第4話 誰も本当のことを言わない
翌朝、霧がまだ残るうちに、俺は集落を歩き始めた。
目的は単純だ。
昨日見ただけでは分からないことを、聞いて回る。
だが――最初の家で、それが簡単ではないと分かった。
「水路が壊れた時期は、いつ頃ですか」
老いた男は、少し考えてから答えた。
「……随分前です」
「随分、というと」
「覚えていません」
次の家。
「壊れたのは、去年です」
「一昨年じゃなかったか」
「いや、その前だ」
答えが、揃わない。
嘘をついている、という感じでもない。
ただ、皆、はっきり言おうとしない。
「直そうという話は、出なかったんですか」
「出ました」
「なぜ、直らなかった」
女は、一瞬だけ視線を逸らした。
「……人手が、なくて」
人手。
確かに少ないが、それだけじゃない。
「私兵は、手伝わなかったんですか」
空気が、変わった。
女は、口をつぐみ、子どもを背に隠す。
「あの人たちは……」
言葉が、途中で消えた。
次に役所へ行く。
役所と言っても、建物があるだけだ。
中は暗く、埃が積もっている。
帳簿棚は空。
書類は散乱し、整理された形跡はない。
「管理は、誰が?」
奥から出てきた男に尋ねると、彼は曖昧に答えた。
「……皆で」
皆で、という言葉ほど、責任の所在が分からなくなるものはない。
「税の徴収は?」
「定期的に」
「帳簿は?」
「……必要ですか」
思わず、言葉を失った。
必要かどうかを、今ここで聞くのか。
「必要です」
そう答えると、男は困ったように笑った。
「前の再建官様は、そこまで求めませんでした」
ああ。
だから、こうなっている。
次に、倉庫番だという男に話を聞く。
「穀物は、どこへ?」
「税として、持っていかれました」
「どれくらい」
「……決まった量です」
「多かった?」
「……決まっていました」
質問を変える。
「余剰は、残らなかった?」
男は、首を横に振った。
「余るほど、作れませんでした」
それは、水が来ていないからだ。
因果は、はっきりしている。
なのに――誰も、そこをはっきり言わない。
昼過ぎ、兵舎の近くで、元私兵の一人に呼び止められた。
「おい、再建官」
昨日と同じ男だ。
酒の匂いが、昼間からする。
「村をうろつくな。余計なことを聞くな」
脅し。
だが、声は低く、どこか慣れている。
「領地の状況を把握するのが、私の仕事です」
俺がそう言うと、男は鼻で笑った。
「把握? そんなもん、もう終わってる」
「何が」
「この領地だよ」
言い切りだった。
「前の旦那は、力でまとめた。
それがなくなったら、何も残らねえ」
……違う。
力でまとめたんじゃない。
壊して、黙らせただけだ。
だが、ここで反論しても意味はない。
男は、ぐっと距離を詰めてきた。
「忠告だ。深入りするな。
聞きすぎた再建官は、皆、消えた」
消えた。
その言葉が、重く落ちる。
「……分かりました」
俺は、一歩引いた。
納得したわけじゃない。
今は、衝突を避けただけだ。
夕方、広場に戻る。
聞いた話を、頭の中で整理する。
水路は壊れている。
人手がないと言われる。
だが、私兵は手を出さない。
税は取られる。
帳簿はない。
誰も嘘は言っていない。
だが、誰も核心を言わない。
理由は、分かっている。
――言うと、何が起きるか知っているからだ。
怒鳴られ、殴られ、奪われる。
そういう経験を、ここに残った全員が共有している。
「……」
拳を、無意識に握っていた。
前世でも、同じだった。
問題を指摘すると、
「空気が悪くなる」
「余計なことを言うな」
と言われる。
そして、何も変わらない。
俺は、ゆっくりと息を吐いた。
怒鳴るのは、簡単だ。
だが、それをやった瞬間、ここは完全に閉じる。
なら、やり方を変えるしかない。
「……まずは、事実だけだな」
独り言だった。
感情や評価は後回しでいい。
誰が悪いかを決めるのも、今じゃない。
壊れている“物”を、先に押さえる。
水路。
倉庫。
道。
人は、まだ怖がっている。
なら、人じゃなく、物から触る。
それなら、嘘も沈黙も関係ない。
広場の端で、昨日の子どもがこちらを見ていた。
目が合うと、すぐに逸らされる。
……でも、逃げなかった。
それだけで、十分だ。
俺は、決めた。
明日、まず水路を調べる。
誰の許可もいらない。
ここに来て、初めて
「やること」が、はっきりした。
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