4月4日――入学式
――教室の、窓際の一番前の席。
俺の通う高校では大方女子の、苗字が「タ行かナ行」のやつが座っている。だから最初は「同じクラスの仲村って女子」くらいの印象しかなかった。
まさか席替えで偶然席が前後になるなんて、ありきたりでベタな展開になるなんて思ってもいなかったんだ。それに席が前後で何かが変わるなんて、思っていなかった。
四月、それは活気溢れる明るい季節。小・中学校の九年間を共に過ごしてきた友人と別れ、高校での新たな出会いが芽生える季節。無意識にも緊張感が高まってしまう。
おどおどとした様子で教室に入る姿は、まさに制服に着せられているようで、教師や上級生から見たら実に微笑ましかっただろう。
俺は思ったよりも早く学校に着いてしまって暇を持て余していたので、さっさと教室に入ってクラスメイトをちらりと盗み見ていた。幸いなことに席は廊下側の一番後ろ。後ろから見ている分には不審な動きでもなさそうだった。
どんなやつがクラスメイトになるのか、緊張と興味本位で頭はいっぱいになっていた。
朝のホームルームまでそんなことをしていて、可愛い子や背の高い子、同じ中学のやつやガラの悪そうなやつ等、いろいろな人が席に着いた。
男なんてもんは大抵すぐに打ち解けることができて仲良くなれる。自己紹介が終わってしまえば話の合いそうなやつに話しかけてみるもんだ。
だから俺も友達には困らなくて、黙ってても周りが話しかけてくれた。
でも女子は大変そうで、下を向いている子やスマホをいじる子が多かった。女子はグループとかあって面倒そうだな……と、そう思ってぐるりと見回して、見つけた。
前髪は横に流していて、つり目。正直言うと第一印象は怖かった。
誰とも話さないで窓の外をじっと見つめている、窓際の一番前の席の女子。人見知りなのか、とても居心地が悪そうだ。
それなのに俺は、そんな彼女のことが気になってしまった。
一目惚れとか、そういう類のものじゃないことは確かだったが、何故だか彼女だけに目を奪われてしまっていた。どうしてか数秒間は目を離す気になれなくて、窓の外に映った揺れる桜の木と彼女が俺の視界を支配していた。
「――ああ、あの子? 仲村瑠衣っつーんだよ」
入学式の帰り道、学校から街までのバスで、席が左隣の清水亮平に彼女のことを訊いてみた。彼女というのはもちろん俺が気になっている窓際の子のことだ。
「へえ……仲村瑠衣、か」
「俺中学が同じでさ、って、なになに? もしかして一目惚れしちゃったとか?」
清水は中学時代にサッカー部に入っていたらしく、爽やかな笑顔がよく似合う。そんな彼から仲村さんの話を教えてもらうと、どうやら彼女は吹奏楽部に所属していたらしい。
確かに彼女が楽器を演奏している姿は絵になる……静かで聡明で気品がある雰囲気だ。
「いや、そんなんじゃねーけどさ」
にやにやと口の端を吊り上げている清水にそう答えて何気なく車窓から外を見ると、同じ中学だった子で今は他クラスになってしまった女子が、他の女子数名と楽しそうに歩いているのが見えた。あいつ……そういえば前もみんなから好かれてたな。
俺はどちらかと言うと社交的なほうではない。人見知りもするし自分から積極的になって話しかけるのも難しい。だから教室で清水が「なんか緊張するよなー」と笑いながら話しかけてくれたことに心の底から感謝している。
「そうか? でも仲村いいやつだぞ。前は眼鏡だったんだけどさ、コンタクトにして可愛くなったし」
仲村さんと話してみたいな……。どんな子なんだろう。どんな風に笑うんだろう。どんな話をしてくれるんだろう。もっといろいろなことを知りたくて、彼女に近付きたくて。
「そのいいやつって性格じゃなくて顔じゃん……」
「っはは! 確かに」
清水は「でも性格もほんといいやつだからな」と言って、ニッと笑って見せた。高校に入って初めての友人が仲村さんのことを知っていて、しかもいい話も聞けた。
少しだけ、これから始まる一年が楽しみになってきた。
入学式から一日経って、各授業の一年の流れやホームルームで担任の自己紹介等が行われた。今日もやっぱり仲村さんは人見知りを発動していて、誰とも話す様子がなかった。
そんな中で、家庭科の授業で自己紹介をすることになった。昨日のホームルームでしたのに……という声も上がったが、家庭科の山崎先生曰く「私も皆さんのことを知りたいので」とのこと。
それならば仕方ないといった様子で出席番号一番の男子から立ち上がって自己紹介が始まって、六番の俺はすぐに順番が回ってきた。
「えっと、神崎優飛です。スポーツは全般好きで、中学の頃は日曜日によく兄とキャッチボールとかやって遊んでました。一年間よろしくお願いします」
なるべく昨日言ったことと被らないような内容を選ぶと、俺には兄さんのことを話すしかなかった。我ながらいい紹介ではなかったなと思ったが、女子からは「へえ……」という声が上がっていた。
とりあえずホッと一息ついて例の彼女に目をやると、発表者のほうに体ごと向けて話を聞いていた。たぶん窓際に背中を向けても人はいないし、というのもあるのだろうが、それは彼女の優しさ以上のなにものでもないだろう。
ますます彼女に惹かれた。たったこれだけの出来事で心は簡単に揺らいでしまう。
恋は盲目。
そんな言葉をよく耳にするが、もしもこれを恋だとするならば、そうなのかもしれない。実際、俺は彼女のことを目で追いかけるだけで、他のことに目がいかない。
今日も彼女は誰かと話す様子がなく、そのまま帰ってしまう。そう思っていた。
それなのに――。
「あ、仲村。クラスどうだよ?」
下校時、偶然玄関で彼女を見つけた俺はその現場を見てしまった。
「うーん……まだ全然みんなと話せなくて」
たぶん、きっと中学が同じ男子なのだろう。気軽く話している様子が見ているだけで伝わってくる。
「そっか。頑張れよ」
「ふふ……うん」
はにかんだ表情で困り顔を浮かべた彼女に、心臓が高鳴った。
こんな顔で笑うんだ……。こんな風に話すんだ。普通に会話ができているこの男子が羨ましい。俺も――俺にもこういう何気ない会話をするチャンスがほしい。
数秒間そこから動くことができず、去ってしまった彼女の背中を追いかけるだけで精一杯だった。
――そうか。そうなんだ。
きっとこれは恋に近くて、けれど恋と呼ぶにはもったいなくて躊躇してしまう、そんななにかなんだ。
片想いの手前で――いや、まだ話したこともないのにこんなに気の早い思考はないだろう。でも、そんなことはわかっているのに、彼女のことで頭の中は埋め尽くされる。
これからこの一年で話せるかもわからないのに、あんな話をしたら……と思うことをやめられない。
少しだけでもいいから話してみたい。そう思って握った拳の熱はいつもよりも遥かに高く、心臓は先ほどとは比べものにならないくらいにうるさかった。