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―――あの悪夢のような日から一ヶ月が経ち、俺はにこにこと爽やかな笑みを浮かべるミハイルの先導のもと、癒術院を訪れていた。
いや、訪れていたというよりは、今日からこの癒術院の生徒として様々な癒術を学ぶこととなり、在籍する生徒の一人として、初日を迎えていたというべきだろうか。
まあつまりは結局の所、俺はあの日に国家癒術師としての資格を殆ど押し付けに近い形で授与され、その上で癒術院へと送り込まれたのだ。
国家癒術師としては歴代最年少での認定だとかで、一部の界隈では大盛り上がりしたらしいが、一般庶民である俺には関係の無いことで、俺は今日この日に至るまで、早急に身辺を整えねばならず、ここ一か月は不眠不休で働いていた。
勿論、余計な手間は全てあの長官やら院長やらに丸投げしたものの、牧場付きの我が家の管理を誰に任せるかで揉めて奔走したり、魔法で手を抜いたとはいえ、膨大な家の中のものの整理に何日も費やしたり、これまで集めていた貴重な薬草や生薬の類を整理したりと、兎に角時間が足りないと叫びたくなる程に忙しかったのだ。
それもこれも、癒術院が魔法学院と同様に全寮制であることが関係している。というか、あの家から癒術院までは遠すぎて、そもそも通える位置に無いのだ。
この世界に生まれてから早十五年が過ぎようとしているが、ここ一か月の間に十五年分の魔法を使った気がする。
というのも、俺自身がその必要性を感じなかったため、これまで魔法を使っていたのは、生活に関わる極僅かな部分だけだったのだ。それがここに来て、一気に魔法を使ってしまい、若干疲労を感じていた。それは魔力を使った事による疲労ではなく、精神的な疲労だ。
俺がこの世界で魔法に関わる何かの職業に就くことになろうとは、俺自身、思ってもみなかったことなのだ。
それがどうしてこんな事になったのか、今を以てしても分からずにいる。まあ結局の所、俺自身が人の情ってやつを見捨てきれなかったのが原因なんだろうけどな。
「レドガルスさん、如何なさいましたか?」
「別に何でもない。ってか敬語は止めろよな。俺は今日からあんたの…ってかあんたら教師の生徒ってやつになったんだから」
「それはそうなんですが…まあ、善処します」
「おう。ってか俺も敬語にしないといけないんだよな。あーミハイル先生、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」
「……なんだか似合い過ぎていて逆にうすら寒いですが、こちらこそよろしく。レドガルスさん」
「はい、先生」
にっこりと笑うオプションも付け足せば、ミハイルは複雑そうな表情でぶつぶつと何かを呟いていた。まあ、気にする程でも無いだろうけど。
実際の所、癒術院は高等魔法学院の中に組み込まれており、専門として癒術を学ぶ機関でありながらも、その実在籍している生徒は魔法学院の生徒で占められており、基本的に魔法学院で魔法や癒術の基礎を学んだ後に特に適性を持つ生徒だけが上級癒術を学ぶことを許された、いわば魔法学院の専攻科のような位置にあるらしいのだ。
まあ勿論、癒術院なんて名前が付く位だから、その専攻科過程―――あくまでもこれは比喩だが―――を受講し、国家癒術師の資格を得た研究者達も複数在籍しているらしい。
とはいえ、将来有望な若手研究者達は国家癒術師の資格認定後、直ぐに王城の典薬寮に出仕してしまうため、今現在、癒術院に所属している研究者達はごく僅かなものらしいのだが。そもそも国家癒術師は、国の認定を受けた者達であるため、実際の所属は王城の典薬寮癒術部門にあり、辞令が下りれば例え癒術院で研究を続けていたとしても異動しなければならない制約を持っている。
面倒なことに、国家癒術師という存在は貴重な為、その人事権は国が管理しているのだ。
かく言う俺自身も、しっかりとその枠に収まってしまった訳だが。
なんて面倒な立ち位置に来てしまったんだと頭を抱えたくなるが、もうここまで来てしまっては後戻りも出来はしない。
かくして俺は、異例の編入学という形で癒術院に入り、魔法学院専攻科―――何度も言うが比喩だ―――にその身を置くこととなった。
これがどれ程異例の措置であるのかは俺自身理解しているつもりだが、この措置を講じたのが典薬寮癒術部門長官であり、その上に立つ王太子が直々に指示したものであるため、誰も文句は言えないらしい。
まあ、そんな訳で俺は何一つとして試験を受ける事無くここまで来てしまった訳だが、ミハイル曰く一応試験らしきものはした筈だ、ということらしい。
「レドガルスさんが覚えていないのも仕方がありません。魔法に関する知識を計るために記入して欲しいと言った書類があったでしょう? あれが試験ですよ。まあ、レドガルスさんにとっては試験にもならなかったようですが」
「成る程、そうだったのですね。言われてみれば答案用紙形式でしたけど…まさか試験だとは思いませんでした」
「一応、あれは編入試験用の難問を出している筈なんだが…」
ふうっとため息を吐くミハイルを横目に、俺は答案用紙を思い出しながら答える。
「確かに捻った問題ではありましたけど、あれ位なら10人中5人は満点を取れるレベルでしょう」
「いや、流石に半数は無理です…というか、レドガルスさんが初めてですよ。試験をオール満点で突破した異例の編入生として、既にレドガルスさんの名前は魔法学院中に轟いていますし」
「……ちょっと待て。轟いて居る、だと? どういうことだ、ミハイル先生よぉっ」
言葉も荒くミハイルにぐぐっと詰め寄れば、ミハイルは苦笑して両手を上に上げ、降参のポーズを取る。
「言葉が崩れてますよ、レドガルスさん。まあ異例尽くめの編入生ですから、どんなに箝口令を敷いて居ても、噂話として学院内で広まってしまうのは仕方の無い事です」
「……帰っても良いか?」
「駄目に決まっているでしょう。もし今帰れば、王太子殿下との約定を破った罰として何が起こるか分かったものではありませんよ? 流石に私もそこまでは庇えませんし」
「くそっ」
そう悪態を吐けば、ミハイルは「まあ、お気持ちは分かります」と慰めて来る。いや、そんな慰めをされても、全然嬉しくないばかりか、怒りが増すだけだ。
「さて、そういう訳でさっさと手続きを済ませてしまいましょう。学院長がお待ちですよ」
「ああ」
ぶっきらぼうにそう言い放ち、俺は足音荒く学院長室へと急いだ。




