05. 寂し野
追手の始末を終えて両手を合わせると、二人は再び山道を下り始めた。
「もう一度、背中に乗って? もう少し眠った方が良さそうだ。」
「はい、すみません……。」
美紗緒は言われるがまま我馬に背負われ、言われたままに少し眠ることにする。
我馬は美紗緒の様子が少しおかしくなったことには、当然ながら気づいていた。おそらく人が斬り殺されるのを見るのは、初めての経験だったのだろう。凄惨な現場を見て、心が悲鳴を上げたとしても何も不思議ではない。
追手の襲撃を受ける前とは違い、悪夢でも見ているのだろうか、美紗緒は牙馬の背中でうなされているようだ。
人殺しが許せないなんて、人間ならだれでも持っている当たり前の感情だ。それを無くしたら、もう人間じゃなくなってしまう。我馬だって何も感じていないわけではない。盗賊は斬るしかないから、仕方なくそうしているだけなのだ。
「ワウッ!」
お前、しっかりしろよな、とでも言いたげに、黒鉄が小さく吠えた。
美紗緒が次に目覚めた時、そこはすでに山道ではなく、深夜でもなかった。周囲に人の気配はなく辺境なのは間違いないが、少なくとも山の中ではない。そして進む先には太陽が眩しく輝いている。
「おはようございます。牙馬さま。」
「おはよう、少しは落ち着いた?」
「はい、お陰様で。」
牙馬の背中から降りて、美紗緒は自分の足で歩き始めた。
木々や草むらの多かった山の中と違い、山を下りてすぐのこの辺りには荒地が広がっている。低木の茂みや雑草が所々に点在しているだけで、背の高い木はほとんど生えておらず、その代わりに大きな岩や石がゴロゴロと転がっていた。
「寂し野というだけあって、本当に寂しいところですね。」
「何もない荒野だからねぇ。そこら中が石だらけだから、足元には気を付けてね。」
「はい、そうですね。わかりまし……痛っ!」
美紗緒は注意したそばから大きな石を蹴り飛ばしてしまい、あまりの痛さに涙目になっている。
「妖獣も多い場所だから、怪我はしないようにね。血を流すと寄って来るよ?」
「あうぅ……、気を付けます……」
ここ桜蘭国は、山の国と言われるぐらいに山が多い国で、ほとんどの地域が山岳地帯になっている。海沿いと、都の周りの平地を除いたら、あとは全部が山だと言っても過言ではないぐらいだ。
そんな中、寂し野と呼ばれているこのあたりは、珍しく平らな台地が広がっていた。しかし折角の平地だというのに、あまり人が住み着いている様子はなく、寂しい荒野が広がっているばかりだ。
この荒野の西から北には、下ってきたばかりの天嶮山脈が連なっている。そして東、都の方向には、この国の中央を埋め尽くしている山々の峰が遠望できる。寂し野の荒野には、これらの山々から多数の小さな川が流れ込み、豊かな水量のある大河になって南に流れていく。
水だけは間違いなく豊かなのだけれど、岩が転がっているだけでなく、草もところどころにしか生えないような痩せた土地なので、田畑にするには向いていない。その上、強力な妖獣たちが多数住み着いているので、とてもじゃないが開墾できないのだ。
「そろそろ、ここからどう進むかをちゃんと決めておこうか。」
「南の港町に向かって、そこから海沿いの街道を進むのだと思いますが、違うのでしょうか?」
「それが普通だね。でも違う道もある。」
「別の道?」
美紗緒は今までそんな話は聞いたこともなかった。もしかしたら追手が知らないような、秘密の抜け道でもあるのだろうか?
「東の都に行くには、大きく分けると三通りの道がある。」
牙馬はそれぞれの道について、簡単に説明していく。
一つ目は、美紗緒が言ったのと同じ、南に大きく迂回して都を目指す道だ。誰もが利用する道筋で、道中には大きな町が多く、街道にも人通りが多い。妖獣が出没する危険性は低いが、その分だけ追手の襲撃は厳しくなる。
二つ目は、天嶮山脈から続いている、北の山々の麓を縫うように進み、北の隣国との国境に出て、そこから一気に南下する道だ。南廻りよりも妖獣の危険性は高く、人通りも少ないが、道のりは近くなる。追手が拠点に出来るような大きな町は少ないので、待ち伏せなども計算しやすくなるだろう。
三つ目は、この風蘭国のど真ん中、妖獣の領域を突っ切る道だ。都への最短距離を行くことになるが、山が多くて道が険しいので時間を短縮できるわけではない。妖獣の縄張りを突破することになるので極めて危険だけれど、都に近づくまでは追手のことを気にする必要がほぼ無くなる。
「二つ目はともかく、三つ目は道とは言えない……痛っ!」
美紗緒はまた大きな石に躓いている。
「三つ目の中央突破だと、ほとんど道なき道を行く感じになるね。追手がいてもいなくても、一番困難な道になると思う。実質的には南廻りか北廻りか、どちらを選ぶかってことになる。」
すでに追手が出ていることから、相手はかなり狡猾だと想定したほうが良い。おそらく朝一番で追手の第二陣、第三陣が出立したと考えられる。帰って来ない第一陣の捜索のために馬や犬も出しているだろうから、おそらく今日の夕方には第一陣の全滅が伝わるだろう、というのが牙馬の読みだった。
第一陣は口がきけないように処分したので、こちらの詳細な戦力はばれていないはずだが、状況から考えれば数人規模でしかないことは明らかだ。
南廻りの道を選ぶならば最初の町まで三日程度、追手側にはかなりの時間の余裕が生まれる。これだけ余裕があれば十分な手勢で待ち伏せできるし、第二陣と連絡を取り合って、挟み撃ちにしてくる可能性も高い。
北廻りを選べば、待ち伏せの手勢を集められるような拠点は近くにはない。しかし伝令は飛び交うだろうから、第二陣、第三陣を打ち破っても、第四陣、第五陣と、次々に敵がやってくる可能性は残る。
牙馬からすれば中央を行くのが一番早くて楽なのだが、さっきから荒地で何度も躓いている美紗緒を見ていると、まず無理だと思わざるを得ない。いくら中央突破したいと思っても、気合だけではどうにもならない。
「ここで少し真東に進むよ。南廻りを選ぶにしても、北廻りか中央を匂わせておきたいからね。」
「北廻りだと思われたら、すぐにでも襲われませんか?」
「うん、正解。相手の攻撃を誘いたいんだよね。挟み撃ちはやっかいだし、数が揃う前に個々に潰しておきたい。それに最初の町まで三日はかかるから、この辺りで食料や水を補給しないといけない。」
「食料ですか……確かにお腹が空きました……。」
「このまま真っすぐ東に行けば小川があるはずだ。そこで水と、できれば何か獲物を手に入れようか。」
「はい、わかりまし……痛っ!」
「大怪我しないように、本当に気を付けてね?」
「……はい、……。」
こんな調子で大丈夫なのだろうか。先が思いやられる。
牙馬が予期したとおり、少し歩いた先には小川が流れていた。流れは速く、水は澄んでいるようで、朝日を浴びた川面がきらきらと光っている。
「牙馬さま、見てください、とっても綺麗な川ですよ! お魚もいるかな?」
「ちょっと待った!」
「ワワンッ!」
美紗緒が川に向かって走りだそうとしたのを見て、我馬は急いでその襟首を掴んで後ろに引っ張った。白銀も美紗緒を止めようと、裾に噛みついている。
「ぐえっ! く、首が締まる!」
「ここは辺境なんだから、ちゃんと妖獣を警戒して!」
「えええ? そんなのどこにもいないですよ!」
美紗緒がケホケホと咳をしながら抗議してくる。
「いいから、もうちょっと下がって。」
牙馬は美紗緒を無理やり下がらせると、足元に落ちていた大きめの平べったい石を一つ拾い、川に向かって低めに思いきり放り投げた。石は水面で数回跳ねて、向こう岸へと飛んでいく。
「人を止めておいて、何を一人で遊んでいるんですか!」
「まあ、いいから。もう少し見ていて?」
頬を膨らませている美紗緒をなだめて、我馬はもう一つ石を拾うと、先ほどよりも上流の方に向けて同じように石を投げた。
バシャッ!
川の中から突然大きな口が出てきたと思ったら、石をパクリと一呑みにする。そして大きな口は何事もなかったかのように、また水中に隠れてしまった。
「な、な! 何ですか、あれ……」
「妖獣ワニーだね。ものすごく大きなトカゲみたいな奴だ。何匹か潜んでいるみたいだよ。」
黒鉄や白銀どころか、人間だって一口で丸飲みに出来そうな大口に、美紗緒はびっくりしてしまった。あのまま何も知らずに川に近づいていたらどうなっていたか、それを思うと身震いがしてくる。
水は澄んでいて水中までよく見えるはずなのだけれど、よほど擬態が上手いのか、どこに潜んでいるのか全くわからない。
「もしも妖獣ワニーに襲われたら横に逃げるようにね。ああ見えて突進力が高いから、後ろに逃げると殺られるよ。」
「水の中でどうやって横に逃げるんですか?」
「ああ、水中だったら逃げ切れないから、頑張ってもがいてね? もしかしたら助かるかも知れないから。」
「そんな忠告、少しも役に立ちそうにないですよ……」
昨夜からの重圧の反動だろうか、美紗緒はかなり浮かれているように見える。開き直っているのか、それともこちらが本来の姿なのか。美紗緒の本質が一体どちらなのか、それはまだわからないが、我馬の忠告が役立つかどうかはもうじき判明することになるはずだ。
なにしろ妖獣狩りが狙っている獲物は、川の中に隠れ潜んでいる妖獣ワニーなのだから。




