第5話 壊れた水路の真実
朝、集落が動き出す前に、俺は水路へ向かった。
誰にも声はかけない。
許可も取らない。
昨日の時点で分かっている。
聞けば、話は濁る。
なら、まずは自分の目で見る。
水路は、集落の外れから始まっていた。
いや、始まっていた「はず」だった。
実際には、途中で途切れている。
石を積み上げただけの簡素な構造。
ところどころ崩れ、土砂が流れ込み、完全に塞がっている場所もある。
「……ひどいな」
思わず、口に出た。
壊れ方が、自然じゃない。
豪雨で一気に崩れたのではなく、少しずつ、放置されて壊れていった形だ。
俺はしゃがみ込み、石の並びを確認する。
補修の跡がある。
だが――浅い。
表面だけ石を並べ、奥の土は固めていない。
これじゃ、次の雨で崩れる。
「……毎年、同じところが壊れてるな」
前世の記憶が、勝手に重なる。
応急処置。
その場しのぎ。
「とりあえず直しました」という報告のための仕事。
現場は分かっている。
これじゃ駄目だって。
でも、時間がない。
金がない。
怒鳴られる。
だから、やらない。
――正確には、「やれない」。
水路をさらに上流へ辿る。
丘の向こうに、細い水の流れがあった。
子どもが言っていた通りだ。
完全には枯れていない。
量は少ないが、今でも水は生きている。
「……もったいない」
ここから、ちゃんと水路を引けていれば、
少なくとも畑が全滅することはなかったはずだ。
その時、足音がした。
振り返ると、昨日話した老人が、少し離れた場所に立っていた。
「……何をしている」
警戒と、諦めが混じった声。
「水路を見ています」
俺は、正直に答えた。
「直せるかどうかを」
老人は、鼻で笑った。
「前の再建官も、同じことを言った」
「直らなかった?」
「直した“ことにした”」
その言い方に、引っかかった。
「どういう意味ですか」
老人は、しばらく黙っていたが、
周囲に人がいないのを確認してから、低い声で言った。
「壊れたら、直せと言われた。
直したと言わないと、殴られた」
……やっぱりか。
「ちゃんと直す時間は?」
「なかった」
「人手は?」
「集めると、税が増えた」
理不尽が、次々と繋がっていく。
水路が壊れる。
直す時間がない。
適当に直す。
また壊れる。
責任を問われる。
誰も関わらなくなる。
完全な悪循環だ。
「私兵は?」
俺が聞くと、老人は首を振った。
「彼らは、壊す側だった」
……だろうな。
「もう一つ、聞かせてください」
俺は、指で水路の崩れた部分を示した。
「ここ、誰が最後に直しました?」
老人は、少し考えてから答えた。
「……俺だ」
声が、震えていた。
「一人で?」
「そうだ」
「なぜ、誰も手伝わなかった」
老人は、苦笑した。
「手伝った者が、翌年いなくなった」
それで、皆やめた。
腹の奥で、何かがはっきりと形を持った。
怒りだ。
派手に爆発するやつじゃない。
静かで、重くて、逃げ場のない怒り。
「……ありがとうございます」
俺は、頭を下げた。
老人が、驚いた顔をする。
「礼を言われることは、何もしていない」
「教えてもらいました」
それだけで、十分だ。
老人は、何も言わずに立ち去った。
俺は、もう一度、水路を見る。
構造は単純だ。
材料も、現地で揃う。
問題は――
時間と、人と、恐怖。
でも。
「……直せるな」
独り言だった。
今日中に、直す必要はない。
一気に全部、やる必要もない。
まずは、崩れた一箇所。
ちゃんと、時間をかけて。
怒鳴らず、急がせず、
「壊れない直し方」をする。
それだけで、今までとは違う結果になる。
昼前、昨日の子どもが、遠くからこちらを見ていた。
目が合うと、少しだけ近づいてくる。
「……水、来る?」
小さな声だった。
俺は、即答しなかった。
「まだ、分からない」
嘘はつかない。
「でも、ちゃんと調べた。
直せる可能性は、ある」
子どもは、しばらく俺を見てから、こくりと頷いた。
それだけでいい。
この領地では、
軽い約束の方が、よほど残酷だ。
俺は、水路の崩れた部分に目印として石を置いた。
ここからだ。
初めて、
「やれば変わるかもしれない」と思えた場所に。
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