無免許聖女と目覚めし勇者
「…………え?」
思考が一瞬でフリーズした。
勇者?勇者ってなに??
あの、テレビゲームとかマンガとかに出てくる、選ばれしアイツのこと?
(ちょっとアル、あんた何言ってるのよ。勇者なんて、そんなフィクションみたいな存在が、こんな道端に落ちてるわけないじゃない)
『いや。僕だからわかるけど、この世界で彼は紛れもない勇者として生まれてきている。今、彼にその自覚があるかはわからないけど、この先、魔王を倒すことになる予定の少年だよ』
アルは、あたしの肩の上で淡々と事実を告げた。
(……じゃあ、なに?あたしは今、将来的に世界を救うはずの勇者の卵を、物理的にはねちゃったってこと?)
『……そうなるね』
スケール感が、バグってない?
ただの人身事故かと思ったら、まさかの世界存亡の危機。
あたしのブレスレットから出てきた魔法の移動手段は、あろうことか一発目で世界の希望をはね飛ばしたのだ。
(アル、どうしよう……。ねえ、目を覚ますよね!?死なないよね!?)
『僕がみた感じ、目立った外傷はないみたいだけど……かなり頭を強く打ったみたいだ。このまま意識が戻らない可能性も、高そうに見えるよ』
(……っ!!も、もしよ?もし、この子がこのまま目を覚まさなかったら、どうなるの?)
答えを聞くのが怖いが、流石に聞かないわけにもいかなかった。
『魔王に対抗する手段を失った人類は、なす術もなく負けるだろうね。世界は魔王に蹂躙され、魔族が人を支配する時代がやってくるかもしれない。まあ、それを阻止しようとなると、君が代わりに戦うことになるかもね。なにしろ、この世界で魔王と渡り合えるのは、勇者を除けば君ぐらいなんだから……』
(えええええええええええええ!!)
何サラッと恐ろしいことを言ってるの、この毛玉は!
あたしが、魔王と戦う?
魔王ってあの魔王でしょ??
冗談じゃない。無理無理無理!!
あたしは南の果てで、誰にも邪魔されずに自堕落な隠居生活を送るって決めてるのよ!
(だったら、なんとしてでも助けなきゃ……!アル、何か方法はないの!?)
『唯一の手段は、スズネの加護で魂を直接修復することだろうね。
移動中、ずっと君のそばに置いて魔力を浴びせ続ければ、回復するかもしれない』
(加護……。でも、それって強く受けすぎたら、この子もあたしの眷属?ってのになっちゃうんじゃないの?)
それって、あたしが勇者より上の存在になるってことだよね?
…………。
あたし、裏ボスじゃん……。
『そうだね、この少年もカイル、リナ、ミリィたちと同じようにスズネの眷属になる可能性が高い。でも、彼が目覚めないまま魔王が来たらーー』
(あーっ!もう、わかったわよ!背に腹は代えられないわ!)
「リナ、カイル!その少年を手当するわ!中へ!」
あたしは半泣きになりながら、リナとカイルに意識のない勇者をキャンピングカーのリビングへと運び込ませた。
(……お願いだから起きて!あたしを魔王の前に立たせないで!)
ソファに横たわる勇者の手をぎゅっと握りしめ、あたしは少年の回復と、ーーそれ以上に自分の保身を、切実に、執念深く祈り続けた。
それから数時間。
あたしが祈るような気持ちで魔力を送り続けていると、不意に少年の指先がピクリと動いた。
けれど、彼が目を開けることはなかった。
アルが言うには「魂の修復にはまだ時間がかかる」らしい。
「……はぁ。起きてくれないんじゃ、ここで待ってるわけにもいかないわね」
あたしたちは、眠り続ける勇者をリビングのソファに寝かせたまま、ひとまずアクアヴェーネへと向けて発進することにした。
隣にはあたしがはねた世界の希望が、あたしの魔力に包まれてスヤスヤ眠っている。
(なんなのよ、この状況は。落ち着かなすぎるわよ……)
「お嬢様、ご安心ください。この少年は私たちがつきっきりで見ております。ですから、お嬢様はしっかりと前を見ていてください。これ以上事故を起こさないよう安全運転でお願いしますわ」
リナが背後から、励ましを投げかけてくる。
「うるさいわね、あんまり言わないでくれる?これでも結構、気にしてるのよ!?そもそもあたし無免許の初心者ドライバーなの!!」
あたしはハンドルを強く握りしめ、逆ギレ気味に応じた。
そんな不毛なやり取りを繰り返しながら、キャンピングカーは快適な揺れと共に街道を突き進んだ。
――それから、なんだかんだで丸1日が過ぎた頃だろうか。
慣れない運転とリナの過剰なプレッシャーで、あたしの精神ゲージが底を突きかけていた時。
ふとフロントガラスの向こうに目をやると、いつの間にか緑だった景色が、眩しいほどの白銀へと変わり始めていた。
(……ちょっと。南に向かってるはずなのに、なんで雪景色になってるわけ?)
嫌な予感に背筋を凍らせていると、背後のソファの方から「う、ううん……」という微かな声が聞こえてきた。
「起きた!?」
あたしが身を乗り出すと、少年はゆっくりと、焦点の定まらない目で天井を見上げた。
そして、傍らにいるあたしに気づくと、呆然とした様子で口を開いた。
「……ここは?ああ、そうか。僕は確か、道に飛び出した不注意で馬車にはねられて……」
「そ、そうよ!あなた、いきなり飛び出すんだもの、びっくりしたわよ!ほ、本当に、運が悪かったわね!」
あたしは泳ぎそうになる目を必死に固定して、聖女スマイルを張り付けた。
「……助けていただき、ありがとうございます。僕の不注意だったのに、こんなに手厚い看護まで……」
少年は体をさすりながら、あたしに向かって深々と頭を下げた。
そして、あたしたちを一人ずつ見渡すと、意を決したように声を落とした。
「実は、隠しておくつもりだったのですが……本当のことをお話しします。……僕は、この世界に生まれた時から定められた勇者なんです。まだ自覚したばかりの未熟者ですが……」
リナ、カイル、ミリィが、文字通りひっくり返らんばかりの絶叫をあげた。
そりゃそうだ。伝説上の存在が目の前のソファで寝てたんだから。
けれど、一人だけ異様に冷めた顔をしているあたしを見て、カイルが驚愕の表情で詰め寄ってきた。
「ス、スズネ様!驚かれないのですか!?勇者様ですよ!?この少年が!!」
「……え、ええ。そうね。すごいわね……」
知ってた。
あたしが事故した後に、この毛玉から嫌というほど聞かされたから。
あたしが内心で冷や汗を流していると、勇者と名乗った少年は表情を険しくして、旅の目的を語り出した。
「実は、僕はアクアヴェーネへ向かう途中だったんです。あそこには今、勇者の力が必要なほどの事件が起きていて……」
「えっ……?アクアヴェーネで事件?」
聞き捨てならない物騒な言葉に、あたしは思わず聞き返した。
「はい。あそこは今、恐ろしい氷の魔女の手によって完全に凍りつかされています。住民は寒さに震え、街は死に絶えようとしている。僕はその魔女を討伐しに向かうところだったのですが……」
少年は悔しそうに拳を握りしめた。
「このザマです。こんなところで時間を食っている場合ではないのに……」
少年の言葉に、あたしの顔から血の気が引いた。
あたしが隠居先に選んだ水の都は、いつの間にか、魔女に呪われた氷の街に変貌しているようだった。
しかし、そんなあたしの心を知らないカイルは、一人で鼻息を荒くして盛り上がっていた。
「勇者殿、それは怪我の功名というかなんというか。安心なされい!この鉄の馬車は驚異的な速さを誇っております。もう明日にはアクアヴェーネに到着する予定ですぞ!」
「えっ、本当ですか!?それは助かります!」
ぱぁぁぁ、と顔を輝かせる少年。
(……え?ちょっと待ちなさいよ。一ヶ月の道のりを三日で着いちゃうの?)
早すぎない?
あたしの心の準備、まだ一ミリもできてないんだけど。
あたしの横でリナは「南の太陽の下で、せっかくお嬢様の水着を拝めると思いましたのに……」と聞き捨てならないことを喚きながら悶絶していた。
リナは放っておくとして、魔女討伐?勇者?
なんでそんな面倒ごとが、あたしの行く先々にバラまかれてるわけ?
(……もうやだ。あたし、今すぐハンドル切ってUターンしたい……)
あたしは、ズキズキと痛み出したこめかみを押さえ、深いため息と共に頭を抱えた。




