11. 追手との激闘
「兄貴ぃ……おしっこ……。」
まだ寝ぼけているのか、汐風が眠そうな目をこすりながらうろうろしているので、我馬は下流のほうの茂みまで手を引いていく。
「ああ、私もっ!」
「まだ時間はあるから、今のうちに済ませてね。」
声を掛けながら、我馬は自分も顔を洗っていなかったことに気づいた。寝ぼけていたのは自分も同じだと苦笑する。
月明りの中、冷たく吹く風が非常に心地よい。しばらくその気持ち良さを楽しんでいると、追手の姿がはっきりと見えるようになってきた。二十人ほどはいるだろうか、左右に分かれてこちらを取り囲むように迫っている。しっかり覆面で顔を隠して、やる気満々といったところだ。
「いるぞ!」「あそこだ!」などと声を掛け合いながら、さらに迫ってくる追手に対して、我馬は大音声で名乗りを上げた。
「妖獣狩りの河津牙馬とその一行だ。覆面を取って名を名乗れ!」
我馬の名乗りに追手の集団は足を止めかけたが、それはほんの一瞬だけのことだった。
妖獣狩りならば、相手は化け物でも妖怪でもなく、人間ということだ。それならば自分たちが負けることはない。妖怪だろうが人だろうが、卓越した力の持ち主であることは何も変わらないはずなのに、人だと思うことでそれを忘れてしまったかのように、追手たちは簡単に勝てると思い込んでしまった。
「世に聞こえた天城侍が夜盗とは、落ちるところまで落ちたようだな!」
「妖獣狩り風情が人がましく吠えたものだ。」
「妖獣狩りは斬れ、女は捕らえろ。かかれっ!」
会話も何もあったものではない。左から三人、右からも三人、おそらく腕に覚えがあるだろう、血の気の多い覆面侍が、抜刀して我馬に襲い掛かった。
「妖獣狩りがっ!」
「死ねっ!」
誰が聞いても盗賊としか答えようがないことを口々に叫びながら、先鋒の覆面侍たちが殺到してくる。
牙馬も自分の愛刀『霧雨』を抜くと、一番左の覆面侍に向かって大きく踏み込み、その腹を一文字に切り裂いて、勢いのまま背後にまで飛び込んだ。そしてすぐに振り返ると、残る左の二人を背中から袈裟、そして左逆袈裟にと切り伏せる。
一瞬にして左の三人を切り倒した牙馬は、そのまま右の三人に剣を向けた。
「この盗賊どもが。生きて帰れるとは思うなよ?」
我馬の鋭い殺気が追手に襲い掛かった。
この時、我馬は内心、かなり怒っていた。第一陣の六人も夜盗としか言えなかったが、それでも話し合いでなんとかしようという心は持っていた。しかしこの二十人は違う。人の心など持たない、妖獣にも劣るような鬼畜どもなのだ。
「グルルルルルッ」「グルルルッ!」
我馬の横では黒鉄が、そして後方、美紗緒の前では白銀が、低い唸り声を上げている。その圧力を前にして、追手の犬どもは完全に怯え、尻尾を巻いていた。追手の犬使いが「おい、どうした、かかれっ!」などと叱咤しているが、まったく言うことを聞かない。
犬という生き物は、賢く、非常に勇敢で、忠実であることはここで説明するまでもない。主人のために自分の命を投げ出して、はるかに格上の熊などの獣や、妖獣に立ち向かっていく。犬侍などと言えば悪口になるが、真の意味での犬侍は最高の誉め言葉と言ってもいい。
そんな犬どもが絶対に勝てないと判断して、逃げ腰になっているのだ。追手の者たちはその意味を深く考えるべきだった。
牙馬は血刀を下げたまま、構えもせず、まるで無造作に右手の三人に向かって歩いていく。
「貴様、舐め……」
一番右の覆面侍が釣られて刀を振り上げようとしたその瞬間に、我馬は大きく踏み込んでその小手を切り落とした。そのまま左に踏み込んで刀を横薙ぎに振るったが、それは甘く、切っ先がわずかに腕を切り裂いた程度だ。
「な、き、貴様……」
それを見た左端の覆面が刀を振り上げたが、我馬は空いている胴を一文字に切り裂いた。
まったくなっていない。折角中段に構えていたというのに、刀を振り上げてどうするというのか。そこは突いて出る、その一択だろうに。士道、不覚悟。その一言に尽きる。
格上を前にして、斬ろうとしてどうするというのだ。自分を一条の槍として突いて出てこそ、侍ではないのか。剣の腕以前に、心がまったく鍛えられていない。
一瞬にして六人が、それも腕の立つ者たちが簡単に斬られた。そのことに追手は大きく動揺していた。たしかに数の上ではまだ優勢だ。しかし数が当てになるとは限らない。次に切られるのは自分だと思えば、どうしても足が前に出ようとはしない。
「ええい、斬れ! 斬り捨てよ!」
髭の隊長が叱咤するが、誰もが腰が引けてしまっていて、前に出ようとはしない。それでも命令でどうしようもなく突いて出てきた者たちを、一人、そしてもう一人と、我馬は容赦なく切り捨てていく。
「盗賊どもが。逃げられると思うなよ?」
牙馬が冷たく言い放った。もう一人として生きたまま帰すつもりはない。
髭の隊長がひたすら突撃を命じているその時、もう一人の隊長は冷静に作戦を練っていた。気の利いたもの四人を呼び集め、横手から回り込んで後方の女を直接狙うように命じたのだ。
正面の妖獣使いがいくら強いとは言っても、女を押さえて人質にしてしまえば、黙らざるを得なくなる。それは当然の策戦だったが、ある意味、我馬とその仲間を舐めていたと言っても良かった。
牙馬は当然ながら、横から回り込もうとしている人数に気が付いていたが、手をひらひらと振っただけで、そちらの方に一瞥すら向けることがなかった。死にたいやつは死ねばよい、我馬にとってはそれだけのことなのだ。
我馬の手の合図は美紗緒にも、そして最も重要なことに汐風、そして白銀にも正しく伝わっていた。
女と子供だけ、そう思って甘く見ていたのがいけなかったのだろう。ビューッという鋭い風切音が聞こえたかと思えば、回り込んだ追手の一人がうめき声を上げ、顔を押さえてその場に倒れ込んだ。
「うぐっ……。」
いったい何が起こったのかと、追手たちは思わず足を止めて倒れた者を振り返ろうとした。そこにさらなる風切音が一度、二度と襲い掛かり、また一人の追手がうずくまって動けなくなった。
「な、なに?」
「石礫だ、伏せろ!」
状況に気づいてその場に伏せた追手たちに、石礫が雨あられのように飛んでくる。間違いなく汐風の仕業だ。もともと曲芸師の一員として旅回りをしていた汐風は、礫や短剣を投げるのを大の得意としていたのだ。打ち合わせしておいた奥の手のうちの一つが、この汐風の石礫だった。
事前に決めて置いた通り、さきに集めておいた石を、美紗緒が拾って汐風に渡し、それを汐風がすぐさま追手に投げつける。暗い月夜ということもあって、追手はそれをうまく避けることが出来ない。
「よくやった、汐風。あとは任せろ!」
石礫に行く手を塞がれ、完全に行き場をなくした追手たちは、前線から飛ぶように引き返してきた我馬と、美紗緒の護衛についていた白銀に、あっさりと息の根を止められてしまった。
「今だ! 斬れっ! 斬れっ!」
「グオオオオオオオオッ!」
我馬が後ろに下がったのを隙と見て、正面の追手たちは命じられるままに前に出ようとしたが、黒鉄の強烈な威圧にさらされて、足を前にどころか後ろに動かすことすら出来ず、その場に立ちすくむしかない。
「盗賊は生かしておかない。それが妖獣狩りの流儀だ!」
そんな追手たちの方に振り返り、牙馬が黒鉄に応えるように大声で吠えた。
「黒鉄、白銀、行くぞ!」
黒鉄だけでなく、白銀も美紗緒の側を離れて、追手たちの逃げ道を塞ぐように後ろに回り込む。
「ま、待て! 待ってくれ!」
「助けてっ!」
追手たちが命乞いの声を上げているが、我馬の耳には届かない。牙馬からすれば、襲い掛かる前に覆面を取って名乗っておけという話だ。この期に及んで命乞いなど、そんな暇があるなら自分で腹を切れば良い。盗賊の命など、そのぐらいにしか思っていない。
残った追手たちを、まるで大根を切るようにザクザクと斬り殺しながら、馬が一頭、走り去ろうとしていることを我馬は感じ取った。もう一頭いたはずだが……それは白銀に倒されているのを横目で確認する。
「黒鉄、逃がすな!」
声をかけつつ、さらに追手たちを無造作に斬り倒していく。
「妖獣狩りが! ただで済むと思うなよ!」
偉そうな態度で髭の男が何か言っていたが、それを黙らせるように一刀のもとに切り捨てる。我馬には盗賊の戯言を聞く気は全く無かった。
「いったい何なのだ、あれは何なのだ……」
追手の隊長の一人は、寂し野の荒野を全力で馬を駆っていた。あんな者は知らない、あんな者がいるとは聞いていない。逃げなければ殺される、ただその一心でひたすら馬を走らせる。
ある程度距離を取ったところで、少し落ち着いたのだろう、馬の足を一時的に止めた。このまま全力疾走させたら馬がつぶれてしまう。少し休憩が必要だ。
「御屋形様にお伝えせねばならん。」
そう、これは逃げているのではない。情報を伝える任務なのだ。そう自分に言い聞かせて、隊長はふたたび前を向いた。その視線の先には、二つの眼が赤く光っている。
「グルルルルルル……」
「なっ!」
一人逃げおおせたかと思われた隊長は、馬から無理やり引きずり降ろされ、その首に鋭い牙を突き立てられることになる。




