氷の魔女 VS 勇者
あたしたちが足を踏み入れたその大広間は、静寂そのものが凍りついたような場所だった。
地下だっていうのに、その大広間は驚くほど巨大で、奥の方には底の見えない巨大な穴が口を開けていた。
角度のせいもあって、ここからじゃどれほどの深さがあるのかまでは、到底窺い知ることなんてできない。
ただ、その奈落の手前には、何かの儀式にでも使うような祭壇が鎮座していた。
そこには大きな青白い光を放つ玉が、まるでそれ自体が意志を持っているかのように、静かに宙に浮かんでいる。
そしてその祭壇の前で、玉に手をかざしていた人物が、あたしたちの気配に気づいたのか、ゆっくりとこちらを振り返った。
銀色に輝く長い髪に、透き通るような白い肌。
キリッとした目元と凛とした顔立ちは、どこか近寄りがたいほどの美しさを湛えている。
白銀の鎧を纏って佇むその姿は、おどろおどろしい魔女というよりも、むしろ気高い騎士と呼ぶほうが相応しい、凛然とした立ち姿だった。
「これが魔女?」
あたしは思わず目を疑った。
(嘘でしょ?魔女っていうからには、もっと鼻の曲がった年配の女性かと思ってたんだけど……)
「何の要件だ。ここは立ち入り禁止なのだが――」
魔女セレナの威厳のある声が、ひんやりとした大広間に響き渡る。
「街を救いに来ました」
レオが一歩前に出て、鋭い手つきで剣を構えた。
腰を低く落とし、いつでも斬りかかれる体勢でじりじりと間合いを詰めていく。
「街を救う、か。ゼノからは何も聞いていないのか?」
セレナは少し悲しそうな、どこか諦めに近いような口調で言った。
「ええ、聞いてますとも。――あなたがこの街を凍らせている魔女だってことはね!」
レオはそう言うや否や、目にも止まらぬ速さで切り掛かっていった。
「魔女か。……ゼノめ」
吐き捨てるようにそう呟いたセレナの瞳に、一瞬だけ鋭い光が宿った。
そして、セレナは素早く腰の剣を抜くと、レオの剣を正面から受け止めた。
キィィィン、という高い金属音が、静まり返った大広間に響き渡る。
それから二合、三合とお互いの剣が火花を散らせた。
激しくぶつかり合うたびに飛び散る火花が、周囲を覆う青白い氷の壁を怪しく照らし出していく。
(ちょっと、レオ!いきなり全力すぎない!?)
あたしは目の前で繰り広げられる、瞬きもできないほどの剣戟に、ただ圧倒されるしかなかった。
カイルが隣で「レオ殿の勝ちですな」と、まるで勝敗が決したかのような落ち着いた声で言った。
『どうやらセレナには、もうまともに戦うほどの力は残っていないようだね』
アルの冷静な分析が頭の中に響く。
(どういうこと?)
あたしがそう思う間もなく、セレナの左肩にレオの剣が深く当たり、鮮やかな血飛沫が宙に飛び散った。
「ひっ……!」
あたしは、目の前で起きているのが紛れもない殺し合いなんだと、そのとき初めて突きつけられた気がした。
……怖い。
あまりの恐怖に、腰が抜けそうだった。
いくら子爵や、奴隷商の連中をぶっ飛ばしてきたとはいえ、中身は所詮18歳の女子高生なのだ。
これまではアルの「殺させない」というあのお節介なリミッターのおかげで、こんな血生臭い結末にならずに済んでいたけれど、戦いとは、本来こういうものなのだ。
膝の震えが止まらず、喉の奥がカラカラに乾いていく。
「――お待ちください、レオ様!」
後ろから、突如険しい、聞き慣れた声が響いた。
振り返ると、入り口の扉の手前にリナが立っていた。
その場の全員の注目が、リナへと集まる。
レオとセレナの激しい剣戟さえも、彼女の放つただならぬ空気に水を差されたようにピタリと止まった。
「リナ?あんたどこいってたのよ!それより、待てってどういうこと?」
リナの顔を見て少しホッとしたあたしは、自分自身の震えを誤魔化すように、わざと大きな声で言った。
リナは乱れた髪一つなく、いつもの完璧な所作で一礼すると、冷徹なまでに落ち着いた声で告げた。
「本当にこの街を救おうとしていたのは、魔女……いいえ、セレナ様だったのですわ」
「な……。救おうとしてたのが、魔女?」
それは。自分でも何を言ったのかわからないくらい、小さく情けない声だった。
(それって、どういうこと?)
あたしの頭の中はハテナマークでいっぱいになった。
だって、ゼノさんは彼女が街を凍らせて支配してるって言ってたし、今の戦いだって……。
「……地下水路を検分いたしましたところ、地上の寒冷とは裏腹に、地下は明らかに異常な熱気を帯びておりました。火の精霊サラマンダー共が、我が物顔で闊歩していたほどにですわ。お嬢様、この街の地下では――今にも火脈が溢れ出さんと、無様に暴れ狂っているのですよ」
「な……。火脈が、暴れてる?」
リナの言葉を聞いた瞬間、あたしの脳内に最悪のイメージが浮かび上がった。
凍りついた街の地下で、ドロドロしたマグマのような熱いエネルギーが、今にも爆発しようとしている光景。
(ちょっと待って、それって放っておいたら……)
「ええ。そのまま放っておけば、この街は地下からの噴火で跡形もなく吹き飛んでいたでしょう」
リナが淡々と、けれど確信に満ちた声で続ける。
その言葉の重みに、部屋の空気が一気に凍りついた。
セレナに剣を突きつけていたレオが、少し震えるような声で呟く。
「リナさん、まさか……。彼女が街を凍らせていたのは、その火脈を抑え込むためだったというのですか!?」
レオの問いに、リナは静かに頷いた。
その視線は、今やレオではなく、その場にいないある男へと向けられているようだった。
皆の敵意が消えたことに安堵したのか、それとも限界だったのか。
セレナが糸が切れた人形のように、その場に崩れ落ちた。
レオに斬られた肩からの出血がひどいみたいで、白銀の鎧が赤く染まっていく。
そしてそれと同時に、祭壇の上に浮かんでいた水晶が、役目を終えたかのように音もなく落下した。
冷たい床に叩きつけられた水晶は、まるであたしたちの今後を占うかのように、不吉で不気味な音を立て、あまりにも、あっけなく砕け散ったのだった。




