私なんかが転生悪女でよいのだろうか?
(やった……ついに買えた……ッ!)
私の名前は崎元あすか。
何の変哲もない、しがない女子高生だ……と言いたいところであるが、実は一つだけ、誰もが驚き、また理解できないような沼にずぶずぶにハマっている女子高生だ。
実は私は、生粋のヨーロッパ史オタクである。
小学生の頃に見た、図書室に置いてあったヨーロッパの伝記がそのきっかけだ。
己の使命でフランスを導いたジャンヌ・ダルクや、己の人生の全てをかけてイギリスを統治したヴィクトリア女王など、伝記で見た偉人たちは、とても輝いて見えた。
そんなロマンの塊でしかないヨーロッパ史という名の沼……ハマるほかないだろう!
そして今は、ヨーロッパ史の専門書を抱えて、この町一番大きな本屋から出てくるところだ。
この本は、そこらの本屋にはないし値段も高いが、ヨーロッパ史を一から千まで学べる、ヨーロッパ史にハマり始めた頃から狙っていたアコガレの一冊である。
私はそのアコガレの一冊を胸に抱え、ルンルンで家に帰っている。
(嗚呼……早く家に着かないかな……早く机に向かってこの本を置いてメモを取って内容を調べつくしたい……今ここで読んだら重大なネタバレになる……あぁ早く着いてくれ……!)
そう考えながら、私はよく通る横断歩道に向かって走った。
それが、運のつきだった。
信号は確かに青だった。
しかし、私が横断歩道を走っているその時、猛スピードで車が突っ込んで来たのだ。
撥ね飛ばされる直前に覚えているのは、私に何の遠慮もなく突っ込んでくる黒い車体。
次の瞬間には、私の身体は宙を舞って大体5メートル先まで飛んで行っていた。
✠ ✠ ✠
「ん、んんん~?」
私は、柔らかなベッドの上で目が覚めた。
いい朝だ……
(ん? えッ!?)
数秒後、今起きている状況の異常さに、微睡んでいた私の身体は完璧に覚醒した。
(ここどこ!? というか、事故ったよね!? 私はなんで生きてるの……いや、まさか天国……?)
ベッドから飛び降り、周りを見渡してみた。
部屋のようであるが、そのつくりがやけにヨーロッパ風なのが気になるところだ。
ベッドの向かいの壁に、窓があることに気付き、そっと覗いた。
自分の家の近くの道であることを祈って。
しかし、そこから見えたのは、見渡す限りのヨーロッパのような街であった。
間違いなく日本ではない。
どうやら今は冬のようで、雪が降り積もる市場や、住宅街。
それらが手に取るように一望できた。
(どこなのよ、ここって……は!?)
それよりも驚いたのは、窓に反射した自分の姿だ。
私——崎元あすかは、ボブカットにした黒色の髪に、一重の冴えない目、そして、丸眼鏡がチャームポイントの至って通常範囲な女子高生の見た目だったはずだ。
だが、今は違う。
この窓に反射した女は、腰まで伸ばしたピンク色の髪に、澄んだ青色の二重の目、そして、どこまでも透明感のある肌を持った、もはや違和感レベルの美人だった。
ピンクの髪って、染めるにしても奇抜だな……
「どちら様……?」
そう窓に反射して映った自分に問いかける声も、崎元あすかのものより透き通り、どこか妖艶さも感じる。
「奥様!」
問いに答えるように、部屋の扉の外から、ノックの音とともに女性の声が聞こえた。
(奥様? ということは、ここは金持ちの家か何か?)
どこか抜けた予想をする私をよそに、女性の声は続けた。
「今日は午後にナレオン様とお茶会の予定があるのでしょう? お起きください!」
「え、えぇ。すぐ行く」
奥様らしく適当に答えたが、私の関心は女性の声から聞いた一つの単語に集中していた。
(ナレオン? どこかで聞いたことが……)
出所は覚えていないが、『ナレオン』という名の女性は聞いたことがある。
しかし、それがヨーロッパ史ではないことは確かだ。
(ということは、もしや……)
私は扉を開け、待っていた女性に話しかけた。
格好からして、女性は侍女か何からしい。
「ナレオンって、もしかして『アミルーン・ナレオン』のこと!?」
「え? はい、そうですが……」
突然食い気味に訊かれてしどろもどろに答える侍女の返事に確信した。
ここは、私が友達の工藤や松永におすすめされて半ば無理矢理読まされた、中世ヨーロッパ風異世界転生系マンガの中なのだ!
ちなみにそのマンガは、中世ヨーロッパ風と聞いて読んだら全く時代考証ができていなくて、一話の途中で読むのをやめた苦い思い出があるマンガだ……
そして、「アミルーン・ナレオン」とは、そのマンガの主人公の転生後の姿!
つまり、このピンク髪で青い瞳から考えるに、私はこのマンガの悪役令嬢的な立場である、「エナ・フォーレット」に転生してしまったのである!
ということは、このピンク髪、地毛かよ……色素とかどうなっているの……?
(えぇー、どうしよう……こういうのって大体帰れないんだよね……)
家族や友達を恋しく思う気持ちもあるが、帰れないなら仕方ない。
この世界で全力で遊ぼう。
もうヨーロッパ史の勉強ができないのは嫌だが、例え中世ヨーロッパ「風」の世界でも、それっぽさは感じられるでしょう!
「よし! 受け入れた! 朝ご飯を食べよう!」
そうだ、まずは朝ご飯だ。
朝ご飯を食べて気持ちを切り替えて、この世界に順応しようとしよう。
ヨーロッパ史オタクなら順応もすぐでしょ!
カチャン。
無作法なことは分かってはいたが、出された朝ご飯を前に、ナイフとフォークを——フォークは中世にはほとんど使われていなかったが、そこは目をつぶるとしよう——を取り落としてしまった。
出された食べ物は、肉をトマトらしきもので煮たものや、ジャガイモとらしきもののスープ、そして紅茶があった。
それを前にして、私は混乱した。
(いやいやいやいや、そんなわけない。中世にはまだトマトやジャガイモなんて無いはず。無いはずだ……)
混乱したまま恐る恐る、侍女にこれらの料理の材料を聞いた。
「えぇっと、料理人たちから聞いていないので詳しくは分からないんですけど……このメインは、羊のお肉と、トマトと、砂糖でしたっけ? そして、スープの方は、ジャガイモと、タマネギあたりだったと思います。申し訳ありません。料理人たちに聞いてきましょうか?」
私はそれを制すると、心の中で叫んだ。
(コロンブウウウウウウウウス!)
コロンブス、居ないことになってるじゃない!
コロンブスは近世の人物だよ!
コロンブスが近世にアメリカ大陸との航路を発見してくれたからトマトとかジャガイモがアメリカから伝わって来たじゃない!
世界史でやったよね!?
(……落ちつけ、私……これはあくまで中世ヨーロッパ『風』、『風』の世界だから……)
砂糖も当時は薬っぽい扱いだったし、紅茶は17世紀——近世からだったけど……まぁいいわ。
多分世界史でやってないし?
よし! 食べよう!
「いただきますっ!」
「声、大きいですね……」
侍女に指摘され、私は照れ笑いを浮かべた。
朝食を終え、私はアミルーンとのお茶会の時間までそこら辺を散策することにした。
(にしても、この世界、平和だな……中世ヨーロッパ風だからかな……)
庭に出て、植えられている花を眺めた。
花は、中世の戦乱を知らないように、生き生きと美しく咲いている。
……この世界線の花は本当に知らないだろうけど。
(史実の中世ヨーロッパがこんな風に平和だったら、世界はどうなっていたのだろう……)
花を眺めながら、想像した。
史実よりずっと早く、世界全体が安定したのだろうか。
それとも、イスラム圏の国に吸収されて、相変わらず戦乱の世になっていたのだろうか……
(……あー、いい香り)
花のかぐわしい香りが、この世界が平和だということを決定づけさせるように漂っている。
その時、下半身が緊張気味だったことを思い出した。
(トイレ……)
確かにこの花の香り、トイレのあの匂いを出すアレに似てるからな……
トイレは確か……向こうの廊下にあったっけ?
そこに向かった。
あったのは、完璧な水洗トイレだった。
当時のトイレはおまるみたいなものだったけど……このような結果はなんだか予想できたような気がした。
……さて、この世界に来て、気づいたことがある。
それは、「魔法」という概念が存在していることだ。
流石はマンガの世界、現実にはないものまで使ってしまうとは。
……いけないいけない。
ここは「風」の世界だ。
しかし、すごかった。
近代や現代の利器が、「魔法」でなんとかなってしまうのだから。
例えば、冷蔵庫やエアコンなど、シャンデリアなんかはろうそくを使う代わりに「魔石」を使って何とかしていた。
一番驚いたものは、魔力を水晶玉のような魔石に送り込むことで、対応した魔石を持つ人と連絡を取ることができる——現代で言ってしまえば電話やビデオ通話限定のスマホがあったことだ。
(実際に史実の中世ヨーロッパにこれらの品々があったらどうだったのだろう?)
そう想像したら、なんだか現代がすごいことになりそうだったため、これ以上はやめておいた。
私は自室に戻り、本棚から魔法に関する本を取り出し、少し読んでみた。
その本には、恐るべきことが書かれていた。
「その昔、我らが国、エルテレル王国に神の使いがいらっしゃった。神の使いは、我らに『魔法』の存在や、それに対応する『魔石』などの存在や使い道を教えてくださり、再び天に戻られた。それらが今の技術となっている」
(は、ははは……そうか……)
私は、もはや諦めていた。
人類が長い歴史をかけて一から作り上げた近代や現代の技術は、この世界になるとただ神が教えてくれたものになるんだ……
架空って、「風」って、むごいなあ……
……うん、分かっているよ。
これは、この世界の作者が作り上げた、夢でいっぱいの世界。
この世界はこの世界なりに色々考えられているってこと。
それに時代考証がなっていないとケチケチ言う私の方が悪いってことも。
……多分、これが本編に入ったら、悪役令嬢としての言動より読者を苛立たせるよなぁ、「夢が無い」って……
すまない。
誰か、このイラつく私にざまぁしてくれ。
このままじゃあ、ヨーロッパ史を知りすぎている私に嫌気がさしてしまう。
だけど、こうなった一番の原因は……
私は、天——正確には天井だが——を仰いだ。
そして、懇願するように叫んだ。
「神様! なんでよりにもよってヨーロッパ史オタクの崎元あすかをここに転生させたんですかー! もっとまともな女の子を転生させればよかったのにー!」
多分、こうやっても転生したものは戻れない。
仕方ないから、全部受け入れて生きていこう。
そう決意した丁度その時、侍女がアミルーンとのお茶会の時間だと呼びに来た。
「すぐ行くわ」
これからは、読者が期待するような悪役令嬢でいよう。
そして、潔くアミルーンを陥れて、嘲笑して、ざまぁされよう。
そうすることしか、もうできない。
私はエナ・フォーレット。
もう決めたの。




