聖女、旅立ちの決意
翌朝。
あたしは、壁に大穴が開いたままの客間で、朝日を浴びながら硬いパンを齧っていた。
……朝日が目に染みる。
物理的に壁がないから。
静まり返る客間。
目の前では、伯爵が震える手で茶を啜り、必死に視線を泳がせていた。
「……あの、伯爵。本当に、昨夜のことは……」
「い、いやぁ!スズネ様、お気になさらず!」
食い気味の返答に何やら気まずい雰囲気が更に増すのを感じた。
「ヴォルガス卿の件ですが、昨夜のうちに悪事の証拠となる資料とともに、早馬を王都、並びにヴォルガス領へ飛ばしております。彼が断罪されるのは時間の問題かと」
あたしの後ろで、リナが淡々と報告を行う。
「それから鉱山の方ですが、これ以上人為的な妨害も入らないことが予想され、多少の時間はかかりますが速やかに浄化を行える見込みです。来月には採掘を再開できる運びになっております」
仕事が早すぎる!
あたしが寝ている間に、この街の政治的・経済的な後始末が、全部終わっている。
「これで我が領土も安泰ですな。いやはや、麗しき女神様のお力があれば、どんな悪党も塵芥に等しい!」
包帯姿のカイルが豪快な笑い声を上げた。
その瞳には、昨夜から続く「狂信的な何か」が宿っている。
「……そ、そうですな。ははは……。ところでスズネ様、屋敷の方ですが、修理など立て込みますので、食後は街の方にでもいかれてはいかがですか?」
早口で、流れるように伯爵が言った。
……。
…………お邪魔ですよね、あたし。
分かってる。分かってますとも!
壁に大穴を開けた女が、朝日を浴びながら優雅に朝食を食ってる図なんて、被害者からすれば地獄でしかないものね。
「あ……はい。そうですね。お騒がせしても悪いですし、ちょっと外の空気を吸ってきます……」
あたしは逃げるように席を立ち、逃亡者のような足取りで外へ出た。
けれど、街に出た瞬間に悟った。
――屋敷の中より、外の方が地獄だということを。
「あ……あそこにいらっしゃるのは……!」
「しっ、目を合わせるな! 噴水を粉砕した女神様だぞ!」
街の人々が、モーゼが海を割ったみたいに、あたしの前から左右へ避けていく。
畏怖。
圧倒的な、畏怖の視線。
中には、まだ新しい噴水の破片を大切そうに抱えながら、「これも浄化の証か……」と拝んでいるおじいさんまでいる。
(……アル、あたし、もうこの街に居場所がない気がするんだけど)
『いいじゃないかスズネ! これこそ聖女。畏れられてこその象徴だよ』
(あたしが欲しいのは畏怖じゃなくて平穏なのよ!)
歩くたびに聞こえる「ああ、あの方が……」というヒソヒソ声に耐えきれず、走って逃げてしまおうかと思った時、あたしの袖を何かが引っ張った。
振り向くとそこにはあの時の少女が、今にも泣きそうな表情で立っていた。
「お姉ちゃん、お父さんの仕事直してくれてありがとう!」
少女の澄んだ瞳が、あたしを見上げる。
そうだ、この子の父親は鉱山で働いているんだった。
あたしがヴォルガスをやっつけたおかげで、この家族の平和は守られたんだ。
あたしは、胸の奥がじんわりと熱くなり、涙がこぼれそうになるのを感じた。
「いいえ、どういたしまして」
人の役に立てた喜びを初めて実感して、温かい気持ちになりかけた時――少女が言った。
「でもね、お母さんが、あんまりお姉ちゃんと話しちゃダメだって。恐ろしい聖女様だって言ってた。……お姉ちゃん、本当はいい聖女様だよね?」
「…………」
白目を剥きそうになった。
恐ろしい聖女。
その言葉が、あたしの胸にクリティカルヒットする。
大人たちからは「破壊の女神」的な扱いをされているという過酷な現実。
「こら、失礼でしょ!」
慌てて母親らしき女性が飛んできて、少女をひっつかんだ。
「す、すみません聖女様! この子はまだ分別のない子供で! あ、あの、どうかその……家だけは壊さないでください!!」
「壊しませんよぉぉぉ!!」
あたしは絶叫しながら、今度こそ全速力で逃げ出した。
あんなに頑張ったのに。
あんなにフリルをなびかせて戦ったのに。
結果としてあたしはこの街で、「崇拝されるべき、触れてはいけない爆弾」になってしまったのだ。
――もう、ここにはいられない。
あたしが心から「旅立ち」を決意した、朝の出来事だった。
いよいよ次で第1章 伯爵領編、完結となります!
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