毒蛇の影と、沈黙の晩餐
カイルに案内された聖女の居室で、リナが運んできたスープを飲み干した後、あたしは少しだけ身なりを整えてから、ディスカール伯爵が待つ食堂へと向かった。
並んだ料理はどれも美味しそうだった。
そりゃ、現代の料理と比べたら申し訳ないけど、それでも今のあたし食欲をそそるには、十分すぎるほどだった。
けれど、席についた伯爵の顔は、今までに見せた中で一番険しく見えた。
「……スズネ様。 まずは改めて、我が領へお越しいただいたことに感謝を申し上げます。 そして、食事の席でこのような無粋な話をせねばならぬ無礼をお許しください」
伯爵は申し訳なさそうに、深く頭を下げた。
「いえ、気にせずに続けて下さい」
あたしは、できる限り精一杯の作り笑いを浮かべた。
(難しい話されても、正直あんまり分かんないと思うけどなあ……)
だって、あたし18歳の女子高生よ?
ぶっちゃけ、あたしが聞ける相談なんて、同級生の恋愛相談くらいなものだ。
まあ、あたし自身、お付き合いしたことはないんだけども……。
そんなあたしの気持ちに気づかずに、伯爵はこの領地が置かれた現状を語り始めた。
「単刀直入に申し上げます。 この領地は今、崖っぷちにあります」
伯爵の鬼気迫る勢いに、あたしは思わずフォークを止めた。
「我が領の命運を握る魔導錫――魔力を増幅させる希少な金属ですが、現在、その鉱山が原因不明の呪いに侵され、採掘不能となっています」
「呪い……? 鉱山が、ですか?」
「ええ。 さらに隣領のヴォルガス子爵が、これを、「領主の不徳ゆえに女神が怒っている証拠」だと言い回っているのです。 街道に魔物を放ち、物流を止め……。 彼は教会の権威を後ろ盾に、我が領の採掘権を強引に奪おうと画策しています」
「伯爵様。 そのヴォルガスって人が犯人だって分かってるなら、捕まえちゃえばいいんじゃないんですか?」
あたしの素朴な疑問を投げかけた。
「それができれば、どれほど楽か。 ……彼は中央教会の大司教を金で抱き込んでいる。 私が彼を告発すれば、逆に教会への反逆とみなされ、この領地は潰されるでしょう......」
あたしは驚いてアルを見たが、伯爵の話など聞いてないように平然と高級な肉を突っついていた。
鉱山の呪いに大司教。
リナが言っていた「忙しくなる」の正体は、これだったのか。
「大司教……って、教会のすごく偉い人ですよね? その人が来たらどうなるんですか?」
「彼らは民衆の前で、貴女様に錫の浄化を命じるはずです。 もし失敗すれば、私は領主の座を追われ、貴女様は偽聖女を騙った大罪人として――処刑台に送られることになります」
処刑。
その重すぎる言葉に、喉を通ろうとした肉が砂のように感じられた。
これは、そう簡単に解決できる問題ではない。
さすがに、勉強は苦手なあたしにでも分かる。
敵が大司教という、この世界の絶対的なルールを味方につけてしまったから、手も足も出せないのだ。
「……スズネ様。 不遜を承知でこの通りです。 どうかあの錫を、貴女様の力で浄化していただきたい」
伯爵が深く頭を下げ、カイルも床が鳴るほどの勢いで膝をついた。
あたしは、隣で能天気にデザートを狙っているアルの脇腹を、テーブルの下で軽く蹴飛ばす。
(……ねえ、これ本当にやるの!? 失敗したらあたし、偽聖女として殺されるんだけど!?)
『いてっ……! 大丈夫だって。浄化なんて、君の魔力をちょっとぶっ放すだけで終わるよ。 ……まあ、加減を間違えると大変なことになるけどね』
アルはニヤリと笑い、脳内にだけ声を響かせた。
『楽しみだねぇ。 聖女様がどんな奇跡を見せてくれるのか。 ……さあ、冷めないうちに食べなよ。 これからは、本当に忙しくなるんだから』
伯爵の必死な目も、カイルの暑苦しい期待も、アルの無責任さも全部、今のあたしには死刑宣告のカウントダウンにしか聞こえなかった。
あたしは震える手で、味のしなくなった肉を無理やり喉の奥へ押し込む。
……帰りたすぎる。
逃げ出したいのに、窓の外はもう真っ暗。
あたしは、冷めかけたスープを泥のような気分ですすりながら、「これから、忙しくなる」と言った、リナのあの不敵な微笑みを思い出していた。
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