第3話 荒れ果てた領地
行政都市を出て、半日も経たないうちに、道の様子が変わり始めた。
石畳は途切れ、土道になる。
轍が深く、雨が降ればそのまま溝になるのが分かる。
馬車が揺れるたび、御者が小さく舌打ちした。
「この先は……整備が入っていません」
言い訳のような言い方だった。
確かに、ここはまだ帝国領だ。
正式な街道のはずなのに、補修された形跡がない。
進むにつれ、道端の様子も変わる。
最初は、手入れされた畑が点々と見えていた。
次に、雑草が増え、柵が壊れた畑が混じり始める。
やがて――畑そのものが消えた。
耕された跡のない土地。
放置されたままの農具。
雨風に晒され、錆びついた鍬。
「……ここは?」
「グラスト領との境目です」
御者が答えた。
境。
たったそれだけで、世界が切り替わったようだった。
見張りの小屋があった形跡はある。
だが屋根は崩れ、柱は傾き、誰もいない。
警鐘も、門もない。
「……通っていいんですよね」
「ええ。止める者も、止める理由もありません」
それはそれで、異常だった。
領地に入ったという実感よりも先に、
「見捨てられた場所に足を踏み入れた」という感覚が来る。
道はさらに悪くなる。
轍は溝になり、溝は沼になる。
馬車は減速し、御者は何度も馬をなだめた。
その間、誰一人としてすれ違わない。
商人も、旅人も、巡回兵も。
――誰も、ここを通らない。
ようやく集落らしきものが見えた頃には、
俺は無意識に歯を食いしばっていた。
木造の家々が並んでいる。
数だけ見れば、まだ村だ。
だが、近づくにつれ違和感が増す。
屋根の修繕は途中で止まり、
壁は板を当てただけ。
窓は塞がれ、扉は内側から補強されている。
――外から守る構造じゃない。
中に閉じこもる構造だ。
馬車が止まっても、誰も出てこない。
「……迎えは?」
「ありません」
御者は、もう慣れた様子だった。
俺は馬車を降り、地面を見た。
ぬかるみ。
足跡はあるが、古い。
最近、人が頻繁に出入りしている様子はない。
集落に足を踏み入れた瞬間、視線を感じた。
窓の隙間。
扉の影。
物陰。
だが、誰も出てこない。
「臨時再建官のレイ・サカモトです」
名乗っても、反応はない。
しばらくして、ようやく一人の老人が姿を見せた。
背中は曲がり、顔は痩せこけている。
「……また、来たのか」
それが、第一声だった。
「生活について、お話を伺いたいのですが」
老人は、短く息を吐いた。
「話すことは、もう話しました」
「前の再建官にも?」
「はい」
「変わりましたか」
老人は、何も答えなかった。
それが答えだった。
集落を回る。
倉庫は空に近い。
穀物袋は破れ、床には鼠の跡。
畑は――畑と呼ぶのもためらわれる状態だ。
雑草が伸び放題で、土は白く乾いている。
用水路がある。
だが途中で崩れ、土砂で塞がれている。
直されていない。
壊れたまま、何年も。
「水は?」
「来ません」
答えた女の声は、感情が抜け落ちていた。
「直せば……」
言いかけて、止めた。
前の再建官も、同じことを言ったのだろう。
兵舎に近づいた時、空気が変わった。
酒の匂い。
乱暴な笑い声。
中にいた男たちは、こちらを見るなりニヤついた。
「お、次か」
「今度は何日持つ?」
「賭けるか?」
剣に手をかける仕草。
止める者はいない。
――まだ、ここではこいつらが“力”だ。
俺は、何も言わずに引き下がった。
正直、腹の底が煮えくり返っている。
だが、今ここで何かしても、誰も守れない。
夕方、広場に戻る。
そこに、子どもがいた。
小さな桶を持っている。
中の水は、ほんの少し。
「それ、水はどこから?」
子どもは一瞬だけ怯え、それから丘の向こうを指した。
「まだ、細い流れが……」
まだ。
その言葉が、妙に引っかかった。
完全に終わっているなら、「ない」と言うはずだ。
それでも「まだ」と言った。
丘の向こうを見る。
確かに、地形的に水が集まりそうな場所がある。
用水路が、そこまで届いていないだけかもしれない。
夜、与えられた宿舎で一人になる。
今日見たものを、順番に思い返す。
道が壊れ、
人が消え、
畑が死に、
水が止まり、
暴力が残った。
これは自然災害じゃない。
偶然でもない。
――人為的な放置だ。
「……全部は無理だな」
自然に、そう呟いていた。
一気に変える力はない。
でも。
「一つなら」
一つだけなら、手を付けられるかもしれない。
水。
それだけが、今日見た中で
「完全に死んでいない」ものだった。
俺は、立ち上がった。
明日、まず水路を見る。
怒鳴らない。
約束もしない。
ただ、現実を確認する。
それしか、今の俺には出来ない。
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