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―――そうして俺達はある場所へと飛んでいた。ふわりと長い髪が宙を踊る。まるで初めからそこに立っていたかのような自然さで俺達はその場に立っていた。テレポーテーションを使ったのはいつぶりだろう?懐かしい感覚に頬が緩む。
周囲に舞った魔力の粒子が空気に溶けるように煌ている。七色の宝石を細かく砕いてきらきらと散りばめたかのような幻想的なその光景は、俺の目には一つの絵画のように映った。
「綺麗だ」
純度の高い三人の魔力が綺麗に合わさった事でより幻想的な光景が美しく華やかな物に変わる。花が咲き、散っていくように魔力の粒子もさあっと風と共に消えていく。ああ、この世界にカメラがあったのならば、この美しい一瞬の光景も一枚の絵として残しておくことが出来ただろうに。
「儚いからこそ美しい、だったか」
それはいつかの時代、誰かが俺に言った言葉だ。その当時はどういう意味なのか全く理解できなかったけれど、今に至って漸くその意味が理解出来る。心を震わせる風景はいつの時代も美しく、そしていつかは消え去ってしまう儚さに満ちている。
「本当に美しいものだ」
今の俺には平均的な魔力しか無いからこそ、わざわざ三人の魔力を少しばかり使わせて貰ったけれど、今日は本当に良いものを見せて貰ったなぁ。もうこの場で帰ってしまっても良いと思える程に、家に居た時とは違い、俺の機嫌はすっかりと上向いていた。
瞼の裏に焼き付けた先程の光景を思い出して思わずため息が漏れる。と同時に、俺の視界にはこれまでとは全く別物の景色―――まあ、当たり前だけど―――が広がっていた。
「―――は?」
そう言ったのは誰だっただろう?
俺の両手を塞いでいた二つの手を放して周囲を見れば、見知らぬ森の中に聳え立つ巨大な門の目の前に俺達は立っていた。門の奥に見えるのは天を突くほどに高い塔と、三階建ての大きな建物だ。三棟の建物が凹型に並んでいるその建物は、恐らく魔法学院の教室等が入っている建物なのだろう。その背後に控えた建物は、他の建物よりも僅かに大きく横に長く広がっている。
研究棟か、或いは生徒寮か。いいや、癒術院の特別棟という可能性もあるな。
所々に地面に敷かれたレンガは赤く、細かく精緻な模様を描いている。恐らくは魔法学院全体にかけられた簡易的な魔法陣の役目も担っているのだろう。単なる装飾として見落としがちなレンガに魔法陣を隠すのは上手い手だ。恐らくはすべての模様を呼応させて初めて作動するタイプか。
思わずその模様に見入ってしまったが、流石に門の外から魔法陣を探るには限界がある。まあ後で確認すれば良いか。
「しかし大きいものだな。というかこの広さ、どれ位の広さがあるんだ?」
俺が普段暮らしている村や町を合わせても足りない程の広大な敷地が門を挟んだ向こう側へと広がっている。よく見ると、門を境にして魔法による結界が張ってあり、恐らくは魔法学院に所属する生徒ないし教師、又は用務員しか通行出来ないようにしてあるのだろう。
成る程、これがかの有名な魔法学院かと一人頷けば、横の方から呻くような声とともに、どさりと大きな音を立てて影が地面に落ちた。
ん? ああ、影ではなくライドだったか。もしかしてテレポート酔いでもしたのか?
「おいおい、大丈夫かよ」
呆れながら手を差しのべるけれど、腰が抜けたらしいライドは若干顔色を悪くしつつ門を指差してうわ言のように何かを口にしてた。本当に大丈夫か?
「えっ、あっ、はえ、えぇぇぇええ!」
「おいライド、声が大きすぎるぞ。少し声量を落とせ」
「あっ、ごめんなさい…じゃなくて! どうして魔法学院がこんな所にあるんですかっ」
「どうして、って」
何を言っているんだと首を傾げれば、背後に立っていたルーンとミハエルが何かを確認するかのように門の側に近付いた。酷く混乱した様子のライドと同じく、ルーンは動揺も露わに食い入るように門を見つめ、ミハイルは僅かに冷や汗をかきながら落ち着きのない様子で何かを確認している。
大丈夫か、と声を掛ける前に三人は何事かを話し始めた。そうすると、部外者である俺は自然と蚊帳の外になる。
しかし、そんなに混乱する程のものなのか?
三人がすっかりとその存在を忘れているらしい馬達の手綱をしっかりと握りながら、三人が落ち着くのを今暫く待つ事にする。何と言うか、仲の良いものだな。生徒と教師の距離が近いと感じるのは、数少ない魔法使い達の仲間意識が強いためなのだろうか。その辺りは幼年学校とは大違いだな。
「ここは魔法学院正門、ですね。これはまた……」
「はあ? 嘘、だろ?!」
「いえ、嘘ではないでしょう。恐らくは彼の魔法でここに飛んだと推測するべきですが、」
「―――有り得ないよっ。どうして一瞬でこんな所に飛ぶんですか!」
「いえ、有り得なくは無い筈ですよ。文献によればこのような高等魔法は数千年前の魔法使いが作ったものだと言われています。あくまでも伝説上のものではありますが」
「はぁぁああ?! じゃあ何か、あいつはその伝説の魔法とやらでここに飛んできたってか? 嘘だろうっ」
適当に話を聞き流していたが、いち早く立ち直ったのはルーンだった。何度か大きなため息を吐いた後、ルーンは勢いよく俺の側に近付いて来る。その乱暴すぎる足音がルーンの乱れた心情を表しているようだ。
「おい、あんた何したんだよ! というか全部吐きやがれ!」
胸ぐらを掴んで叫ぶルーンの声に思わず眉間に皺が寄った。全く落ち着きのない奴め。というよりこれじゃあ喧嘩を売られているように見えるんだが良いのか?
「お前、口が悪いぞ。何って決まってるだろう? テレポーテーションだよ。っていうか魔法使いならそれ位出来て当然だろうが。何を言っているんだ全く」
本当に呆れたとばかりにそう言えば、今度はライドが地面に腰を落としたままにじり寄ってくる。うん。少しだけ怖いし地面に尻もちをついているから綺麗なローブとズボンに土が付いてるぞ。一応剥き出しの地面ではないとはいえ、流石に汚くなるぞ。
仕方なく腕を貸してやって立ち上がらせれば、ライドはルーンと同じく俺の胸の中に飛び込んできた。その行動の突飛さに思わずのけぞってしまった俺は悪く無い筈だ。眉を潜めるな。ってか顔が近い。離れろっ。何故そこで顔を赤らめるのか分からないが、とにかく落ち着け、な?
「テレポーテーションって、どうしてそんな事が出来るんですか?! だって、だってレドガルスさんは魔法使いじゃ無いのでしょう?!」
「まあそうだなぁ」
「なら、どうして…!」
「落ち着けって、ライド。急いては事を仕損じる、って言うだろう?」
「何ですかそれっ。聞いた事もないです!」
「ん? 知らないのか、つまりだな…」
「そんな事はどうだって良い! さっさと説明しやがれ!!」
「おいおい、待て待て。とりあえずあれ、見ろよ」
今にも噛みついてきそうなルーンを宥めつつ、ライドとルーンの注意を門の奥へと引き付けた。
「まあ取り合えず、さ。魔法学院の正門で明らかにこんな不審者染みた事をしていたら衛兵に取り押さえられちまうから、そろそろ落ち着こうな」
「衛兵、って」
「あれだよ、あれ」
門の奥からこちらに向かって走って来る二人の男達は、明らかに物騒な気配を纏っている。少しだけ緩んだルーンの手をぽんぽんと叩けば、胸倉を掴んでいた手が漸く離れ、ライドは顔の色を悪くしながら門の奥を見つめていた。
まあ血相を変えて走って来る明らかに戦闘態勢が整っている衛兵達の姿をみれば、その反応も当然の事か。
「これはこちらの不手際ですね。さて、二人は少し下がって居なさい」
それまで何故か俺達の会話を精悍していたミハイルが俺達と門の間に割って入る。
さくさくと門の向こうに居る男達に手を上げて何事かを話すミハイルを横目に、まあ何というか、喋るまで逃がさないとばかりにじっとりと睨み付けて来るライドとルーンに仕方なく「後で話してやるから、兎に角後にしろ」と言って渋る二人を促した。
しぶしぶミハイルの側に寄る二人を眺め、どうしてこうなったと俺は心中唸り声を上げた。
*
兎も角学院長室へ向かいましょう、と言うミハイルの背を追いながら、俺の両脇で寄り添うように歩く二人を交互に見つめた。
「おい二人共、いい加減離れろよ。ここまで来たんだからもう逃げねえよ」
「でも、テレポーテーションで逃げる可能性もありますよね?」
「過信し過ぎだよ。というか、俺一人の魔力で飛べるような魔法じゃ無いし、そもそもこの魔法学院内での魔法の無断使用は禁止されてるんだろうが」
「……あんたも、一応常識ってもんがあったんだな」
感心したように言われても全然嬉しくないんだが。
「お前は本当に俺を何だと思っているんだ? なあ、ルーン・グラディウス?」
「勿論、規格外の得体のしれない男だよ。レドガルス・ホークさん?」
「全く可愛くねぇなあ。そう思わないか、ライド?」
「ええっ、僕に振ります? うーん、そうですねぇ。僕もレドガルスさんは普通の一般人には見えませんけど」
「買い被り過ぎだっての。俺は何処にでもいる普通の男だぞ?」
肩をひょいと竦めながらおどけるようにそう言うが、二人の疑わし気な眼差しは緩む事無く俺を射抜いている。全く意固地な奴等め。
「あんたもそう思うだろう? ミハイル・アラン」
「まあ、確かに外見は―――いえ、見た目の雰囲気だけは一般人そのものですけれどね」
「おいおい、あんたもか。全く今時の魔法使いは皆どうなんてんだか」
たかだか俺程度の人間に何を期待しているんだと思わずぶつぶつと悪態を吐くものの、ミハイルは苦笑するばかりで肯定も否定もしない。これ以上何か言っても無意味だなと三人の表情を見てとり、仕方なく話題を変えた先程から気になっていた事を聞く。
「所で学院長室ってのは何処にあるんだよ。もう十分は歩いた気がするぞ。ってか遠すぎだろ」
「もう直ぐ着きますから、今暫くお待ち下さい。っと、もうこの先の廊下の突き当りがその学院長室ですよ」
「分かった」
のっしのっしと歩みを進める俺は、少しばかり空気の色が変化した事に気が付いてはいなかった。
―――それは、些細な変化だったように思う。ミハイルが学院長室をノックし、俺達は連れ立って学院長室へと入室した。その瞬間、何かが割れる音と共に俺の顔の隣を鋭い空気が走り抜けていく。
「ひい!」
叫んだのはライドだった。
けれど次の瞬間には何かが割れるような音が響き、俺は相変わらず学院長室の入り口に立っていた。
「手荒い歓迎をどうも」
嫌味たらしくそう言えば、学院長室に居た三人の男達は驚愕の表情を浮かべてまじまじと俺を見つめている。おい、覚悟は出来てるんだろうな?
「もう帰っても良いか?」
「だ、だめです…!」
瞬時に俺の腕に抱き着いてきたライドを無意識に支えつつ、部屋の中に居る男達をじっと流し見た。ああ、もう本当に面倒だ。さっさと帰ってしまうに限る。そう思った瞬間、まるで俺の意思を瞬時に悟ったかのようにルーンが慌てた様子でライドとは反対側の俺の腕を掴んだ。その腕の強さに思わず体に力が入る。
ああ、もう。
なんとも不思議な事に、俺はその時、体の芯から脱力していた。本当に面倒臭いのは再びこの場所に連れてこられる事だろう。今度は王命という絶対的な力を用いて、だ。
「何でも良いから早く終わらせろ」
少々投げやり気味に俺は部屋の中に居る全員を睨み付けた。




