第7話 水路修繕、始動
朝は早かった。
空が白み始めた頃、俺は水路の崩れていた場所に立っていた。
人の気配は、まだほとんどない。
……来ない可能性も、十分ある。
ダルクは「明日の朝」と言ったが、
それは約束じゃない。
この領地で、約束は命取りだ。
俺は、一人で出来る準備だけを始めた。
崩れた石を一度すべて外す。
脇に積み、使えるものと使えないものを分ける。
力仕事は、正直きつい。
体は若いが、慣れていない。
それでも、止めない。
――見せるためだ。
直す気があるかどうかは、言葉じゃなく行動でしか伝わらない。
しばらくして、足音が聞こえた。
振り返ると、ダルクが立っていた。
手には、年季の入った木槌。
「……早いな」
「おはようございます」
俺がそう言うと、ダルクは小さく鼻を鳴らした。
「誰も来ていないな」
「ええ」
「それでいい」
ダルクは、水路を一目見て、眉をしかめた。
「前は、ここだけ石を並べて終わりだった」
「はい」
「土を締めていない」
「そうですね」
俺が同意すると、彼は少し驚いた顔をした。
「分かるのか」
「昨日、見ました」
余計なことは言わない。
ダルクは、しゃがみ込み、地面を指で突いた。
「ここを掘る。深く。
石の下まで、全部だ」
「時間がかかりますね」
「だから、今までやらなかった」
それだけの話だ。
作業が始まった。
土を掘り、湿り気を確かめ、
大きな石を底に据える。
ダルクは、必要以上に喋らない。
だが、動きは的確だった。
「この石は使うな」
「それは?」
「割れてる。次の雨でズレる」
その判断の一つ一つが、
今までこの領地で無視されてきたものだ。
しばらくすると、遠くから視線を感じた。
振り返ると、集落の方に人影がある。
誰も近づかないが、確実に見ている。
ダルクも気づいていた。
「……見せ物だな」
「ええ」
「今までと違うか」
「どうでしょう」
俺は、正直に答えた。
昼近く、汗だくになりながら作業を続けていると、
水が、ほんの少しだけ流れ始めた。
完全には通っていない。
だが、確かに、動いた。
ダルクが、じっとそれを見つめる。
「……久しぶりだ」
「何がですか」
「水が、仕事をしたのを見るのが」
その言葉に、胸の奥が少しだけ熱くなった。
午後、もう一人、近づいてくる人影があった。
中年の男だ。
道具を持っている。
「……手伝ってもいいか」
声は小さく、周囲を気にしている。
ダルクが、ちらりと俺を見る。
俺は、首を横に振った。
「無理はしなくていいです」
男は、一瞬だけ安堵したような、
それでいて残念そうな顔をした。
「……少しだけなら」
「では、そこを押さえてください」
俺がそう言うと、男は驚いた顔をした。
「いいのか」
「殴りません」
男は、短く笑った。
「それが、一番怖い言葉だな」
それでも、彼は石を支えた。
夕方、修繕は途中で終えた。
完全ではない。
だが、昨日よりは、確実に前進している。
水は、細いが途切れずに流れている。
周囲には、いつの間にか数人が集まっていた。
誰も拍手はしない。
歓声もない。
だが、皆、黙って水を見ている。
それでいい。
ダルクが、ぽつりと言った。
「……壊れにくいな」
「まだ分かりません」
「いや、分かる」
職人の言葉だった。
その夜、宿舎に戻る途中、子どもが走ってきた。
「水、来てた!」
声が、昨日より少し大きい。
「少しだけな」
俺がそう言うと、子どもは満足そうに頷いた。
少しだけ。
それで十分だ。
この領地では、
「少し」が、今までなかったのだから。
寝台に横になり、天井を見る。
今日は、怒鳴らなかった。
誰も殴られなかった。
でも、水は流れた。
それだけで、価値がある。
俺は、静かに息を吐いた。
ここからだ。
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