氷の都アクアヴェーネ
あたしが絶望のどん底で頭を抱えていると、ソファに座る少年が申し訳なさそうにあたしを覗き込んできた。
「……あの、お姉さん?大丈夫ですか?どこか具合でも……」
少年が心配そうに、おずおずと声をかけてくる。
「え、ええ。大丈夫よ。ちょっと、これからどうしようって考えていただけだから、気にしないで」
あたしは慌てて顔を上げ、無理やり聖女の仮面を貼り付けた。
少年は、あたしたちを一人ずつ見渡すと、律儀に背筋を伸ばした。
「あの、助けてくれた皆さんの名前を伺ってもいいでしょうか。恩人として、一生忘れたくないので」
少年が浮かべたのは、キラキラとした、まるで人を疑うことを知らないような純粋な笑顔だった。
「えっと、あたしはスズネ。で、こっちの物騒なメイドがリナ、熱血騎士がカイル。この小さいのがミリィよ」
「スズネさんに、リナさん、カイルさん。それに、ミリィさん……。本当にありがとうございます」
そう言って、少年は少し申し訳なさそうに、小さく頭を下げた。
(めちゃくちゃ、可愛くていい子じゃない!素直そうだし)
だからこそ、胸が痛い。
良心がチクチクする。
加害者が「さん」付けで呼ばれ、恩人として感謝されるこの地獄絵図。
「改めまして、僕はレオンと言います。レオと呼んでください。……皆さんの親切に甘えるようで心苦しいのですが、どうかアクアヴェーネまで同行させていただけないでしょうか」
レオくんは顔色が悪いながらも、その瞳に強い意志を宿していた。
「いいわよ、レオくん。ちょうど、あたしたちもアクアヴェーネに行く予定だったし、乗せていってあげるわ」
あたしは、自分でも驚くほど慈愛に満ちた声でそう応じた。
本当は、今すぐハンドルを切り返して逃げ出したいんだけどね……。
「ありがとうございます!……ところでスズネさん、この馬車、さっきから窓の外が飛ぶように過ぎ去っていくのですが……。魔法、ですよね?」
レオくんは窓にしがみつくようにして、流れる景色を戦慄の眼差しで見つめている。
「そ、そうよ。あたしのとっておきの魔法だから!あんまり気にしないで、大人しく寝てなさい!」
あたしは運転席から振り返ることもせず、必死に平静を装って答えた。
「す、すごい……。王都の最速馬車でも、こんなに早くは走れませんよ!」
レオくんは、未知のテクノロジーに打ち震えながら、感極まった声を漏らした。
ああ、キラキラした尊敬の視線が痛い。
特別なのはあたしじゃなくて、この鉄の塊のスペックなんだけど、細かいことは気にしないことにした。
――それから、なんだかんだで丸1日が過ぎた。
アルのいうことには、このキャンピングカーには馬車に見える認識阻害の魔法がかかっている。
けれど、普通に考えてこんな雪に閉ざされた道を、普通の馬車が馬も息を切らさずに爆走してくるなんて、どう考えてもおかしすぎる。
街の前まで行くと、目立ちすぎて面倒なことになりそうだったので、あたしたちは街から少し離れた森の陰で車を降りることにした。
外は南の楽園とは思えないほど、激しく吹雪いていた。
まるであたしたちを拒むかのように、風がキャンピングカーの窓に叩きつけられ、不気味な風切り音を立てている。
あたしは意を決して、キャンピングカーのドアを開けた。
「……ッ!?ひぃっ!!」
一歩外へ出ようとした瞬間、全身を突き刺すような鋭い冷気が襲いかかってきた。
肺が凍る。
鼻水が結晶化する。
あたしはコンマ一秒で車内へ飛び戻り、力任せにドアを閉めた。
「無理無理無理!死んじゃう!あたし凍死しちゃうわよ!レオくん送ったらすぐに引き返そう!南へ!もっと南へ行くわよ!!」
ガタガタと震えながらあたしが叫ぶと、アルが呆れたように鼻を鳴らした。
『やれやれ。これだから現代っ子は……。スズネ、ちょうどいい魔法道具があるよ』
そう言って、アルがブレスレットから取り出したのは、掌に乗るくらいの小さな銀色のシールだった。
『マジカルウォーマー!なんと、これを体に貼るだけで、どんな極寒の地でも春の陽だまりのように温かくなるという、まさに人類の夢と言ってもいい魔法の防寒アイテムさ』
アルは自慢げに胸を張り、仰々しくその効能をうたい上げる。
「……つまり、魔法のカイロってことね。てか早くよこしなさいよ!」
あたしはひったくるようにシールを受け取ると、首筋のあたりにペタりと貼り付けた。
なんという事でしょう。
あんなに震えていた体が、じわじわと芯から温まっていくではありませんか。
「……はぁ。最高。もう一生これ剥がさないわ」
あたしは、湯船に浸かった後のような、そんな心地で呟いた。
文明の利器(魔法道具)を全員に貼りつけ、ようやく人心地ついたあたしたちは、そこから雪道を歩いてアクアヴェーネへと向かった。
たどり着いた巨大な氷の門の前。
本来は水の都と呼ばれていたはずの街は、門から建物までが氷に覆われ、死の街のような静寂に包まれていた。
あたしたちが門に近づくと、すぐさま上の見張り台から鋭い声が飛んできた。
「止まれ!何者だ!こんな吹雪の中を徒歩で来るとは……魔女の手先か!?」
見上げれば、氷の壁の上で弓を番えた男たちが、殺気立った様子であたしたちを見下ろしている。
あたしが「ひっ」と声を漏らして一歩下がると、隣にいたレオくんが凛とした足取りで前へ出た。
「待ってください!……僕は、勇者の宿命を継ぐ者、レオンです!この街を救うために来ました!」
その言葉が響いた瞬間、門の上がざわついた。
数分もしないうちに、巨大な氷の門が重々しい音を立てて開き、中から武装した集団が駆け寄ってくる。
その先頭に立つのは、整った顔立ちに爽やかな笑みを浮かべた青年だった。
「……勇者?まさか、本当に来てくれたのか!」
青年はあたしたちの前で、大きく手を広げた。
「私はゼノ。この凍てついた街を守る自警団のリーダーだ。待っていたよ、勇者殿!君こそが、この凍死寸前の街に残された最後の、そして唯一の希望の光だ!」
ゼノと名乗ったその青年は、レオくんの手を固く握りしめた。
そして、あたしたちの方へ向き直ると、驚くほど優しく、とろけるような微笑みを向けた。
「……そして、そちらの可憐なお嬢さん方も。こんな過酷な道をよくぞ勇者殿と共に歩んでくれたね。さぞかし寒く辛かっただろうに。……もう大丈夫。すぐに君たちが休める最高の場所を用意させよう」
(……え。なにこの人、めちゃくちゃいい人じゃない!)
ゼノの放つ圧倒的な包容力と、あたしを一人の女の子として気遣ってくれる態度。
それに、なんといっても爽やかフェイス。
あたしの心は一瞬で鷲掴みにされた。
(……救世主。この人こそが、あたしの求めていた真の救世主よ……!)
あたしはゼノのキラキラした瞳を見つめ返し、柄にもなく頬を赤らめながら、救いを見つけたような気持ちで深く頷いた。
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スズネたちのふざけたドタバタ劇を
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