自由貿易都市ポルターナ
「……思い出したくない。二度と、あのお風呂の惨劇だけは……っ!」
深い森を抜け、港の香りが漂い始めた街道の上。
あたしは頭を抱えて、その場にガックリと膝をついた。
三日前、マジカルテントでようやくありついた豪華なお風呂。
そこでリナに迫られ、挙げ句の果てには、助けに来たはずのカイルにドアをブチ破られ、しかも至近距離で、あの「抜剣」を見せつけられた。
っていうか、あたしの女子高生としての清らかな思い出が、泡と一緒に排水溝へ流れていった気がする。
「どうなさいました、スズネ様」
ヒヤリとする声と共に、リナが背後から音もなく近づいてくる。
気づけば、彼女の細い指先があたしの襟足を、まるで愛おしい玩具のように、執拗に弄んでいた。
……怖い。このメイド、あの事件以来、明らかに距離感がバグってる。
時折あたしを見る瞳の奥に、忠誠以外の何かが透けて見えるのが本気で怖いわ。
「な、なんでもないわよ!ちょっと人生の虚無を感じてただけ!」
あたしは飛び上がるようにリナから距離を取ると、前方を歩く金髪の背中に向かって叫んだ。
「ちょっとカイル!あんたも少しはシャキっと歩きなさいよ!」
けれど、カイルからの威勢のいい返事は返ってこなかった。
彼はまるで、全財産をスられたばかりの旅人のように肩を落とし、重い足取りで地面を見つめて歩いている。
「……ああ。スズネ様。私のような、あられもない姿で聖域を汚した、不浄の騎士に、そのようなお気遣いは無用です……。いっそ、そのマジカルな力で私を消し去ってくだされば……」
「いや、そこまで言ってないでしょ!っていうか、あんたの立ち直りの遅さ、なんなのよ!」
あたしは慌てて彼の背中をペシペシと叩く。
自意識過剰なのは知ってたけど、まさかこの間の抜剣を、ここまで、騎士の末代までの恥みたいに引きずるとは思わなかった。
「いい?もう済んだことなんだから!むしろ、あたしを守ろうとしてくれた結果なんだし……まぁ、その、勇気だけは認めてあげなくもないわよ」
精一杯のフォロー。
これで少しは元気を出してくれるかと思いきや。
「ふふ……。カイル様、聞き苦しいですわね」
背後から、リナが冷徹な、けれどどこか愉悦に満ちた声を被せてきた。
「スズネ様がどれほどお優しい心で包もうとしても、事実は消えませんわ。貴方は、あの湯気の中で無防備なスズネ様に、あろうことか『抜剣』して迫った……。あの時、スズネ様がどれほど怯えたお顔をしていたか……」
「リナ!あんた、わざと言ってるでしょ!火に油を注ぐんじゃないわよ!」
あたしは半泣きで、項垂れる騎士の襟首を掴んで引きずり始めた。
「やれやれ。君の供はどっちも極端だね。……でも見てごらんよ、スズネ。ようやくお目見えだ」
あたしの肩の上で、アルがもふもふの尻尾をパタパタと振った。
街道の先、丘を下りたところに広がるのは、見渡す限りの青い海。
そして、無数の船がひしめき合い、白い城壁が陽光を弾く巨大な港町。
「おぉぉ、海だぁぁ……」
自由貿易都市ポルターナ。
伯爵領のような閉鎖的な空気はない。
誰もあたしを、破壊の聖女だなんて指差したりしないはずだ。
あたしはギュッと拳を握りしめ、自分自身に言い聞かせるように呟いた。
「いい、二人とも。ここからは隠密が最優先。あたしはただの旅人。聖女とか、女神サクラとか、そんな話は一切ナシ。……地味に、平穏に、どこにでもいる美少女Aとして過ごすんだから!分かった!?」
「御意!スズネ様」
「承知いたしましたわ、お嬢様」
カイルは顔を真っ赤にし、リナは含みのある笑みを浮かべて恭しく頭を下げた。
……うん。全然、安心できない。
けれど、あたしは希望を捨てなかった。
魔法少女の悪夢は伯爵領に置いてきた。
今日から始まるのは、恋とオシャレと、たまに観光を楽しむキラキラな異世界ライフなんだから――!
そんなあたしの淡い期待を嘲笑うかのように、ポルターナは、初日から全力でこちらに牙を剥いてきた。
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