08. 妖術
一行は妖獣ワニー狩りの現場から少し離れて川の上流の方に移動し、川幅の狭いところを選んで渡ってしまう事にする。それほど探すこともなく、ちょうどいい具合に岩を跳び伝っていけば川を渡れそうな場所が見つかった。
牙馬は大きな荷物を抱えて器用に飛び跳ねながら、岩から岩へと渡っていく。黒鉄、そして汐風も軽々とついてきたが、美紗緒はうまく渡れず、途中で立ち往生してしまっていた。白銀はその付き添いで、美紗緒のすぐ近くに留まっている。
渡り終えたところでそれに気づいた牙馬は、荷物を置いて引き返し、今度は美紗緒を抱き上げ、白銀を引き連れてもう一度岩を渡り始めた。
「ううう、ごめんなさい……」
「それは良いけど、他に気を取られていることもあるから、美紗緒の方からも声掛けしてくれるとありがたい。」
「はい、気を付けます……」
牙馬は一人前の妖獣狩りだし、汐風だって美紗緒より年下だけれど、影に潜みながら単独で山を越え、我馬たちを追ってきた強者なのだ。美紗緒がその二人についていけないなんて当たり前だし、そんなことを気に病む必要はどこにもない。
ただ、人の心は理屈通りにいかないというのも、一つの真理だった。
全員が無事に川を渡り終えて、我馬たちはやっと一息つくことができた。
川下からの匂いに誘われたのか、この辺りには妖獣の姿も見えない。山から流れてくる冷たい水で喉を潤し顔や手を洗うと、さっぱりして疲れが吹き飛ぶような気分になる。
「遅くなったけれど、やっと食事が取れそうだ。」
「お腹が空いちゃいましたね。」
「肉! 肉ですね、兄貴!」
「ガウガウ!」「ワウワウ!」
まだ食べる気なのか、黒鉄や白銀まで嬉しそうに鳴いている。
「いや、どうでもいいけど、もう君たちはお腹がはちきれるほど食べたよね?」
「ワウ! ワウ!」「ワオオン!」
まだ腹八分だと訴えてくるが、そのポッコリ具合を見ればそれは嘘だと誰にでもわかる。
「尻尾肉ならいいけど、肝はもうないからね?」
「ワウーッ!」「グルグルグル……」
そんな不満そうな顔をしても駄目だ。
「兄貴、肉を焼くなら薪がいるけど、この辺りは木が生えてないし……、ボクがひとっ走りして、山まで取りに行きますか?」
「いや、薪は使わないよ?」
「ボク、生肉はちょっと……」
「私も生は無理です……」
「二人ともそんなに心配しなくても大丈夫。生じゃなくて、ちゃんと焼くから。」
薪無しでどうやって火を使うのだろうか。それとも火を使わずに肉を焼くとでも言うのだろうか、美紗緒だけでなく、汐風にもちょっと想像がつかない。
「美紗緒と汐風は、妖術は知っているかな?」
「妖術ですか? 手から炎を出したりする術だと聞いたことはありますけれど、実際に見たことも習ったことも無くて……よくわかりません。」
美紗緒は妖術をほとんど知らないようだった。
妖術とは、妖力を操って不可思議なことを行う術のことを言う。魔術や魔法、妙術なんて呼び方をする人もいるが、基本的には同じものだと考えられている。
妖術の使い方にはいろいろな流派や流儀があって、特定の呪文を唱える方法、あらかじめ呪文が書かれた巻物などを使う方法、笛などの特殊な道具を使う方法など、さまざまだけれど、妖力を使うということだけは変わらない。
妖術の元になる妖力は、人の体の中を流れている不思議な力だ。その力がどこからやって来るのか、妖獣たちが放つ妖気と同じなのか違うのか、いろいろな説があるけれど、妖術の専門家ではない牙馬には本当のことはわからない。
妖術というものが存在していて、それはいろいろ便利に使える、それだけわかれば牙馬には十分だった。
「妖術って、炎の弾なんかで妖獣をドカンと爆発させちゃう奴ですよね? そんなの使ったら、お肉が黒焦げの粉みじんになっちゃいますよ?」
「それも妖術だけど、今から使うのはそれとは違う、もっと簡単な術だよ。」
汐風が言っているのは妖術師が使うような、攻撃系の術のことだ。今から牙馬が使おうとしているのは、それと似ているようで、まったく違った術なのである。
牙馬は背嚢から木の皿を取り出すと、妖獣ワニーの肝を三つに切り分けてその上に乗せ、そこにパラパラと塩を振りかけた。肝ならもっと薄切りにすれば生でも食べられるが、今回やるのはそういうことではない。
「炎の弾みたいなすごい術じゃなくて、薪に火をつけるだけの単純な術があるんだけど、それの応用でね。」
「ああ、火をつける術ならボクも使えます!」
汐風が胸元から木札を取り出して主張する。妖術を使うための道具なのだろう。札の表には複雑な絵柄が、裏には古い書体の文字が彫られている。片隅には穴があけられており、そこに通した紐で首から下げていたようだ。
牙馬は汐風に向かって笑顔で頷くと、肝の乗ったお皿に視線を戻した。
「普通は空中に火を浮かべるんだけど、そうじゃなくて、肉の中を直接狙って火をつけるんだ。」
牙馬は声を掛けてから火の妖術を使い始めたが、炎が現れるわけでもなく、見た目には何も変わるところがない。しかしそのうちにパチパチという炎が爆ぜるような音がし始め、だんだん茶色く変色していく。そして周囲に焼けた肉の匂いが漂ってきた。
「ええ? えええ?」
「火も煙も出てないのに、焼けて……なんで?」
牙馬は焼けた肝に小刀を突きさし、それを口に運んだ。
「うん、ちゃんと焼けたみたいだ。」
自分の舌で味を確認すると、皿を二人の前に突き出して、食べてみるように勧めた。
「うん、焼けてる……」
「本当だ! ちゃんと焼けていますよ、これ。」
「便利な方法でしょ? 時間はかからないし、薪もいらない。匂いや煙も最低限しか出ない。普通に焼くより少し味が落ちるのが欠点かな。」
味さえ落ちなければ、まさに完璧な調理方法なのだ。本当に味さえ落ちなければ。
「これで味が良くないんですか? 肝が苦手な私でも美味しく食べられたのに。」
「元の素材が新鮮で良いものだったからね。」
美紗緒だけでなく汐風も、味については問題なく、とても美味しく食べることができたようだ。
「兄貴、残りのお肉もこの方法でパッパと焼いて食べましょう!」
「よし、そうしてしまおう。」
牙馬は麻袋から妖獣ワニーの大きな前足を一本取り出した。
「肝の次はこいつね。」
前足は妖獣ワニーの肉の中では一番おいしい部位だ。牙馬は前足の一部を切り取り、その皮を丁寧に剥ぎ取ってから、皮と身の間の脂肪を取り除いていく。
充分な薪と時間があるなら、骨がついたまま遠火でじっくり焼くのも良いけれど、今はそのどちらも不足している。牙馬は肉の塊を切り取ると、それを食べやすい大きさに切り分けていった。それに塩を振ったら下ごしらえの完成だ。
「普通なら、串を刺すなりして焚火であぶるんだろうけどね。」
切り分けたワニー肉を、先ほどの肝と同じように、火の妖術を使って中から直接焼いていく。
「そろそろ焼けたかな。」
「すごく良い匂いがしますね。」
実際に食べてみると、味付けが塩だけだとは思えないほど、豊かな味わいだ。最初に切った分はすぐに三人の胃袋の中に収まり、我馬は追加で肉を切ることになった。あまりにうるさいので、黒鉄と白銀にも一切れづつ、焼いた肉を配っておく。
「兄貴、普通に焼けば、これより美味しくなるって本当なんですか?」
「今まで食べたお肉よりもはるかに美味しかったです。」
「ワフゥ!」「ワンワン!」
たぶん空腹だったから、実際よりも美味しく感じたのだろう。肉を直接焼くのと同じ方法で石や鉄板を熱して、その上に肉を乗せれば、薪なしでも普通に肉が焼ける。そうして焼いた肉と食べ比べすれば、また違った感想になるに違いない。しかし今は追手がかかっている状況だから、さすがにそんな悠長なことをしている暇はない。
それに煙を出せば居場所を教えることになってしまうのだ。味比べのためだけに危険を冒すのは、いくら何でもやり過ぎ、相手を舐めすぎというものだ。
妖術での焼き肉は、準備にも時間が掛からかなったが、片づけにも時間が掛からない。皿や小刀を川で洗えばそれで終わりだ。問題は妖獣の皮や、まだ肉や骨をどうするかだけれど、我馬は少し考えた後、まばらに生えた低木の根元に捨てることに決めた。
「兄貴、それだと追手に見つかるんじゃ?」
「うん、どうせ犬を連れているだろうし、隠す時間がもったいないからね。」
昨夜の追手のように、山の中の一本道を追いかけてくるならともかく、このだだっ広い寂し野で、犬なしで人を探すのはほとんど不可能だ。それなら放置しておいても問題はない。つまり犬がいてもいなくても、隠しても隠さなくても、結果は何も変わらない。
骨にはまだ肉がついているし、その匂いに釣られて妖獣が寄ってくるだろう。可能性はあまり高くないが、寄ってきた妖獣が追手の足止めになることもあり得る。
「忍法肉遁の術!ってところかな。」
「兄貴、そんな忍法は聞いたことがないです……」
「牙馬さま、肉って呼べるほど、食べるところは残っていませんよ?」
「それなら骨遁?」
「…………。」
我馬の忍法はすこぶる評判が悪かった。
「兄貴、この後は南の町に向かうんですか?」
「いや、もう少しこのまま、東に進もうと思う。」
簡単に応援が呼べないぐらいには、寂し野の奥に入っておきたい。地形が変わっていなければ、ここからさらに東に半日ほど行った先に、もう一本別の川があるはずだ。
できれば日のあるうちに、川までたどり着きたいというのが、我馬の考えだった。普通の戦いでは、川を背にするのは避けるべきだ。しかし今の状況では、追手に回り込まれる心配がなくなる分だけ、こちらに有利になるはずだ。
さて、追手の連中はしっかりと釣り込まれてくれるのか、それともうまく回避するのか。まだ見ぬ狡猾な相手を思い、我馬は知らず知らずのうちに不敵な笑みを浮かべていた。




