ページ20 地獄絵図(ヘルヘイム)
ふと空を見上げると普段よりもたくさんの星が瞬いていた。
夜の街が光を失い静寂に包まれてしまったせいだろう。
オレは不謹慎にもちょっと得をした気分になった。
不謹慎。
そう。オレ達はいつの間にか勘違いをしていた。
ここは安全地帯で自分はまだ平和な日本にいるのだと。
例えモンスターが来たところで、ここには自衛隊もいる。
病院を封鎖するのにも戦車が使われているらしい。
これなら何が来てもきっと彼らが何とかしてくれるだろう。
──そう高を括っていた。
星は自分がどれだけ輝いているかということに気付かない。
夜闇、唯一松明を焚くこの場所は星のように光を放つ。
その光は人ならざる者までも魅了し、惹きつける。
深淵からの使者は、一歩また一歩と確かな歩みで忍び寄っていた。
もはや安全地帯など、何処にも在りはしないと伝えるために──
『ブゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウンッッ』
平和な夜は唐突に終わりを告げた。
突然戦時中の空襲を彷彿させる警報が鳴り響いたのだ。
「な、なんだ!?」
ノエルの設定の話で盛り上がっていたオレは、その音にひんやりとするものを感じて椅子から立ち上がった。
周囲を見渡し喧騒に耳を傾ける。
近くでもオレと同じような行動を取る人が見て取れる。
そのただならぬ事態に少しでも情報を得よう誰もが耳を澄ませた。
冷や汗が頬を撫でる。
次第に辺りがざわつき始め、人々の視線はその音源へと収束し始める。
物々しい迷彩模様の車両が立ち並ぶすぐ隣に、灰と緑の間ぐらいの色合いの大きなのテントがある。
テント前には、一メートルはあろうライフルを肩に担いだ隊員達が横一列に整列しており、事態の重々しさをさらに深刻なものへと押し上げていた。
多くの視線に答えるように一歩前に進み出た強面の隊員が、拡声器を片手に重い口をようやく開いた。
『現在、病院入口にて大型の怪物と交戦中です。隊員の指示に従い速やかに避難を開始して下さい。繰り返します。現在、キィィィンッ──』
そうした説明の最中、事は起こった。
スピーカーから耳をつんざくようなハウリング音がし、その直後ミサイルでも降って来たかのような衝撃が病院全体を襲った。
あまりにも唐突過ぎる爆風と衝撃が、一瞬にして人々を包み込む。
オレは咄嗟に隣で座っていた佐伯さんの上に被さり、堪らず叫び声を上げた。
「うわぁあああああああああああああ!?」
大地が揺れ、耳を塞ぎたくなる破壊音と衝撃波が背中に叩きつけられる。
砂煙が辺り一帯を覆い隠すように舞う。
映画のワンシーンのような一幕だった。
オレは悪夢でもみているのだろうか。
程なくして衝撃が収まり、顔を上げるとそこには──
「ゴホッゴホッ、嘘だろ……」
「嫌ぁ……」
それ以上オレも佐伯さんも言葉が出てこなかった。
オレ達の目前には、数秒前とはまったく違う光景が広がっていた。
平和とは、こんなにも一瞬で崩れ去るものだろうか。
オレの知っている戦車と言えば10式戦車だ。
全長約九メートル、車幅約三メートルに車高二メートルちょいとややうろ覚えだが、その重量は四十トンを超える。
同一の物かはわからない。だが──
こともあろうか、その戦車がオレ達の居た広場を飛び超えて、病院の三階部分に直撃。そのまま一階までそこに居たであろう人々を巻き込んで崩落し、黒煙を上げて炎上していたのだ。
まるで砂の城を一思いに崩したかのような惨状だった。
爆風に混じって血や肉が焦げたような匂いが仄かに漂ってくる。
確か一階は広い待合所。
二階がガラス張りのテラスで三階から上は病室だった気がする。
運の悪いことに先程の警報で窓際に人が集まっていた。
縁石から向こう、より建物に近いところでは割れたガラスやコンクリート片が散乱しており、崩落に巻き込まれた人達がそこら中で血を流して倒れている。
どこからともなく上がる悲鳴。
火が付いたように病院全体が混乱に包まれた。
動ける者からなりふり構わず駆け出して行く。
「なんだよこれ……」
目に映る全てが阿鼻叫喚の有様だった。
倒れている者を放置して我先へと逃げ出す人々。
あまりの恐怖に立ち竦む者や嘆き崩れる者。
痛みに呻き声を上げる者達。
目の前に広がる光景に思わず放心していると、今度は病院の正門の方から大きな破壊音がし、火柱が上がった。
ここからだと避難民用の天幕がある第二駐車場を挟んで、四百メートルぐらい離れているはずなのに、もはや少しも安心できない。
あんなとこから飛んできたっていうのかよ。
大型のモンスターがまさかこれほどまでとは、誰が予想しただろう。
くそっ、そんなの避難所に来ちゃダメだろ!
「……助けないと」
今ならまだ助けられる人が居るはずだ。
誰も助けないならオレが。
呆然と歩き出そうとするオレの腕をガシリと、ノエルが掴んだ。
「ユウトッ、ユウトしっかりするのッ」
テーブルから身を乗り出し、必死に語り掛けてくる。
さっきまでの呑気な雰囲気から一転、どこか決意を宿らせた強い眼差しで睨みつけるようにして言った。
「救助なら他の者にも出来るの。戦士なら戦って助けるモノ。本当に助けたいと思うのなら、己が力を示すのッ」
有無を言わさぬ剣幕に思わず顔をしかめた。
力を示す? コイツは一体何を言っているんだ。
だがそんなオレの思考も空しく、彼女はテーブルに何かを叩きつけるとすぐに駆け出してしまった。
「これはさっきのお礼、先に行ってるのッ」
「お、おいっ!?」
人の話聞けよというツッコミを入れる暇もない。
一度も振り返ることなく、あっという間に見えなった。
「行くってどこにだよ……」
ノエルが置いていった物に目を落として、頭を抱えたくなった。
そこには、刃の部分が何かの皮で包まれた一本の短剣が置かれていたのだ。
柄のない真っ白な短剣。
持ち上げてみると思いのほか軽い。
まるで動物の骨を削って作ったような代物。
こんな物をなぜオレに渡すのか。
これを使って何をさせようというのか。
その意味がわかりたくない……。
──アイツは本当にわかっているのか?
相手は戦車をこんなとこまで投げ飛ばす、大型のモンスターなんだぞ。
あの時のゴブリンとはわけが違うんだ。
そんなところに短剣一本で、オレは行きたくなんかない。
てか、行かないぞ?
そんな義理も人情も、度胸すらオレにはない。
「影山くん……」
いやいや佐伯さん、そんな顔でオレを見つめないでくれ。
さすがのオレも出来ることと出来ないことがあると思うんだ。




