったけどディナーの前にホテルにチェックインして着替えることにした。用意されていたのはミモレ丈の黒いワンピースにジャケットとスマホとハンカチしか入らなそうなシルバーのクラッチバックと深いグリーンのパンプスだった。相変わらずこういうの選ぶの好きだなと思いつつ着替えた。朔くんといるときはわたしは彼の着せ替え人形だ。
「うん、良い。メイクも一回落としてやり直そう。ヘアアクセサリーも持ってきたから」
「え、落とすの?飛行機で一回落としてまたメイクしたのにまた落とすの?」
「寝るときはメイク落とさないと肌に悪いでしょ。機内なんてただでさえ乾燥するんだから」
「朔くんって美意識が高いよねぇ。職業柄かなぁ?見習いたいと思うよ」
「1ミリも思ってないこと口にしないでくれる?僕が言わなきゃ化粧水だけで済ませるくせに」
口ではブーブー言いながらも彼は慣れた手つきでクレンジングクリームで化粧を落としてスキンケアをしてから下地を筆にとって塗り始めた。
「いっちゃん、目、瞑って」
「はぁい」
「間抜けな顔、可愛いなぁ」
ちゅっと音がして唇に柔らかいものが触れた。化粧するためだと思ったのでちょっと驚いた。キス自体は慣れてきてたけど不意打ちはやっぱりびっくりする。目を開けると朔くんは嬉しそうにニヤニヤしていた。
「キスするときは事前に言って欲しいんだけど、心の準備とかあるし」
「僕だって進路を決めるときは事前に相談してほしいね。それにもう僕たち今年22歳になるんだよ、キスくらいもっと気軽にさせてよ。事前に言うといっちゃん地蔵みたいに固まっちゃうし」
「じっ、地蔵はないでしょ」
「地蔵だよ、たまに口も梅干し食べたみたいにキュッってなってるし」
「梅干し…朔くんそんなこと思ってたの?」
「僕が言いたいのはもっと慣れて欲しいってこと。結婚式でみんなの前でキスするのに地蔵じゃ困るでしょ?いっちゃんの地蔵姿の写真がたくさん撮られてSNSにアップされるなんて耐えられないからちゃんと可愛いキス顔の練習しようね」
ちゃんと可愛いキス顔って何だろうと思いつつも朔くんは結婚式で絶対ほっぺじゃなくて口にキスするということがわかった。朔くんがいる限りわたしは結婚情報誌の類は買わなくて良さそうだ。ドレスもスケジュールも余興も引き出物も完璧に選んでくれるだろう。わたしに出来るのは招待状の宛名書きとお金を貯めることくらいだろうか。あと、どうやら可愛いキス顔の練習も必要みたいだ。
メイクをして貰ってからタクシーでレストランに移動する。朔くんが選ぶにしてはカジュアルだったけどそれでも十分に高そうだった。
「ここ、すごく美味しいって社長にゴリ押しされたから一応ね。味の感想も言わなきゃだし」
「社長さんってどんな人なの?」
「普通のこってりしたおじさんだよ。今度紹介するね、結婚式の挨拶も頼みたいし」
「こってりかぁ、なるほどね。って結婚式なんてまだしないよ」
「え、じゃあいつするの?」
「わたしが大学院卒業して就職してすこし貯金が出来る様になってからかなあ?」
「そんなふうに言ってたらすぐ10年とかたっちゃうよ、いっちゃんもっとちゃんと将来のこと考えてよ」
「まあまあ、料理きたよ。美味しそう!早く食べよう」
朔くんは不満顔のまま前菜に手をつける。チーズやオリーブとサラミの大きい版みたいなものがカラフルで味も美味しかった。食前酒に出されたスパークリングワインもとても美味しかったけどあんまり飲むとまた朔くんが怒りそうなのでちびちびと飲んだ。
食の進む程よい酸味と柔らかい炭酸がすごく好みのワインだった。次にアサリのトマトソースのボンゴレロッソ、これまた茹で加減も程よくて絶品だった。今度は大きなグラスに注がれた白ワインが進む。
「はぁー、どの料理もため息出るくらい美味しい」
「次は魚料理と肉料理だよ、量が多いから半分こしようね」
「うん、楽しみ」
「いっちゃんって本当に美味しそうに飲み食いするよね、こんなにお酒が好きになるなんて思わなかったよ」
「朔くんはあんまり飲まないよね、好きじゃないの?」
「酔わない体質だからお酒じゃなくても良いんだよね、ジュースで全然構わない。まあ、人といる時は合わせるけど」
「そうなんだ、わたしの前ではあんまり飲まないよね?」
「僕が飲んだらいっちゃんつられて飲むでしょ?酔っ払いあんまり好きじゃないんだよ、いっちゃんだから我慢してるけど」
衝撃の新事実だった。そんな風に思われていたのかと驚いたと同時にこれからはお酒をちょっと控えようと思った。
それからチーズとサラダを食べてからデザートとコーヒーが運ばれてきた。大きな四角いプレートには色んな種類のケーキとフルーツとアイスと共にCongratulazioni, vi auguro tanta felicitàと書かれていて店員さん達が拍手しながら花束を渡して来た。
「コングラッチュレーションはなんとなくわかるんだけど他のがわかんないなぁ」
「…ありえない」
そしてどこからかマンドリンを持った男の人が現れて歌い始めた。わたしが突然の事態に唖然としていると朔くんがプルプルと怒りに震えながら叫んだ。
「何でキャンセルしたのに始まるの!ありえない!もうやだ、いっちゃんの前で全然格好付かないじゃん。卒業旅行って鬼門だよ、少し早いハネムーンのつもりだったのに」
朔くんは両手で顔を覆って俯いてしまった。そんな彼を見て店員さん達も空気を読んだのかささっといなくなってしまい、大きなケーキのプレートだけが残った。
「朔くん、顔上げて?」
「やだ」
「アイス溶けちゃうよ?」
「別にいらない」
「わたしが全部食べちゃおっかなー?」
「好きにすれば?」
「朔くん、機嫌直してよ。何でもするから」
「今何でもって言った?」
「わたしに出来る範囲なら…」
「何でもって言ったよね?今すぐホテルに帰ろう」
「疲れちゃった?そしたらタクシー呼んでもらうね」
「何でもしてくれるんだよね?」
「できる範囲だよ?」
「心の準備しておいてね?いっちゃん」
ホテルの部屋に入るとすぐに朔くんがキスをしてきた。いつもよりも深いキスで息が出来なくなる。
「朔くん、苦しい」
「いっちゃん、こういう時は鼻で息するの。本当に全然慣れないよね?可愛いけど」
「だって朔くんとしかした事ないし、朔くんだってそうでしょ?」
「そうだよ、いっちゃんのために守って来たからね。これからどうなるかわかる?」
「え?」
「初夜まで取っておこうって思ってたけどもう我慢やめる、おめでた婚っていっちゃんが嫌がるかなとか思ってたけどそれでもありだよねぇ?」
「なしなし!絶対なしだよ!そういうのは順序が大事だからね?ね?落ち着いて」
「大事にするから。僕に任せて」
「せめて、ちゃんと付けてください」
「なんだ、わかってるんじゃん」
朔くんはそう言ってからわたしをベッドに押し倒してニヤリと笑って身体中にキスをした。マーキングされてるみたいだなぁと思いつつも段々わたしの方も余裕がなくなってきた。これからこの人と一緒に大人になるのか、と感慨深かった。
「いっちゃん、大好きだよ。ずっと一緒にいてね、この日を迎えられてすごい嬉しい。いっちゃん、愛してる」
◇◇◇◇
「はい、お土産。朔くんは今日予定あるから来れなくなっちゃった。ごめんね」
「全然良いよ。いとちゃんに会えたしお土産も貰えたし大満足」
「あはは、喜んでもらえて良かった」
「いとちゃん何か綺麗になったね、もしかしてもしかしちゃう?しっかし、石花くんって顔は良いんだけど中身は結構愉快だよね。サプライズ失敗の話めちゃくちゃ面白いじゃん!2人が付き合ってるって聞いた時びっくりしたけどまさか前に聞いてた複雑な関係性の幼馴染が彼だったなんて世間は狭いよねぇ」
「ノーコメントです。朔くん結構外面良いのに鬼さんには隠しきれてないよね」
「それはねぇ、いとちゃんの親友だからじゃない?でも石花くんとは最初から気が合ったんだよね、私と石花くんちょっと似てるのかも」
「背とか髪の色は似てるけど中身は全然違うと思うけどなあ、朔くん結構粘着質っていうか怖いとこあるよ」
「私も実はそうだったりして」
「まさかぁ、鬼さんはそんな風に見えないけど」
「人間ってわからないもんだよー、まあ私は見たまんまの人格だけどね。そういえば4月からは寮じゃなくて石花くんと同棲するんでしょ?連絡きたよ。引っ越しそば楽しみにしてるね」
「気が付いたら丸め込まれてたんだよね、朔くんといるとなんかそういうの多いんだよねぇ」
「まぁ、仲が良いのは良い事だよ」
鬼さんはミニチュアのエッフェル塔を触りながらにっこりと微笑んだ。わたしは彼女がお土産を気に入ってくれたことがとても嬉しかった。
朔くんが借りたのは駅から徒歩3分の2LDKの新築マンションで家賃は1/3は絶対に払わせてと交渉してそこで決着がついた。何も言わなければ全部自分で払おうとするのでさすがに申し訳なく感じる。
各々の部屋があるのに朔くんはわたしの部屋のベッドでゴロゴロしてることが多かった。さっきから何度か勉強の邪魔をしてくるので手で追い払うジェスチャーをすると朔くんは不機嫌そうに口を尖らせた。
「いっちゃんさぁ、いつになったら僕のものになってくれるの?」
「えぇー、今の状況でそれ言うかなぁ」
「それって婚姻届出して良いってこと?ここ賃貸だから本籍はうちの実家にするね。早く家建てられるように頑張るから。あ、苗字変えたくないなら僕が薄田姓にしても良いよ。どっちの苗字でも字画の良い名前の候補もたくさん考えてあるから安心してね」
「朔くんってわたしのこと大好きだよね、本当に」
「当たり前でしょ。いっちゃんのこと大好きだよ。絶対に僕のこと捨てないでね、次逃げたら本当に許さないからね。ずっとずっと死ぬまで一緒にいようね。世界で一番幸せにするからね」
急にベッドから立ち上がってこちらに来て、いつかのように小指を絡めて指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ますと歌い出して無理矢理約束させられた。
わたしがため息を吐いてから指切ったと言うと朔くんがぎゅうぎゅうと蛇のように抱きついて来てそれから熱っぽい瞳でじっと見つめてきた。その顔を見てわたしは今夜も眠れなさそうだな、と思った。
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下のリンクから前作の指切りげんまん、嘘ついたら絶対に許さないに飛べるようにしました。