マジカル・キャンプナイト
伯爵領を、夜逃げしてから三日。
あたしたちは街道を外れ、人気のない森の奥へと足を踏み入れていた。
「……もうダメ。一歩も動けない。お風呂……お風呂に入りたい……。石鹸の泡に包まれて、文明の利器を享受したい……!」
あたしは道端の大きな岩に、文字通り崩れ落ちた。
三日間の野宿。顔は拭けても体は洗えない。
女子高生としての精神衛生が、崖っぷちどころか既に落下を始めている。
「スズネ様!さあ、私の背中へ!このカイル、ポルターナまで不眠不休で走り抜けてみせます!」
「スズネ様、ここで立ち止まっては日が暮れます。さあ、立って」
暑苦しい騎士と、スパルタなメイド。
この二人、体力があり余りすぎじゃない?
こっちはメンタルもフィジカルも、とっくにレッドラインを振り切ってるっていうのに。
すると、あたしの傍らで呆れた顔をしたアルが、ひょいと肩に乗りながら言った。
『やれやれ。根性がないなぁ、スズネは。……仕方ない、とっておきの宿を出してあげようか』
「え、宿……?」
アルの言葉に、あたしは岩に張り付いたまま顔を上げた。
『左手のブレスレットに収納してあるから、豪華なテントをイメージして取り出してごらん。一応、認識阻害の魔法をかけてあるから、外からはただの茂みにしか見えないし、モンスターも寄ってこないよ』
……え。何その、至れり尽くせりな神アイテム。
(……アル、あんた。それを、なんで今出すのよ)
『え?だって、野宿三日目くらいの絶望した顔が一番面白いかと思って』
「この……っ!!」
怒りで震える手で、あたしはブレスレットを握りしめた。
言われた通り、最高級の、五つ星ホテルの快適さを備えたテントを強くイメージして、その魔力を引き出す。
「マジカルテント〜〜ッ!!」
脳内イメージは完璧。あとは四次元的な何かが解決してくれるはず!
次の瞬間。
バシュゥゥゥッ!という派手な音と共に、虚空から一軒家サイズの真っ白な巨大テントが出現した。
「な、なにごとですの!?」
「スズネ様、お下がりを!」
武器を構えて警戒する二人の前で、テントの入り口が自動ドアのようにスッと左右に開く。
あたしは二人を突き飛ばすような勢いで、その中に足を踏み入れた。
一歩踏み出したそこは、異世界の森の中とは思えない、冷暖房完備のロイヤルスイートルームだった。
ふかふかの絨毯、煌めくシャンデリア。そして――
「ちょっとアル!!今すぐ、そこに直りなさい!!」
あたしの怒号が、豪華なリビングルームに反響した。
『どうだいスズネ、この宿は。満足かな?』
脳内に響く暢気な声に、あたしの血管がピチッと音を立てた。
「満足なわけないでしょ!こんな便利なものがあるなら、なんで三日も黙ってたのよ!?あたし、この三日間、道端で丸まって腰を痛めて、おまけに顔を洗う水さえケチってたのよ!性格が悪すぎるでしょ!!」
あたしがアルに向かって激しく詰め寄っていると、後ろで控えていたカイルが、困惑と驚きが混ざったような顔でこちらを伺っていた。
「す、スズネ様?一体どなたと……。ひょっとしてアル殿と会話をされておられるのですか?」
カイルが不思議そうに首を捻る。
無理もない。
彼から見れば、主人が突然アルに向かってブチ切れているようにしか見えないのだから。
一方、リナの方はといえば、特に驚いた様子も見せず、とっくに気づいていましたよ、と言わんばかりに涼しい顔で立っていた。
『やれやれ。隠し通すのも限界か。……いいよ、スズネ。彼らにも教育が必要だ』
「……喋った!?」
カイルが裏返った声を上げ、その場に崩れ落ちるように膝をついた。
『僕はアル。スズネの守護精霊だ。……リナ、カイル。二人に改めて命じておこう』
アルの瞳が、いつになく冷たく、鋭く光る。
この場を支配する圧倒的な威圧感――
それは先ほどあたしと喧嘩していた、生意気なペットの面影など微塵もない、高位の存在特有の暴力的なまでのものだった。
さっきまで余裕だったリナの背筋も、一瞬で鋼のように伸びる。
『スズネには、あの日君たちが女神と呼んだピンク髪の魔法少女の力がある。これは僕が与えた力であり、森羅万象を司り、全知全能にして、神聖かつ不可侵な力だ。もしその秘密を外部に漏らしたり、彼女を裏切るような真似をした場合……。これ以上は言わなくても分かるね?』
それは、つまり「死」を意味するという、明確な宣告だった。
テントの中に、しばし誰も息をすることさえ許されない沈黙が落ちた。
(……ちょっとアル、設定盛り盛りすぎじゃない?森羅万象とか神聖不可侵とか、聞いてるこっちが死ぬほど恥ずかしいんだけど!)
あたしは心中で叫んだが、リナとカイルはそれどころではない。
二人は床に額を擦り付け、震える声で誓いを立てた。
「は、はいぃぃぃぃ!!命に代えても秘匿し、生涯スズネ様にお仕えいたしますわ!」
「我が魂を賭けて……!聖女様の尊厳を汚す不届き者は、このカイルが地獄の果てまで追い詰め、この剣の錆としましょう!」
……うん。
忠誠心が跳ね上がったのはいいんだけど、なんだか方向性がますます極端になった気がする。
『分かればいいさ。……さて、それぞれ個室で休んだらいいよ。右からカイル、リナ、中央がスズネだ。各部屋に専用のバスルームを完備してある。……さあ、ゆっくり休んで疲れを癒しておいで』
アルはいつの間にか、先ほどの冷徹な威圧感をどこかへ放り出していた。
いつもの、ただの不遜なペットに戻ったような顔で、リビングのふかふかなソファに丸くなった。
「……あぁ、もう。心臓に悪いわ。でも……お風呂。やっと、やっとお湯に浸かれる……!」
あたしは逃げるように個室へと駆け込み、ドアの裏側にある鍵を、カチャリと回した。
これでようやく、一人になれる。
そう。この時のあたしは、まだ知らなかったのだ。
どれだけハイテクな鍵でも、本気を出したメイドの前では無力に等しいということを。
いよいよ第二章の始まりです。
ポルターナへ向かうスズネ達一行。
この先、どうなるのか楽しんで読んでもらえると嬉しいです。
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次回、「泡と乙女と抜剣と」




