第10話 増えた仕事、減らない人手
私兵がいなくなってから、領地の空気は確かに変わった。
怒鳴り声が消え、夜の見回りが減り、
誰かが殴られる心配をせずに外を歩けるようになった。
――それだけで、十分な前進だ。
だが。
「再建官様、これも見ていただけますか」
「こちらの倉庫なんですが……」
「水路の下流で、また詰まりが」
声は、減らなかった。
むしろ増えた。
今まで言えなかったこと、
言っても無駄だと諦めていたことが、
一気に表に出てきた。
俺は、それを断れなかった。
「分かりました。確認します」
「後で行きます」
「今日中に目を通します」
気づけば、返事は全部同じだ。
朝から夜まで、歩き回る。
水路、倉庫、畑、役所。
書類も増えた。
今までなかった分、全部が“新規”だ。
その合間に、中央からの連絡が入る。
「地方監査官補佐のセルグ・ヴァルドールです」
落ち着いた声だった。
役所の一室で向き合った男は、
清潔な服装で、無駄のない動きをしている。
「噂は聞いています。
短期間で、よくここまで立て直しましたね」
褒め言葉だった。
素直に受け取れず、俺は一瞬、言葉に詰まる。
「まだ、途中です」
「途中でも、成果は成果です」
セルグは、帳簿に目を落としながら言った。
「水路の復旧率、治安指数、住民稼働率。
数字は、確かに改善している」
――数字。
その言葉に、胸の奥が少しだけ重くなる。
「そこで、です」
セルグは、さらりと言った。
「この成果を、正式に中央へ報告しましょう」
「もちろんです」
「詳細な報告書を、週ごとに」
……週ごと。
「今までは、月次でしたが」
「注目されていますから」
理由としては、もっともだ。
「様式はこちらで指定します」
差し出された紙束を見て、内心で息を呑んだ。
項目が多い。
細かい。
現場で取れない数字も、いくつかある。
「……少し、確認してから」
「大丈夫です」
セルグは、穏やかに笑った。
「再建官殿なら、出来ます」
――前世で、何度も聞いた言葉だ。
出来るから。
優秀だから。
任せられるから。
断らなかった結果、どうなったかも知っている。
……知っている、はずなのに。
「分かりました」
俺は、引き受けてしまった。
その日から、夜が短くなった。
現場を回り、
戻って書類をまとめ、
数字を整理し、
説明文を書く。
ダルクが、何度か声をかけてきた。
「無理しすぎだ」
「大丈夫です」
その言葉が、どれだけ信用できないか、
前の人生で嫌というほど見てきたのに。
三日目、修繕の進みが、目に見えて落ちた。
人が足りないわけじゃない。
俺が、現場にいない。
判断が遅れ、
確認が溜まり、
皆が待つ。
「……前より、止まってないか」
誰かの呟きが、耳に刺さった。
夜、机に向かいながら、
書類の文字が滲む。
やるべきことは、分かっている。
優先順位も、頭では分かっている。
でも――
「全部、大事だろ……」
小さく呟いて、頭を抱えた。
善意で引き受けた。
正しいと思って引き受けた。
それなのに、
現場が、止まり始めている。
窓の外を見ると、
修繕途中の水路が、月明かりに照らされていた。
――やっと動き始めたはずの場所だ。
俺は、目を閉じた。
殴られはしない。
怒鳴られもしない。
だが、代わりに、
静かに、確実に、削られていく。
そんな予感が、はっきりと胸に残っていた。
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