泡と乙女と抜剣と
目の前に広がるバスルームは、まさに圧巻だった。
大理石の床に、大人三人は余裕で入れそうなバスタブ。
壁のスイッチを押せば、適温のお湯が勢いよく注がれる。
おまけに棚には、見たこともない高級そうなボトルが並んでいた。
「ローズの香り……シャンプーもある!リンスまで!異世界に来てからずっとゴワゴワだったあたしの髪が、ついに救われるのね……!」
あたしは鼻歌まじりに服を脱ぎ捨て、たっぷりのお湯を張ったバスタブに体を沈めた。
「ふぁぁぁぁ……。極楽、まさに極楽だわ……」
ジャグジーの心地よい振動が、三日間の疲れを芯から解きほぐしていく。
これよ、これ。
あたしが求めていたのは、聖女の称号でも魔法の力でもなく、この清潔な平穏なの。
たっぷり泡立てたスポンジで肩を洗い、あたしが至福の表情で目を閉じていた、その時だった。
「――お湯加減はいかがですか、スズネ様」
「ぶふぉっ!?」
突然、真後ろから声をかけられ、あたしはバスタブに沈むところだった。
慌てて振り返れば、そこには湯気の中に佇む、一糸纏わぬ姿のリナがいた。
「な、なななな、何してんのよあんたぁぁー!!カギ、閉めたはずでしょ!?」
あたしの叫びなどどこ吹く風。
「メイドを甘く見ないでください。この程度の仕掛け、ヘアピン一本あれば十分ですわ。さあ、三日分の汚れを、毛穴の奥まで徹底的に洗浄して差し上げます」
リナは驚いた表情を浮かべ、手慣れた手つきで新しいスポンジを泡立てていく。
「なんという泡立ち......、そして、鼻をくすぐる高貴な香り。伯爵邸の高級石鹸ですら、これほどの密度はありませんでしたわ……。恐るべきはアル様の魔道具……」
「感心してないで出てって!プライバシー!乙女のプライバシー!!」
あたしが湯船の端まで逃げて叫ぶと、リナは無表情のまま、泡で真っ白になったスポンジを手に詰め寄ってきた。
「私も乙女ですが何か?同じ女同士、隠すものなど何もありはしませんでしょう。さあ、大人しくお背中を出してください。……それとも、二人で仲良く『洗いっこ』しちゃいますか?」
「言い方!その健全な単語をあんたが言うと、全然健全に聞こえないからやめてぇぇ!!」
リナが滑らかな動きでバスタブに片脚をかけ、あたしの逃げ場を完全に塞ぐ。
湯気の中で微笑む彼女は、無表情なはずなのにどこか妖艶で、漂うローズの香りと相まって、なんだか不可抗力な圧があった。
あ、これ詰んだわ……。
あたし、この変態メイドに襲われるんだ……
あたしはバスタブの隅で小さくなりながら、ふと思った。
冷静に見て、リナはモデル顔負けの超絶美人だ。
肌は透き通るように白く、スタイルも暴力的なまでにいい。
……まぁ、いいか。美人だし。
目の保養だと思えば、あたしもそんなに損はしてない気がするし。
うん、いっか!
あたしがなかば悟りを開き、されるがままに背中を差し出そうと覚悟を決めた、その時だった。
「スズネ様ッ!何事ですかァァーッ!!」
ドゴォォォォン!!
凄まじい轟音と共に、入り口のドアが破壊された。
バスルームの扉を開けて現れたのは、ずぶ濡れ姿で隠すものもなく、別の意味で「抜剣」しながら、手にした剣まで「抜剣」したカイル。
「…………あ」
「…………」
その場にいた全員が、一瞬で絶対零度に凍りついた。
「カイル様。……今、何を見ましたの?」
リナの低く冷徹な声が、バスルームの湿った空気を切り裂く。
「い、いえ、滅相もございません。スズネ様の聖なる輝きが強すぎて、何も見えておりませ――」
カイルは、己の不浄な目を隠すべきか、あるいは「抜剣」状態の股間を隠すべきか、完全にパニックに陥ってあたふたとしている。もはや剣士としての誇りはどこにもない。
「私のスズネ様の聖なる裸体を、少しでも視界に入れるとは……。そして、不埒なものを、スズネ様に露出するとは......。その不浄な目を、今すぐここでくり抜いてやろうかしら」
リナの瞳からは、文字通り殺気が立ち上っている。
っていうか、いつから、あんたのものになったのよ......。
手元には、さっきまであたしを洗おうとしていたスポンジではなく、なぜか凶器にしか見えない重厚な木桶が装備されていた。
「待て、待てリナ!落ち着いて!カイルも、その……早く何か隠しなさいよ!」
あたしの必死の制止も虚しく、リナの腕がしなやかに振り抜かれた。
「――死を!!」
――カァァァァァァァン!!!
バスルームに、かつてないほど澄み渡ったクリティカルヒット音が響き渡る。
カイルは白目を剥き、「ここが天界ですか……」という謎のうわ言を残して、そのまま後ろ向きにひっくり返った。
その顔面には、木桶の底の形がくっきりと刻まれていた。
「全員出て行けーーー!!!」
あたしの魂の絶叫が、防音設備を無視してテント中に響き渡った。
その勢いに圧されたのか、リナは「失礼いたしました」と優雅に一礼し、気絶したカイルの足を上がったばかりのマグロでも運ぶような手つきで掴み、そのままズルズルと廊下へ引きずっていった。
バタンッ!!
ようやく静寂が戻ったバスルームで、あたしは湯船に深く潜り込んだ。
静かになった室内には、ジャグジーのボコボコいう音だけが空しく響いている。
……なんなの、もう。あたしはただ、お風呂に入って、ふかふかのベッドで寝たかっただけなのに。
泡の隙間から天井を仰ぎ、あたしは深く、深いため息をついた。
「もう……バカばっかり……」
第25話をお読みいただき、ありがとうございます。
今回はお色気回でしたが、次から新天地への旅が本格的に始まります。
引き続き楽しんで読んでもらえたら嬉しいです。
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