03. 二人旅の始まり
色々考えてしまったが、美紗緒はこの牙馬という妖獣狩りの青年を『それなり』に信頼すると決めた。
「大変申し遅れましたが、私はこの天城領の奥女中で、美紗緒と申します。河津様のお人柄を見込んで、お願いがございます。」
「うん、拝聴しよう。」
美紗緒の感覚では、こうして背中から願い事を言うのは大変失礼だと感じるが、おそらくは逆だ。彼ではなく自分の都合で先を急いで貰っているというのに、わざわざ背中から降りようとする事こそ失礼に当たる、彼はそう考えるに違いない。
「詳細は言えないのですが、私はわけあって都まで旅をせねばなりません。この道中、河津様にお守りいただけないでしょうか。」
「いいよ、了解した。」
牙馬は何も聞き返すことなく、考えるそぶりも見せずに即決した。
「えええ? よろしいのですか?」
「俺もちょうど、都まで行くところだったからね。承知したらまずかった?」
「いえ、そういうことではなく、もう少し熟慮されると思いました。」
美紗緒はまだ何も細かい事情を説明していない。聞かれたとしても答えられないのは確かだが、まさか何も聞かれないとは思っていなかったのだ。やはりこの牙馬という青年は、どうにも今まで暮らしてきた人たちとは勝手が違いすぎる。
「安請け合いしすぎだと思った?」
「いえ……、はい、その通りです……。」
「ははは、貴女の言う通りかも知れないね。
牙馬は笑い飛ばしているが、失礼なことを言っている自覚から、美紗緒は穴があったら入りたいような気持ちでいっぱいだ。
「妖獣狩りは迅速果断と自己責任が基本なんだ。ゆっくり考えている間に事態が悪化して、どうにもならなくなる、そんなことが日常茶飯事だからね。そしてそうなったら、自分の命で責任を取ることになる。」
即断だったとはいえ、牙馬が何も考えていなかったというわけではない。
天城と言えば、この辺り一帯を治める領主で、この山を登って峠を越えた向こう、高原の辺りに城を構えているはずだ。
どこまで真実なのかは不明だが、この年齢で見習いではなく、正式な奥女中となると、幼い姫君の遊び相手を務めているなど、かなり身分の高い家柄の娘と考えて良いだろう。姫君本人ということは……さすがに無いか。
そしてまったく理由を教えられないということは、個人的なことではなく、領地に関わるようなこと、その密命を帯びての旅だと考えてまず間違いない。となると、美紗緒というのも偽名の可能性が高い。
ここは西の辺境だ。はるか東にある都に向かうとすれば、この国を西から東へ横断する長く危険な旅になる。たとえどんな重要な任務だとしても、本来であれば少女一人に任せて良いものではないはずだ。
そんなことを命じるなど、それだけ切羽詰まった事情があるのか、それとも主君は何も考えていない阿呆なのか。どちらにせよ、牙馬は既にこの少女を助けると決めている。もはや一人で放り出すなどという選択肢は無い。
「とはいえ、了解するけれど条件が一つあるよ? 道中では夫婦になってもらう。それで良ければ、貴女を無事に都まで送り届ける。都につくまでの時間制限つき夫婦ってことだね。」
「ふ、夫婦ですか? それは……困ります……。」
美紗緒は驚いて断ろうとする。出会ったばかりなのに、いきなり妻になれとは。たしかに今は命に危険が迫る状況だけれど、さすがにそれは受け入れられない。
「もちろん本当の妻にするって意味じゃない。それにちゃんと理由だってある。」
これは何もおかしな話ではない。革鎧を着て犬を連れた、明らかに妖獣狩りの風体をした牙馬と、両家の子女の格好をした美紗緒とが、二人で一緒に旅をしているとなると、どこからどうみても人攫いとその被害者にしか見えない。
女主人と家臣の主従というなら、側付きの女性がもう一人いないとおかしな話になるし、兄妹というには服装があまりに違いすぎる。友人や知人などはもってのほかだ。これは何も見た目だけの問題ではなく、許可証の問題にもつながってくるのだ。
この国で普通の人が旅をするには、領主などから旅の許可を受ける必要があった。道中にはところどころに関所があり、旅行許可証を提示しなければ通ることはできない。妖獣狩りならば天下御免でそんな許可証は不要だし、夫に付き従っているのであれば、その妻も問題なく通行できるのだ。
宿に泊まった時に駆け落ちと思われるかも知れないが、別にそれがそのまま犯罪になるというわけではない。牙馬は当然、妖獣狩りの鑑札も免許状も所持しているし、妖獣狩りは武士身分なのだから、たとえ役人が出てきたところで何の差しさわりもないのだ。
「関所を無事に通過するにはその手しか無いと思う。他に良い手があるなら従うよ。」
言われてみれば確かにそれが一番良い方法だ。夫婦と言われて最初はドキっとしたものの、その理由は美紗緒にも納得がいくものだった。感情の上では受け入れがたいけれど、ここは受け入れるしか無さそうだ。
「……わかりました。河津様、よろしくお願いいたします。」
「こちらこそよろしく。」
お互いが軽く挨拶をかわす。旅の上での仮の関係に過ぎないのだから、この程度の挨拶で済むけれど、本当の夫婦になるならこんな簡単にはいかないだろう。それを想うと、美紗緒はなんだか可笑しくなってきて、その顔にふと笑みがこぼれた。
「それじゃあ今からは夫婦なのだから、俺のことは牙馬と呼んでくれ。俺は貴女を美紗緒と呼ぶ。あ、美紗緒は別の名前に変えた方が良いかな?」
「いいえ、牙馬さま、そのままで大丈夫です。」
黒鉄と白銀の二匹も美紗緒に挨拶がしたいのか、クンクンと鼻を鳴らしながら彼女にすり寄っていく。
「クロガネちゃんとシロガネちゃんでしたね、道中よろしくお願いしますね。」
美紗緒の言葉に、二匹は軽くワンッと返事をする。
あまりにあっさりと要望が受け入れられて、美紗緒は拍子抜けすると同時に、かなり安心していた。知らず知らずのうちにかなり気が張っていたのだろう、ほっとすると同時に睡魔に襲われ、うとうとし始めたかと思ったら、そのままあっさりと我馬の背中で深い眠りに沈んでいった。
しばらくして、美紗緒は夢の世界から戻ってきた。もちろんそこは屋敷の中ではなく、深夜の山中のままだった。そして暖かい布団の中ではなく、男の背に揺られている。
美紗緒には、出奔したことも、妖獣に襲われたことも、何もかもが夢だ、夢の中の出来事だという気がしていたけれど、そうではなく、現実の事なのだと改めて思い知らされる。
「ごめんなさい、私、すっかり眠ってしまって。」
慌てて背中から降りようとする美紗緒を、我馬は笑いながら止める。
「よっぽど疲れていたんだろうね。そんなことより後ろを見てごらん?」
牙馬に言われた通り背負われたまま後ろを振り返った。もう下りの道行は五分を過ぎたぐらいだろうか、背後には越えてきた山々がそびえ、その上には細い筋雲がかかっている。丸い月は南の空を通り過ぎているが、夜明けにはまだかなり時間がありそうだ。
「まだしばらく山道が続きそうですね。」
「そうだけど、そうじゃなくてね。ほら、松明か何かの灯りが見えない?」
そう言われて、目を凝らしてよく見ると、たしかに二人が下ってきた道とおぼしきところから、ちらちらと光がこぼれてくるのがわかった。
「おそらく追手だろう。少し離れた灯りが二つかな、五人から十人ってところだろう。」
「そ、そんな、いくら何でも早すぎる……」
出発した後のことは美紗緒にもわからないが、もしも手筈の通りにうまく誤魔化すことが出来ていれば、二日から三日ほどは猶予があるはずだったのだ。すでに事は露見しており、すぐ背後に追手が迫っている。こうしてみると、その可能性もあり得ることだった。彼女は素直にそう認めるほかはない。
「運が悪かったのかな。それとも相手が予想よりはるかに狡猾だったのか。どちらにしても追手が来るのは織り込み済みだから、何も気にすることは無いよ。」
歩く速度が変わるわけでも、体のどこかに力が入るわけでもなく、我馬は本当に何も気にしていないように、それまで通りに美紗緒を背にして山道をてくてく下っていく。
牙馬にとっては、襲ってくるならば返り討ちにする、ただそれだけの事だった。
さらに少し山を下り、少し開けた見通しのいい場所を選んで、牙馬は休憩を取ることに決めた。追手はすぐ近くまで迫っているはずだ。
「ここらで迎え撃とう。走って逃げることになるかも知れないから、体をほぐしておいてね。あとはその木にでも腰かけて休んでいればいいよ。」
「迎え撃つのですか?」
「まあ、相手の出方次第かな。相手がしっかり筋を通してくるなら、こちらも筋を通すし、横車を押してくるなら力で押し通るまでだ。」
まだ戦うと決まったわけではないのに、黒鉄と白銀の二匹は目を爛々と光らせて戦う気満々だ。
「やる気のところを悪いけど、女の子同士、白銀には美紗緒の護衛を頼むね?」
クゥンと鳴いてしょんぼりしている白銀を、黒鉄が慰めるように舐める。牙馬はそんな二匹の頭を交互に撫で、追手の方向に険しい視線を向けた。
追手が来るのは良くないことだが、展開としてはそこまで悪くない。これがもっと麓に近ければ、周りを囲まれる危険が高かっただろう。しかしここはまだ細い山道だ。道を塞いでしまえば、左右から回り込むのは簡単ではない。
もし打ち洩らしたとしても、山頂の方に引き返し、応援を連れて戻ってくるにはかなりの時間が必要になる。その隙に山を下りて姿をくらますだけの余裕はあるだろう。
牙馬は気負うことなく、この先の展開を計算していた。




