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RHYME BEAT

作者: Green Rabbit

『Get Ready!』

(Hook)

Yo、RHYME BEAT、始まるぜ新たな章

錆びた日常、塗り替える言葉のショー

ビートが呼ぶ、心の奥底から

さあ、飛び込め、未知の世界へ今


(Verse 1)

退屈な日々、ただ過ぎ去るだけ

視線はいつも、床を見つめるだけ

自信はない、でも秘めたる炎

変われるはずだと、心の叫びは止まらん

イヤホンから流れる、謎の音

まるで衝撃、体中駆け巡るそのモーション

言葉が踊る、ライムが刻む

知らなかった世界、扉が今開く


(Pre-Chorus)

戸惑い捨てて、一歩踏み出す

ミオの声が、背中押すから

マイク握って、声震えても

この衝動、もう止められないだろう


(Hook)

Yo、RHYME BEAT、始まるぜ新たな章

錆びた日常、塗り替える言葉のショー

ビートが呼ぶ、心の奥底から

さあ、飛び込め、未知の世界へ今


(Verse 2)

地下室の闇、光が差し込む

カイのラップ、まるで稲妻の如く

圧倒的なスキル、目を奪うフロウ

負けてらんねえ、俺も高みへと登ろう

ショウさんの言葉、まるで道しるべ

自分と向き合い、魂を解き放つぜ

サイファーの輪、広がる仲間の絆

一人じゃないと知った、新たな居場所はここだ


(Pre-Chorus)

葛藤乗り越え、覚悟を決めた

受験とラップ、二兎を追うと誓った

弱さも強さも、全て受け入れて

俺だけの声で、未来を切り拓くぜ


(Hook)

Yo、RHYME BEAT、始まるぜ新たな章

錆びた日常、塗り替える言葉のショー

ビートが呼ぶ、心の奥底から

さあ、飛び込め、未知の世界へ今


(Bridge)

リリックが紡ぐ、俺の人生

フロウに乗せて、放つメッセージ

言葉の力、無限の可能性

このビートと共に、未来を創造するぜ


(Outro)

RHYME BEAT、今加速するパッション

青春の鼓動、止まらないアクション

さあ、行こうぜ、新たなステージへ

俺たちの物語、まだ始まったばかりだぜ

Get Ready!




 『RHYME BEAT』




 「あー、マジだりぃ……」


 日向は、重たいリュックを肩に、ため息をついた。高校三年生に進級して一週間。

 新しいクラスにはまだ馴染めず、相変わらず誰とも深く関わることなく、彼は教室の隅で息を潜めていた。


 窓の外は、もうすっかり初夏の陽差しが降り注ぎ、グラウンドからは運動部の活気ある声が聞こえてくる。

 しかし、日向の心は、梅雨入りの空のようにどんよりと曇っていた。


 将来のこと、受験のこと、そして何よりも、人とのコミュニケーションに苦手意識を持つ自分自身。


 漠然とした不安が、常に彼の胸を締め付けていた。細身の体は少し猫背気味で、前髪はいつも目にかかっている。

 眼鏡の奥の視線は、誰とも合わせようとせず、地面ばかりを見つめていた。


 放課後。日向は、いつものように図書館で時間を潰そうとしていた。

 その日の彼は、特に気分が沈んでいた。


 友人と呼べる存在は、数少ないが確かにいる。その中でも、唯一、日向が少しだけ心を許せる相手が、隣のクラスのミオだった。


 「ヒナタ!ちょっと待ってってば!」


 背後から、弾んだ声が聞こえた。振り返ると、小柄で活発な印象のミオが、笑顔で駆け寄ってくる。

 ショートヘアが彼女の元気なイメージによく似合っている。


 ストリート系のTシャツに、だぼっとしたカーゴパンツという個性的なファッションが、彼女の明るい性格を際立たせていた。


 「ミオ……どうしたの?」


 日向は、どもりがちな声で尋ねた。ミオは、息を切らしながら、満面の笑みで答える。


 「ねえねえ、今からさ、駅前のCDショップ行かない?すっごい良い音源、ゲットしたんだ!」


 ミオは、そう言って、イヤホンから漏れ聞こえる音楽に合わせて、楽しそうに首を振った。


 日向は、その見慣れない音楽に、どこか惹きつけられるものを感じた。

 規則的ながらも力強いビート、そして、早口で畳み掛けられる言葉の羅列。


 それは、彼がこれまで聴いてきたJ-POPとも、クラシック音楽とも全く違う、初めて耳にするタイプの音楽だった。


 「これ、なんていう音楽なの?」


 日向の問いに、ミオは目を輝かせた。


 「これ?HIPHOPだよ!特に、これはMCバトルっていうジャンルでさ、ラッパー同士が即興で言葉の殴り合いをするんだ!すごくない?」


 ミオの興奮した説明に、日向はただ圧倒され

た。言葉の殴り合い?意味がわからなかった。 

 しかし、ミオのイヤホンから流れ続ける音源は、日向の耳に強く残った。


 激しいライムと、独特のフロウ。言葉が、まるで生きて呼吸しているかのように、ビートに乗って飛び跳ねる。


 「……言葉の、殴り合い……」


 日向は、小さく呟いた。彼の頭の中には、ミオの言葉と、その音楽が、ぐるぐると渦巻いていた。

 言葉で、誰かを打ち負かす。言葉で、自分を表現する。


 内向的で、自分の意見をはっきり言えない日向にとって、それは想像を絶する世界だった。


 その日以来、日向の日常は、少しずつ変化していった。

 ミオから借りたHIPHOPのCDを、彼の古いCDプレイヤーが擦り切れるほど聴き込んだ。


 YouTubeでMCバトルの動画を漁り、ラッパーたちの言葉に耳を傾けた。


 ある夜、自室のベッドで、日向はぼんやりと天井を見上げていた。

 ヘッドホンからは、今日一日で何十回も聴いたお気に入りのバトル音源が流れている。


 「Yo、俺は日向、今日もまた平凡な一日が終わり、変わらない景色にため息つく」


 ふと、口から言葉がこぼれ落ちた。自分でも驚いた。ラップの真似事だった。

 しかし、一度口にしてしまうと、止まらなかった。


 これまで心の中に閉じ込めていた、漠然とした不安、焦燥感、そして、誰にも言えなかった鬱屈した感情が、言葉となって溢れ出してくる。


 「だけど心は叫んでる、このままでいいのかと。何かを変えたい、何者かになりたい。この衝動、一体何なんだ?」


 ノートの隅に、走り書きで言葉を書き始めた。ラップの歌詞のようなものだった。

 最初は何となく思いついた言葉を羅列していただけだったが、やがて、彼は自分の感情と向き合い始めた。


 自分の細い体、猫背、そして引っ込み思案な性格。それら全てが、彼の言葉の源になった。自分は目立たない。


 だからこそ、言葉で、何かを表現したい。これまで感じたことのない衝動に駆られ、日向はただひたすらに、ノートに言葉を書き綴っていった。

 彼の内なる情熱が、静かに、しかし確実に、目覚めようとしていた。


 その夜、日向は、これまでで一番遅くまで起きていた。




 翌朝、鏡に映る自分の顔は、少しだけ、いつもより生き生きとしているように見えた。

 彼は、眼鏡をかけ直し、そっとノートを閉じた。


 まだ誰にも見せることのない、彼の「言葉」が、そこに眠っていた。


 (あのビートが、俺にも聞こえるようになったのかもしれない……)


 日向は、静かに、しかし確かな予感を胸に、新しい一日へと踏み出した。

 彼の「RHYME BEAT」は、今、静かに、しかし力強く、刻まれ始めたばかりだった。




 日向の部屋は、普段はひっそりとしていたが、最近はヘッドホンから漏れるビートの音が、かすかに響いていた。

 あれから数日、日向は書き綴ったノートを、誰にも見せることなく隠していた。


 しかし、心の中で膨らみ続けるHIPHOPへの情熱は、もう隠しきれないほどになっていた。


 放課後、日向は思い切ってミオに声をかけた。


 「あのさ、ミオ……こ、この間教えてくれた、HIPHOPのことなんだけど……」


 日向がどもりながらそう切り出すと、ミオはぱっと顔を輝かせた。


 「え、ヒナタ、もしかして興味持ってくれたの!?やったー!」


 ミオの明るい声に、日向は少しだけ安心する。彼は、意を決して、昨夜書き上げたばかりのノートをミオに差し出した。


 「これ……ラップの、歌詞、みたいなものなんだけど……」


 ミオは、目を丸くしてノートを受け取ると、真剣な表情でページをめくり始めた。

 日向は、心臓の音がうるさいくらいに鳴り響くのを感じた。


 自分の内面を晒すような行為は、これまでの彼には考えられなかったことだ。


 数分後、ミオはノートから顔を上げた。その顔は、驚きと、そして確かな期待に満ちていた。


 「ヒナタ……これ、すごいじゃん!なんか、ヒナタらしいっていうか……すごく内省的で、でも心に響く言葉がたくさんあるよ!」


 ミオの素直な賞賛に、日向は顔を赤らめた。同時に、体中にじんわりと温かいものが広がるのを感じた。


 「そ、そうかな……」


 「うん!絶対そうだよ!ねえ、これ、声に出して読んでみてよ!」


 ミオは、日向にノートを突き返した。日向は戸惑った。

 人前で話すことすら苦手な彼にとって、自分の書いた言葉を、感情を込めて声に出すことなど、想像もできなかった。


 「え、でも……」


 「いいから!ラップは、声に出して初めて意味があるんだよ!言葉に魂を込めるんだ!」


 ミオの力強い言葉に、日向はたじろいだ。

 しかし、ミオの真剣な眼差しに、彼は拒むことができなかった。


 日向は、震える手でノートを受け取ると、小さく息を吸い込んだ。


 「えっと……『平凡な日常、繰り返す毎日に、見えない鎖が俺を縛りつける』……」


 声は、震えていた。感情が全くこもっていない。ただ、文字を読み上げているだけだ。ミオは、少しだけ眉をひそめた。


 「うん、ライムはちゃんとできてるね。でもね、ヒナタ。言葉には魂を込めるんだって。今、ヒナタが感じてること、例えば、この『見えない鎖』って言葉に込めた気持ちを、そのまま声に乗せてみて」


 ミオは、優しい声でアドバイスする。日向は、もう一度深呼吸をした。

 自分の内なる感情と向き合う。簡単なようで、それがどれほど難しいことか、彼は初めて知った。


 心の中では、確かに「見えない鎖」に縛られているような感覚があった。

 将来への不安、周囲への劣等感、自分を変えたいと願いながらも、何も行動できない苛立ち。それらを、声に乗せる。


 「……っ。『平凡な日常、繰り返す毎日に、見えない鎖が俺を縛りつける!』」


 今度は、少しだけ、声に力がこもった。ミオは、にっこりと微笑んだ。


 「そうそう!いい感じ!その調子で、もっともっと、自分の感情を解放してみて!」


 ミオの言葉に励まされ、日向は何度も何度も、同じリリックを繰り返した。

 時にはどもり、時には声が裏返り、時には情けなくて顔を赤らめることもあった。


 しかし、繰り返すうちに、少しずつ、彼の声に感情が宿っていくのを感じた。


 「『周りの視線、それが怖い。だけど本当は、変わりたいんだ、この世界で叫びたい!』」


 練習の終盤には、日向の声は、震えながらも、確かに彼の内なる感情を乗せて響いていた。ミオは、満足そうに頷いた。


 「すごいよ、ヒナタ!最初に比べて、全然違う!言葉に、ヒナタの気持ちがちゃんと乗ってる!」


 日向は、汗をかきながらも、どこか清々しい気持ちになっていた。

 自分の内なる感情と向き合い、それを言葉にすることの難しさ。


 しかし、同時に、言葉が自分の感情を乗せて響く瞬間の、あの鳥肌が立つような感覚。

 それは、これまでの人生で感じたことのない、得難い喜びだった。


 「ミオ……ありがとう」


 日向は、初めてミオに、心からの感謝の言葉を述べた。ミオは、いたずらっぽく笑った。


 「どういたしまして!ま、まだ入り口に立ったばかりだけどね!これからもっともっと、ヒナタだけの言葉を見つけていこうよ!」


 日向の目に、確かな光が灯っていた。言葉の壁はまだ厚い。しかし、彼は、その壁を乗り越えるための、最初の一歩を踏み出したのだった。





 ミオからラップの基本を教わり始めて数週間。日向は、毎日自室で声を出し、自分のリリックと向き合っていた。

 声に感情を乗せることの難しさを痛感しながらも、少しずつ、自分の言葉が形になっていく手応えを感じていた。


 ある日の放課後、ミオが興奮した様子で日向に話しかけてきた。


 「ねえヒナタ!今週末さ、地元のHIPHOPイベントがあるんだよ!廃れた地下室でやるんだけど、これがまたアツいんだよね!行ってみない?」


 日向は、一瞬たじろいだ。人混みは苦手だし、知らない場所に行くのはもっと苦手だ。

 しかし、ミオの言葉から伝わる熱量と、


 HIPHOPへの純粋な好奇心が、彼の背中を押した。


 「ち、地下室……?」


 「そう!ヤバい空気感でさ、マジでテンション上がるんだから!ラッパーたちがフリースタイルを繰り広げるんだよ!ヒナタも、生で見てみたらきっと刺激になるって!」


 ミオの熱心な誘いに、日向は頷いた。

 週末の夜。日向は、ミオに連れられて、繁華街の裏路地にある、薄暗い階段を下りていった。


 地下室の入り口に近づくにつれて、地響きのような重低音と、熱狂的な歓声が聞こえてくる。

 

 日向は、ゴクリと唾を飲み込んだ。


 扉を開けると、そこは別世界だった。薄暗い照明に照らされた空間には、すでに多くの人がひしめき合っていた。

 熱気、汗、そして、重いビートと、ラッパーたちの叫び。


 日向は、その全てに圧倒された。


 ステージでは、二人のラッパーが向かい合い、激しいフリースタイルを繰り広げていた。


 「Yo!俺のライムはまるで刃物、お前の心臓に突き刺さるぜ!ビートに乗って飛び交う言霊、お前じゃ到底追いつけないさ!」


 一人のラッパーが、挑発的な言葉を吐き出す。それに対し、もう一人のラッパーが、さらに鋭い言葉で応戦する。


 「黙れカス!お前の言葉は口先だけ、魂がねぇんだよ!俺のフロウは深海の底から、お前の浅い思考をブチ壊すぜ!」


 言葉が、まるで武器のように飛び交っている。日向は、その迫力に息をのんだ。


 これまで動画でしか見たことのなかったMCバトルが、目の前で、生で繰り広げられている。


 肌で感じる熱量と、ラッパーたちの鬼気迫る表情に、日向はただただ見入っていた。


 その中でも、特に異彩を放っていたのが、長身でスラッとした体型のラッパーだった。

 色素の薄い髪と切れ長の目が特徴的で、常に自信に満ちた表情を浮かべていた。


 彼がマイクを握ると、それまで盛り上がっていた会場の空気が、一瞬にして彼の支配下に置かれるような感覚に陥った。


 「……あれが、カイだよ」


 ミオが、日向の耳元で囁いた。カイは、ステージの中央で、まるでそこに立つために生まれてきたかのように、堂々と立っていた。


 「Yo、今夜の舞台は俺が主役、お前らの視線、全部掻っ攫うぜ。ビートは俺の心臓の音、このフロウは誰も真似できない唯一無二の芸術だ!」


 カイのラップは、天性のリズム感と圧倒的なスキルに裏打ちされていた。

 どんなビートにも軽々と乗りこなし、鋭いワードセンスで次々と言葉を紡ぎ出す。


 その場で紡ぎ出される言葉は、どれもこれも説得力があり、観客を惹きつけて離さない。


 「お前のラップはまるで教科書、型にはまった思考に縛られてる。俺は野生の獣、この衝動が全てを塗り替えるぜ!」


 対戦相手は、カイの圧倒的なラップに、次第に言葉を詰まらせていく。

 カイの目は、獲物を狙うかのように鋭く、しかしどこか楽しそうに、相手を追い詰めていた。


 日向は、カイのラップを目の当たりにし、自分の未熟さを痛感した。

 自分が書いているリリックは、まだまだ子供の遊びだ。


 彼の言葉には、こんなにも魂が宿っている。こんなにも、人を惹きつける力がある。


 しかし、同時に、「自分もあんな風に表現したい」という強い衝動が、彼の胸に湧き上がってきた。

 カイのラップは、日向の中に眠っていた、新たな炎に火をつけたのだ。


 畏怖と憧れ。


 そして、まだ漠然とした、しかし確かなライバル意識が、彼の心に芽生え始めた。

 会場の熱気とカイのラップに、日向の体は震えていた。それは恐怖だけではなかった。


 新しい世界への、興奮と期待。


 「すごい……」


 日向は、乾いた喉で呟いた。ミオは、そんな日向の横顔を、満足そうに見つめていた。

 地下室の重い扉が、日向の目の前で、新しい世界への入り口として、確かに開かれたのだった。





 地下室のイベントから数日後も、日向の興奮は冷めることがなかった。

 カイの圧倒的なラップが脳裏に焼き付いて離れず、彼の頭の中は、ラップのことでいっぱいだった。


 ミオは、そんな日向の変化に気づいていた。放課後、彼女は日向を誘った。


 「ねえ、ヒナタ。もっと色々なラッパーのラップ、聴いてみたくない?実はさ、地下室のイベントで会ったショウさんって人が、よく集まってる場所があるんだけど、行ってみる?」


 ショウ。地下室で、カイと同じくらい存在感を放っていた、がっしりとした体格のラッパーだ。

 顔には複数のピアスがあり、一見強面だが、どこか優しそうな雰囲気をまとっていた。


 日向は頷いた。もっとラップが知りたい。もっと色々なラッパーに触れたい。その一心だった。


 ミオに連れられて辿り着いたのは、街の喧騒から少し離れた、古びた倉庫街の一角だった。 

 錆びたシャッターが閉ざされた倉庫の前に立つと、ミオが慣れた手つきでシャッターを叩いた。


 「ショウさーん!ミオでーす!」


 しばらくすると、シャッターの向こうから、低い、落ち着いた声が聞こえた。


 「おう、ミオか。入れよ」


 シャッターがゆっくりと上がり、現れたのは、あの地下室で見たショウだった。

 彼は日向を一瞥すると、少しだけ目を細めた。


 「こいつが、お前が言ってた……」


 「うん!ヒナタだよ!ラップに興味があるんだって!」


 ミオが元気よく紹介すると、日向は深々と頭を下げた。


 「あの、日向です!よろしくお願いします!」


 ショウは、ふっと口元を緩めた。


 「まあ、上がれ」


 倉庫の中は、外見からは想像もつかないほど、広々としていた。

 壁にはグラフィティアートが描かれ、DJブースや、いくつか古びたソファが置かれている。


 そこには、数人の若者たちが集まって、各々ラップの練習をしたり、ビートを聴いたりしていた。


 ここは、地元のHIPHOPシーンの人間が集まる、彼らの「たまり場」のような場所なのだろう。


 ショウは、日向にソファに座るよう促すと、缶コーヒーを差し出してくれた。

 日向は、恐る恐るそれを受け取った。


 「お前、ラップに興味があるってな。ミオから少しは聞いてるぜ」


 ショウは、ゆっくりとした口調で話す。その声には、落ち着きと、どこか人生の重みのようなものが感じられた。


 「はい……まだ、始めたばかりで……」


 日向は、自分の書いたリリックを披露する勇気はなかった。

 ショウは、そんな日向の様子を見透かしたように、静かに言った。


 「ラップはな、ただ言葉を並べるだけじゃねえ。お前がどんな人間で、何を考えて、何を感じてるのか。それを、言葉に乗せて表現するもんだ」


 ショウの言葉は、日向の胸にすとんと落ちた。まさに、ミオが「魂を込めろ」と言ったことと同じだ。

 しかし、ショウの言葉には、さらに深みがあった。


 「俺もな、昔はラッパーを目指してたんだ。それこそ、死ぬ気でラップと向き合ってた。だがな、結局、挫折した」


 ショウは、遠い目をして語った。日向は、彼の言葉に耳を傾ける。


 「技術を磨くことは大事だ。ライムもフロウも、上手いに越したことはねえ。だが、それだけじゃ足りねえんだ。ラップは、自分自身と向き合うことだ。自分の弱さも、醜さも、全部受け入れて、それを言葉にする。それができねえと、誰の心にも響かねえ」


 ショウの言葉は、日向の心に深く刺さった。  

 日向は、これまで自分の内面と向き合うことを避けてきた。


 人前で話すのが苦手なのも、自分の弱さを見せたくなかったからだ。

 しかし、ラップをするためには、それを乗り越えなければならない。


 「お前は、まだ始まったばかりだ。焦る必要はねえ。だが、自分の言葉と、真剣に向き合え。そうすれば、きっとお前だけのラップが見つかる」


 ショウは、日向の肩をぽんと叩いた。その手は、ゴツゴツとしていたが、どこか温かかった。


 日向は、ショウの言葉を通じて、ラップが単なる言葉遊びではないことを理解し始めた。

 それは、自分自身を深く掘り下げ、ありのままの自分を表現する、魂の営みだった。


 「ショウさん……ありがとうございます」


 日向は、真っ直ぐにショウの目を見て、感謝を述べた。ショウは、静かに頷いた。


 「いつでもここに来い。俺にできることがあれば、協力する」


 ショウの言葉は、日向にとって、大きな支えとなった。

 彼の心の中には、新たな決意が芽生えていた。ラップを通じて、自分と向き合う。


 そして、自分の言葉で、自分の人生を切り拓いていく。

 その決意を胸に、日向は、静かに、しかし力強く、ラップへの道を歩み始めた。





 ショウさんから指導を受けるようになってから、日向のラップは目に見えて変化していった。

 ショウさんは、単にテクニックを教えるだけでなく、日向の内面を引き出すような問いかけを繰り返した。


 「ヒナタ、お前は今、何に一番イラついてる?」


 「ヒナタ、お前が一番大切にしてるもんはなんだ?」


 最初は戸惑っていた日向も、ショウさんの問いかけに答えるうちに、自分の感情を言葉にする練習になっていった。

 ミオもまた、彼の成長を間近で見て、的確なアドバイスを送ってくれた。


 「ヒナタのリリックは、すごく丁寧なんだけど、たまにもっとガツンとくるパンチラインが欲しいよね!もう少し、声に抑揚をつけてみたら、感情がもっと伝わると思うよ!」


 二人の助言を受けながら、日向は少しずつ自分のスタイルを確立していった。

 内省的なリリックに、日常の鬱屈や葛藤を言葉にするのが得意になっていった。


 ある日の練習後、ショウさんが日向に言った。


 「ヒナタ、今週末、ここ(倉庫)で仲間内のサイファーやるんだ。お前も出てみるか?」


 サイファー。複数のラッパーが即興でラップを回していく練習会だ。

 日向は、地下室で見たカイたちのサイファーを思い出し、緊張で言葉が詰まった。


 「え、サイファーですか……?でも、僕、まだフリースタイルとか……」


 「大丈夫だ。ここは仲間内だから、失敗しても誰も笑わねえ。場数を踏むことも大事だぜ。お前がどんなラップをするのか、見てみたい奴もいるだろうしな」


 ショウさんの言葉に、日向は迷った。しかし、これまで練習してきた成果を試したいという気持ちと、少しでも成長したいという強い思いが、彼の背中を押した。


 「……はい!やらせてください!」


 週末の夜。倉庫には、ショウさんを含め、数人のラッパーが集まっていた。

 皆、日向と同じくらいの年齢か、少し年上に見える。


 日向は、緊張で手のひらに汗が滲んでいた。


 ショウさんがDJブースに立ち、ビートを流し始める。重低音が倉庫に響き渡ると、まず一人のラッパーがマイクを握った。


 「Yo!今夜も集まったぜ、このサイファーの輪!日頃の鬱憤、ここで全てをぶちまけろ!」


 流れるようなフロウと、自信に満ちた言葉が繰り出される。

 次のラッパーも、そのビートに乗って、即興で言葉を紡いでいく。


 彼らのラップは、どれも個性的で、日向はただただ圧倒されるばかりだった。


 そして、日向の番が回ってきた。マイクが、まるで鉛のように重く感じられた。

 手が震え、心臓がバクバクと鳴り響く。頭の中は真っ白で、何も言葉が出てこない。


 「ヒナタ、大丈夫!いつもの調子でいけばいいから!」


 ミオが、隣で優しく声をかけてくれる。

 ショウさんも、静かに日向を見守っている。その眼差しに、日向は勇気づけられた。


 (ここで、諦めるわけにはいかない……!)


 日向は、深呼吸をした。そして、震える声で、マイクを口元に近づけた。


 「……えっと、Yo……」


 声が、小さく震えた。他のラッパーたちが、訝しげな顔で日向を見つめる。


 「俺は日向、まだ未熟で、言葉に詰まることも多い。だけど、ここに立つこの気持ち、嘘じゃねえんだ!」


 拙いながらも、日向は自分の内なる感情を言葉にした。

 彼がこれまでノートに書き綴ってきた、等身大の気持ちだ。


 「周りの視線が怖い、だからいつも下を向いてた。でも、このマイク握って、やっと少しだけ、顔上げられたんだ!」


 ビートに合わせるのも精一杯で、フロウもぎこちない。

 しかし、彼の言葉には、嘘偽りのない、彼の魂が込められていた。


 「このビートに乗って、俺は変わりたい。臆病な自分に、もうサヨナラしたいんだ!みんなの声が、俺を強くする、この場所が、俺の居場所なんだ!」


 ラップを終えると、日向は息を切らしてマイクを下ろした。

 顔は真っ赤で、全身から汗が噴き出していた。しかし、彼の顔には、どこか達成感が滲んでいた。


 すると、最初にラップを始めたラッパーが、ニヤリと笑った。


 「おいおい、最初はヘナチョコだったけど、なかなかやるじゃねえか!なんか、お前のラップ、心にくるぜ」


 「あ、ありがとう、ございます……」


 日向は、驚きながらも、感謝の言葉を述べた。ミオは、満面の笑みで日向に抱きついてきた。


 「ヒナタ!やったじゃん!すっごく良かったよ!ちゃんと気持ちが伝わってきた!」


 ショウさんも、口元に薄い笑みを浮かべ、ゆっくりと頷いた。


 「最初にしては上出来だ。お前は、お前だけの言葉を持ってる。それを磨いていけばいい」


 仲間たちからの温かい言葉と、初めて自分の言葉でフリースタイルを披露できたという達成感。


 この経験が、日向の自信へと繋がっていった。倉庫に響くビートは、彼の心臓の音とシンクロし、一体感を生み出していた。

 日向は、このサイファーの輪の中で、初めて「自分の居場所」を見つけたような気がした。





 サイファーでの成功体験を経て、日向のラップはさらに加速していった。

 毎日、学校が終わると倉庫へ向かい、ショウさんや仲間たちとの練習に没頭した。


 彼のラップは、以前よりも格段に自信を増し、内省的なリリックの中に、時折力強いメッセージが込められるようになっていった。

 そんな日向の変化に、いち早く気づいた者がいた。カイだ。


 ある日の午後、日向がミオと一緒に街を歩いていると、前から長身の男が歩いてくるのが見えた。切れ長の目、色素の薄い髪。

 紛れもなく、あのカイだった。日向の心臓が、ドクンと跳ねた。


 あの圧倒的なラップを、彼は今でも鮮明に覚えている。


 カイは、日向に気づくと、そのまま何の躊躇もなく、二人の前で足を止めた。

 日向は、思わず視線をそらした。


 「おい、お前」


 カイの低く、よく通る声が、日向の耳に響いた。日向は、ゆっくりと顔を上げた。

 カイの視線は、真っ直ぐに日向を捉えていた。


 「お前のラップ、最近、少しはマシになったな」


 カイは、ニヤリと挑発的な笑みを浮かべた。 

 その言葉は、日向にとって、畏怖と同時に、認められたような、不思議な感覚をもたらした。


 「……あ、ありがとうございます……」


 日向は、どもりながらも、そう答えた。

 カイは、フン、と鼻で笑うと、片方の眉を上げた。


 「ただ、まだまだだな。俺の足元にも及ばねえ」


 カイの言葉に、日向は悔しさを感じた。

 しかし、同時に、その言葉は彼の中で新たな目標を明確にした。


 「……いつか、あなたを超えてみせます」


 日向は、初めて、カイに対して、はっきりとした言葉を口にした。

 その言葉に、カイは少しだけ目を見開いた。


 「へえ、言うじゃねえか。ま、精々頑張れよ。俺はいつでも、てっぺんで待ってるぜ」


 カイは、そう言い残すと、日向たちの横を通り過ぎていった。

 日向は、その場に立ち尽くし、カイの背中を見送った。


 ミオは、カイが去って行った方向と、日向の顔を交互に見て、楽しそうに笑った。


 「わーお!いきなり挑発されちゃったね!でもさ、ヒナタ、ちゃんとカイの目を見て、自分の言葉で言い返せたじゃん!すごいじゃん!」


 ミオの言葉に、日向はハッとした。確かに、初めて会った時とは違う。

 臆することなく、自分の意思を、言葉にすることができた。


 「俺……」


 「うん。なんか、ヒナタとカイって、これから面白いことになりそうだよね!良きライバルって感じ!」


 ミオの言葉に、日向は心の中で頷いた。カイの言葉は、彼の心に火をつけた。

 圧倒的な実力差を痛感すると同時に、彼を超えたいという強い願望が、日向の胸に渦巻いていた。


 二人の間に、明確なライバル関係が芽生え始めた瞬間だった。


 それは、日向がさらに成長するための、新たな原動力となるだろう。

 日向の視線は、カイが去って行った方向を、真っ直ぐに捉えていた。





 ラップに没頭する日々は、日向にとって充実していた。しかし、高校三年生という現実は、彼の前に重くのしかかっていた。

 受験。将来。そして、周囲との温度差。


 ある日、日向は、普段は行かない進路指導室に呼び出された。

 担任の先生は、眉間にシワを寄せ、日向の成績表を指差した。


 「日向、最近、学業成績が著しく下がっているが、何か心当たりはあるか?」


 日向は、言葉に詰まった。もちろん、心当たりはあった。

 ラップの練習に時間を割き、勉強がおろそかになっているのは事実だった。


 「あの、その……」


 「このままだと、志望校への進学は厳しいぞ。大学へ行くつもりなら、そろそろ本腰を入れて勉強しないと間に合わない。お前、本当にこのままでいいのか?」


 先生の言葉が、日向の胸に突き刺さった。

 これまで目を背けてきた現実が、一気に押し寄せてきた。


 将来への漠然とした不安が、具体的な形を帯びて、彼を襲う。


 その日の夜、日向は自室で、いつものようにラップのリリックを書いていた。

 しかし、ペンは進まない。頭の中には、先生の言葉と、受験への焦りが渦巻いていた。


 (俺は、本当にこれでいいのか……?)


 ラップは楽しい。仲間たちとの時間は、何にも代えがたい。

 だが、それは現実逃避に過ぎないのではないか?このままラップを続けて、自分はどうなるのだろう?




 翌日、日向は、いつものように倉庫へ向かった。しかし、彼の顔には、どこか元気がない。 

ミオやショウさんも、日向の異変に気づいた。


 「ヒナタ、どうしたの?なんか元気なくない?」


 ミオが心配そうに尋ねる。日向は、正直に自分の悩みを打ち明けた。


 「俺、最近、受験のこととか、将来のこととか、色々考えちゃって……ラップばっかりやってて、本当にこれでいいのかなって……」


 ショウさんは、静かに日向の言葉を聞いていた。そして、ゆっくりと口を開いた。


 「お前が悩むのは当然だ。誰だって、そういう時期は来る。だがな、日向。お前はラップを通じて、何を得たんだ?」


 ショウさんの問いに、日向はハッとした。

 ラップを通じて、彼は自分自身と向き合うことを覚えた。


 自分の感情を言葉にすることの喜びを知った。そして、何よりも、ミオやショウさん、サイファーの仲間たちという、かけがえのない絆を得た。


 「俺は……ラップを始めてから、少しだけ、自分に自信が持てるようになりました。自分の言いたいことを、言葉にできるようになって……みんなにも出会えて……」


 日向の言葉に、ミオは優しく頷いた。


 「そうだよね、ヒナタ。ラップは、ヒナタを大きく変えたじゃん。確かに、受験とか将来とか、不安なことってたくさんあるけどさ、ラップを通じて得たものって、きっとヒナタの人生にとって、すごく大事なものになると思うよ」


 ショウさんも、日向の目を真っ直ぐに見つめて言った。


 「ラップは、お前が自分自身と向き合うためのツールだ。自分の言葉で、自分の人生を切り拓くための、な。お前がもし、ラップを諦めるなら、それはそれで一つの選択だ。だが、もし続けるなら、どんな困難が立ちはだかろうと、自分の言葉を信じて、前に進む覚悟を持て」


 ショウさんの言葉が、日向の胸に深く響いた。自分の言葉で、自分の人生を切り拓く。その覚悟を持つこと。


 日向は、静かに目を閉じた。彼の心の中で、葛藤が渦巻いていた。

 しかし、ラップを通じて得た自己表現の喜びと、仲間たちとの絆が、彼を強く支えている。


 目を開けると、日向の目には、迷いが消え、確かな光が宿っていた。


 「俺、諦めません。ラップも、受験も、どっちも諦めたくない!」


 日向の言葉に、ミオは嬉しそうに微笑んだ。ショウさんも、満足そうに頷いた。


 「よし。それがお前の覚悟なら、俺たちは全力でサポートする。だが、甘えは許さねえぞ」


 日向は、力強く頷いた。彼の心の中には、「自分の言葉で、自分の人生を切り拓く」という強い決意が固まっていた。

 彼のラップは、単なる趣味ではなく、彼の生き様そのものになったのだ。





 日向は、ショウさんの言葉を受けて、ラップも受験も両立させる覚悟を決めた。

 睡眠時間を削って勉強し、合間を縫ってラップの練習に励んだ。


 疲労は蓄積していくが、ラップに打ち込む時間が、彼の精神的な支えとなっていた。


 そんなある日、地元の大きなMCバトルイベントの開催が発表された。

 優勝者には、賞金と、メジャーデビューへの足がかりとなるチャンスが与えられるという。カイも出場すると聞いた。


 日向は、迷った。自分のような未熟者が、こんな大きな舞台に立つ資格があるのだろうか? 

 しかし、カイとのバトル、そして、自分のラップをどこまで通用させられるのか、試したいという気持ちが、彼の心を強く揺さぶった。


 「ヒナタ、エントリーするんでしょ?絶対、出た方がいいよ!今のヒナタなら、絶対大丈夫だって!」


 ミオが、目を輝かせて日向の背中を押した。ショウさんも、静かに頷いた。


 「お前の覚悟を見せてやれ。結果はどうあれ、そこで何か得られるはずだ」


 仲間たちの言葉に励まされ、日向は迷いながらもエントリーを決意した。

 予選当日。会場となったライブハウスには、多くの観客が詰めかけ、熱気に包まれていた。


 日向は、控室で心臓が破裂しそうなほど緊張していた。


 周りには、見たこともないような強敵ばかりだ。彼らの放つオーラに、日向は再び、臆病な自分が出てしまうのを感じた。


 「おい、あのメガネのやつ、マジで出るのかよ?場違いだろ」


 「どうせ、すぐに負けて帰るさ」


 そんな声が、日向の耳に届く。彼の心は、ざわついた。

 これまで練習してきた成果を出し切れるだろうか?自分のラップが、彼らに通用するだろうか?


 予選が始まった。日向の出番は、比較的早い番だった。

 ステージに上がると、目の前には、無数のライトと、ざわめく観客の顔。体が震え、マイクを握る手が汗で滑る。


 対戦相手は、見るからにベテランといった風貌のラッパーだった。

 彼は、登場するなり、日向を挑発するようなラップを繰り出した。


 「Yo!今日の相手は素人か?震えてるぜ、ガキのくせにステージ立つんじゃねえ!俺のラップで、お前の自信、木っ端微塵にしてやるぜ!」


 日向は、頭が真っ白になった。言葉が出ない。ビートが、まるで遠くで鳴っているかのように聞こえる。

 必死に言葉を紡ぎ出そうとするが、喉が張り付いたように動かない。


 「……えっと……俺は……」


 拙いラップに、観客席からは失笑が漏れる。日向は、自分の無力さに打ちひしがれそうになった。


 (やっぱり、俺には無理なんだ……)


 その時、客席の隅から、ミオの声が聞こえた。


 「ヒナタ!大丈夫!ヒナタの言葉を、ちゃんと伝えればいいんだよ!」


 ショウさんも、ステージを見つめながら、静かに頷いているのが見えた。

 彼らの顔を見て、日向はハッとした。


 (俺は、何を伝えたいんだ……?)


 自分のラップで、何を伝えたいのか。日向は、改めて自問自答した。

 緊張とプレッシャーで、彼の思考は麻痺していたが、ミオとショウの顔が、彼に問いかけているようだった。


 次のターン。日向は、深呼吸をした。

 そして、震える声で、しかし確かな意思を込めて、マイクを口元に近づけた。


 「……確かに、俺はまだ未熟で、ステージに立つ資格なんてないかもしれない。震える声、震える手、それが今の俺の全てだ!」


 観客のざわめきが、少しだけ静まった。


 日向は、自分の弱さを、ありのままに言葉にした。


 「だが、この震えは、恐怖だけじゃねえ!新しい自分に出会うための、魂の震えだ!このビートに乗って、俺は今、生まれ変わる!」


 日向の目に、光が宿った。

 彼は、相手の言葉を真摯に受け止め、そこから自分の感情を吐き出すようなスタイルで、エモーショナルなフロウを見せた。


 「お前の言葉は鋭い、確かに俺を刺す。だが、その痛みこそが、俺を強くするんだ!ここからが、俺のターンだ、このステージに、俺の生き様を刻む!」


 日向のラップは、観客の心に響き渡った。

 最初は失笑していた客席も、次第に彼のラップに引き込まれていく。


 日向は、本番のプレッシャーの中で、自分のラップで何を伝えたいのか、その答えを見つけたのだ。

 彼のラップは、まだ荒削りだが、確かに「魂の叫び」を宿していた。





 予選は熾烈を極めた。日向は、自分の限界に挑戦しながら、何とか勝ち上がっていった。

 そして、予選の最終ラウンド。日向の対戦相手が、モニターに表示された。


 「カイ」


 日向の心臓が、大きく跳ねた。ついにこの時が来た。

 あの圧倒的な実力を持つカイとの対戦。


 日向は、恐怖と興奮が入り混じったような、複雑な感情に包まれた。


 ステージに立つと、カイはすでにそこにいた。彼の目は、日向を射抜くような鋭い光を放っている。

 カイの放つ圧倒的なオーラに、日向の体は再び震え始めた。


 「Yo、ここまで来たか、メガネ。だが、お前じゃ俺には勝てねえ。このステージは、俺が支配する。お前の未熟なラップじゃ、俺の魂には届かねえ」


 カイは、冒頭から日向を圧倒するような攻撃的なリリックを繰り出した。

 彼のラップは、まるで洪水のように日向に押し寄せ、息をするのも苦しいほどだった。


 日向は、その実力差に打ちひしがれそうになった。


 (やっぱり、無理だ……。俺とカイじゃ、レベルが違いすぎる……)


 頭の中で、ネガティブな言葉が渦巻く。その時、客席から、ミオの叫び声が聞こえた。


 「ヒナタ!諦めないで!ヒナタなら、絶対できる!」


 ショウさんも、静かに、しかし力強く、日向を見つめて頷いていた。

 彼らの顔を見て、日向はハッとした。


 これまでの自分の道のりを思い返した。

 ミオとの出会い、ショウさんの教え、サイファーの仲間たち。


 そして、ラップを通じて得た、自分自身の変化。


 (ここで諦めるわけにはいかない……!これは、俺だけの戦いじゃないんだ!)


 日向は、深呼吸をした。震える体を奮い立たせる。


 そして、自分の内なる感情を全て吐き出すかのように、魂のラップを繰り出した。


 「確かに、お前は強い、俺とは桁違いのスキルだ!だが、俺には、俺だけの言葉がある!この震えは、お前への敬意、そして、自分自身への誓いだ!」


 日向の声が、会場に響き渡る。彼のラップは、決してカイのように流麗ではない。

 しかし、そこには、彼のありのままの感情と、これまで積み重ねてきた努力が込められていた。


 「俺は、臆病で、人前で話すのも苦手だった。だけど、このラップが、俺を変えてくれたんだ!お前の言葉は鋭い刃、だけど俺の心は、決して折れない!この魂の叫び、お前に届くか!?」


 日向のフロウは、感情の起伏に合わせて変化した。内省的なリリックから、次第に力強さを増し、最後には叫ぶように言葉を吐き出した。 

 彼のラップは、技術だけではない、感情の爆発だった。


 会場の観客は、日向のラップに引き込まれていった。

 彼の飾らない言葉、ありのままの感情が、彼らの心に響いたのだ。


 ざわめきは消え、会場全体が、日向のラップに耳を傾けていた。


 カイは、日向のラップを静かに聞いていた。その鋭い目つきの奥に、わずかな驚きと、そして確かな響きが浮かんでいた。

 日向のラップは、観客だけでなく、カイの心にも響き渡ったのだ。


 「……いいぜ、メガネ。その魂のラップ、確かに届いたぜ」


 カイは、そう呟くと、わずかに口元を緩めた。勝敗はまだ分からない。


 しかし、日向は、この瞬間、カイに、そして自分自身に、自分のラップをぶつけることができた。

 そのことが、何よりも重要だった。


 日向の魂の叫びは、会場全体を揺さぶり、彼自身の未来をも切り拓こうとしていた。




 カイとの熱戦を終え、日向はステージを降りた。結果は、カイの勝利。圧倒的な実力差は、まだ埋まっていなかった。

 しかし、日向の心には、悔しさよりも、大きな達成感が満ちていた。


 控え室に戻ると、ミオとショウさんが、駆け寄ってきた。

 ミオは、目を潤ませながら日向に抱きついてきた。


 「ヒナタ!すごいよ!本当にすごかった!ヒナタのラップ、最高だったよ!」


 ショウさんも、日向の肩を力強く叩いた。


 「よくやった、日向。お前のラップは、確かに俺たちの心に響いたぜ」


 日向は、二人の言葉に、ただただ頷いた。勝敗に関わらず、ラップを通じて自分自身と向き合い、表現することの尊さを知ったのだ。

 そして、何よりも、自分の言葉が、誰かの心に届くという喜びを、彼はこのステージで感じることができた。


 その夜、日向は自宅で、今日の一日を振り返っていた。カイとの対戦。

 あの瞬間、彼のラップが、自分の心に響いたことを、日向ははっきりと感じていた。


 それは、単なる勝利とは違う、ラッパーとしての、人間としての、確かな繋がりだった。




 数日後、学校の廊下で、日向はカイとすれ違った。カイは、日向に気づくと、足を止めた。


 「お前、なかなかやるじゃねえか。またバトルで会えるのを楽しみにしてるぜ」


 カイは、そう言って、ニヤリと笑った。その顔には、以前のような挑発的な色よりも、日向へのリスペクトが滲んでいるように見えた。


 「はい!俺も、もっと強くなります!」


 日向は、真っ直ぐにカイの目を見て、そう答えた。二人の間に、新たな絆が生まれた瞬間だった。


 それから、日向は、ラップと受験、どちらも諦めることなく、自分のペースで歩み続けた。  

 倉庫でのサイファーは、彼の生活の一部となり、仲間たちとの絆は、ますます深まっていった。


 ミオは、DJとしての腕を磨き、時には日向のステージでビートを流すこともあった。

 彼女は、日向にとって、かけがえのない理解者であり、精神的な支えであり続けた。


 ショウさんは、相変わらず倉庫で若者たちを見守り続けていた。

 彼は、日向たちの成長を温かく見守りながら、時に厳しく指導し、彼らの羅針盤であり続けた。


 そして、日向。彼は、大学へ進学し、新しい環境の中でもラップを続けた。

 彼のラップスタイルは、さらに進化していった。


 内省的なリリックは健在だが、日常の鬱屈や葛藤だけでなく、新しい世界で感じたこと、出会った人々との繋がり、そして、未来への希望を言葉にするようになった。


 彼のフロウは、以前よりもエモーショナルになり、聞く者の心を揺さぶる力が増していった。


 ある日、日向は、小さなライブハウスのステージに立っていた。観客は、以前よりもずっと増えている。

 彼のラップは、彼自身の物語を紡ぎ出すように、ビートに乗って響き渡る。


 「Yo、かつての俺は、ただの下を向いた少年だった。言葉にできない感情、胸に抱え込み、ずっと一人でいた」


 日向の声が、会場に響き渡る。彼の視線の先には、ミオとショウさんの姿があった。

 そして、その視線の先に、もう一人の、見慣れた顔があった。


 カイだ。カイは、腕組みをして、ステージを見上げていた。


 「だけど、あのビートが聞こえた日から、俺の人生は変わった!言葉の力を知った、仲間と出会えた、そして、自分自身を信じることを覚えたんだ!」


 日向のラップは、彼の生きてきた道のり、彼の葛藤、そして、彼がラップを通じて得た全てを物語っていた。


 「これからも、道は険しいだろう、何度も壁にぶつかるだろう。だけど、俺には言葉がある、この魂のビートがある!このラップが、俺の人生を彩る、唯一無二のRHYME BEATだ!」


 彼のラップは、まだ始まったばかりの人生を彩る、唯一無二のビートとなって、ライブハウスに力強く響き続けた。




 彼の言葉が、誰かの心に届き、そして、また新たなビートが生まれることを願って。



『RHYME BEAT』

(Hook)

ライムとビート、刻んだ道のり

マイク握りしめ、掴んだ光

戸惑いも葛藤も、乗り越え今

魂込めた声が、響く未来


(Verse 1)

かつての俺は、うつむく少年

不安と焦燥、日々に囚われ

言葉は出せずに、ただ俯き

自分の影に、ずっと怯えてた

ある日聴いたビートの音が

俺の魂に火をつけた

ミオの声が、背中押した

ショウさんの言葉が、道を照らした


(Pre-Chorus)

内なる声、心の奥底

震える手で、ペンを握って

言葉を紡いだ、夜の静寂

変わりたいと願う、強い意志が


(Hook)

ライムとビート、刻んだ道のり

マイク握りしめ、掴んだ光

戸惑いも葛藤も、乗り越え今

魂込めた声が、響く未来


(Verse 2)

地下室の熱気、カイとの遭遇

圧倒的なスキルに、俺は愕然

劣等感が、胸を締め付けた

だけど同時に、希望も見つけた

サイファーの輪の中、仲間と分かち合う

拙い言葉でも、心が通じ合う

ライバルの視線、俺を強くする

未来へと続く、新たな道しるべ


(Pre-Chorus)

受験の壁、現実との狭間

揺れる心に、答えを探した

それでも選んだ、このヒップホップ

諦めないと誓った、夢のトップ


(Hook)

ライムとビート、刻んだ道のり

マイク握りしめ、掴んだ光

戸惑いも葛藤も、乗り越え今

魂込めた声が、響く未来


(Bridge)

ステージの上、ライトが眩しい

過去の自分に、今なら言える

怖れるなと、ただ突き進めと

自分の声で、世界を変えろと

言葉は刃、時に優しさ

繋ぐ絆、それが俺の強さ

終わらない旅、まだ道の途中

俺だけのビート、響かせ続けよう


(Outro)

Yo、これは俺の物語

始まりのビートが、今も鳴り響く

RHYME BEAT、永遠に響け

俺たちの青春、永遠に輝け

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