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二度目のファーストコンタクト


 ユフリは己れの無様に失望していた。

 ミノリの問いに答えるよりも逃げることを選ぶとは。自身の弱さに肩を落とす。


 小屋から離れた森の中。

 小川のほとりに彼は居た。

 せせらぎと小鳥の鳴き声を聴きながら、先ほどまでのやり取りを思い返す。


 彼女はどうしてと問いを投げた。彼は故にと答えられなかった。

 それは賢者にあるまじき失態だ。

 これまで問われて答えられなかったことなどなかったというのに。


 岩に腰かけた彼は、かつての勇者たちを思い起こす。

 皆が皆、ユフリに協力的だったわけではない。

 ミノリのように塞ぎ込むのはまだマシな部類であった。

 怒りに任せて暴れるどころか、狂を発して彼の手で葬らざるを得なかった者さえ居た。

 しかし──。


(……もしも)


 ──もしも寄り添えていたのなら。


(何かが違っていたのだろうか……)


 今となってはそう思わずにいられなかった。

 無意味な仮定だ。

 ユフリは頭を振るってその考えを追い出した。


 穏やかな水の流れから心を取り戻し、ユフリはゆっくりと立ち上がる。彼がするべきことは明白だ。

 勇者の送還。それ以外にあり得ない。

 自身に言い聞かせながら、彼は小屋へと戻ることにした。

 あまりミノリを放置するのも心配であるからだ。彼女の様子は安定しているが、直前のやり取りで彼の動揺が伝播している可能性もある。

 森の中を駆け抜けるようにして彼は戻った。



 悪い想像に足を早めた彼が小屋に戻って目にしたのは、玄関に腰かけてユフリの帰りを待つミノリの姿であった。

 木々の間からその姿を覗いた彼は、思わず立ち止まってしまう。

 麗らかな春の日差しを浴びる彼女を、ユフリはしばらく眺めていた。


 やがて、ユフリにミノリの方が気付いた。

 ユフリも気付かれたことを悟る。

 彼は泣きそうなほどに顔をくしゃくしゃに歪めて、ゆっくりと歩み寄った。

 彼は声をかけようとして、だが出来なかった。それは、とある事実にようやく思い至ったからである。


(──僕は君の名前を知らない)


 そう、知らないのだ。ユフリはミノリの名前を。

 当然だ。ミノリはやっと彼と話してくれたばかりなのだから。名乗ったのはユフリだけであったのだから。



 それは寂しいことだ。


 名前を知らずに知られずに二週間以上、孤独に過ごしていたミノリの心情を想像して、ユフリは真に反省するべき己れの失態を悟った。

 質問に答えられなかったことではない。

 彼が晒した無様はそのようなところにないのだ。

 孤独な少女を前にして、その心を一片たりとも慮らなかったこと。

 彼はそれこそを悔やむべきだったのだ。



 ミノリの側に膝をついて、彼は言った。


「ごめんなさい。まずは、僕に君の名前を教えてください」


 ミノリは驚いたような表情を浮かべた。

 目を丸くして、ユフリのことをじっくりと観察する。初めて見るような、そんな仕草だった。

 実際、彼女にとってはこれがファーストコンタクトに等しいのだ。

 先ほどのやり取りとも言い難い何かはユフリの一方的な、ある種傲慢とも言える善意の押し付けであった。上から下へ水を流すような不平等な救済だ。

 あの瞬間、彼女は対等でないものだとユフリは見なしていた。自分が救うのだと見下していてすらいた。


 ユフリの脳裏に、再びかつての勇者たちが浮かぶ。

 彼らの名前は何だったか。

 教えてほしいと願うことはもう出来ないけれども、今目の前にいる彼女だけは、まだ寄り添うことが間に合うはず。


 ミノリは怯えたような表情を浮かべた。声をかけられた瞬間に肩がびくりと跳ねた。

 それでも片膝をついてじっと見つめてくるユフリに根負けしたのか、一分近い間を置いて彼女は震える唇を開いた。


「……みのり。片瀬美乃里」


「教えてくれてありがとう。ミノリと呼んで良いかな? 僕はユフリ。必ず帰れると約束するよ」


 ミノリは怪訝そうな表情を浮かべてユフリを見た。嬉しさよりも疑いが勝る、そんな表情だ。


 信じきれないのだろう。ユフリは彼女の心持ちを推察する。信じられなくても仕方ないと彼は思った。そもこの状況そのものが信じられないものだろうからだ。

 突然異なる世界に召喚されるなど、ユフリだって自身が組み上げた魔術でなければ信じがたい。


「ミノリ、信じてほしい。僕は何度か勇者を見送ったことがある」


 ユフリは言った。

 ミノリの視線が厳しくなる。


「魔王だよ。魔王さえ倒せば送還の術式が起動する。連動して動くように僕が組んだんだ、間違いない。だから、魔王を倒しさえすれば君は帰れるんだよ」


 ミノリはゆるゆると頭を振った。

 無理だよそんなこと、出来るわけがないよ。彼女は小さく呟いた。


 力なく床を見つめているミノリに、ユフリは励ましの言葉を投げる。

 諦めるには早い、と。

 魔王を倒しさえすれば良いんだ、と。

 そのために僕がいる、と。


「……どういうこと?」


 俯いたままのミノリがユフリに問う。

 彼は答えた。


「勇者を送り帰すことこそが僕のなすべきことだ。召喚の術式を組んでしまった僕にはその責任をとる必要がある。

そのために魔王を探し出す術も、倒すための術も用意したんだ。勇者を、君を無事に帰すために」


 ミノリが視線を上げる。彼女はユフリを真っ直ぐに見た。

 ユフリは得意気にその目を見返す。


「実証は済んでいる。一つ前の勇者はこれで帰しているからね。

安心して、ミノリ。きっとすぐに帰れるから」


 ミノリの視線が揺れた。

 わなわなと彼女の身体が震え、ぽろぽろと涙を溢す。


 その様子を見て、ユフリは気合いを入れ直す。

 早く帰してあげなければ。

 そんな熱意が彼の胸で燃え盛っていた。


 組み上げた術式は既に待機状態にある。

 魔王を探すための術には勇者の協力が必要だ。さすがにノーヒントで見つけ出せるような万能さはない。魔王に対応している勇者の意志が必要だった。

 それも解決したと見て良い。ユフリはそう判断していた。ミノリに説明をすれば、彼女が力を貸さない訳がないものと彼は信じている。



 床に座り込んだままのミノリに寄り添い、ユフリはそれらを語った。

 魔王を探す術を用意したこと、それは庭先に準備してあること、見つけるには勇者の力が必要なこと。そして、かつての魔王を葬り去ったこと。

 ユフリは包み隠さずミノリに聞かせた。

 秘密は彼女を傷つけるだけだと考えて。

 それから、魔王を見つけた後は、彼が全てを終わらせるつもりであることも伝えた。

 たとえ魔王であっても、ただの学生であったミノリに命を奪うことなど出来ようはずもない。また、ミノリにそんな真似をさせること自体が、ユフリにとって許容できないものであった。


 そんな自分の考えを不思議に思いながら、ユフリは優しくミノリに話しかける。

 彼女の手をとり、背中をさすり。時間をかけて、凍てついた心を溶かすのだ。




 結局その日は、ミノリを宥めて終わった。

 彼女を寝かしつけて、ユフリは小屋の壁にもたれる。不老の彼は、睡眠のような深い休息を必要としていない。それでも目を瞑って身体を休める。

 これまでの日々で、ミノリはひどく緊張していた。常に気を張り、近くで動くものがあればすぐさま覚醒し、休むことなどなかった。こうして、同じ空間にユフリが居られること自体が大きな進歩だ。

 少しでも彼女の感じるストレスを和らげるために、ユフリは出来るだけ存在感を小さくする。呼吸を平坦にして、力を抜き、置物のようになって、彼は一日を振り返っていた。


(収穫はあった……)


 ミノリの変化は好ましいものだ。

 穏やかに、しかし確実に。彼女は前を向き始めている。

 それはこの二週間あまりの停滞と比べるまでもない。


(これなら)


 これなら明日にでも魔王を探すことが出来るに違いない。

 ユフリの組んだ術式であれば、見つけるのはすぐだ。ほんの十分程度で大陸中の探査を終えられるのだから。

 そうして発見した魔王を潰せば、ミノリは元の生活に戻ることが出来る……。



 ──ピクリ、と彼の身体が動いた。

 それに反応してもそもそとミノリが寝返りを打つ。

 内心慌てて、ユフリは詰まっていた呼吸を再開させる。



 何にせよ明日だ。明日で全てが終わるに違いない。

 ユフリはそう考えると、思考を打ち切った。

 これ以上考える必要などないのだから。

 彼は努めてそう言い聞かせた。知らぬうちに浮かんできていた自身の醜い心へと。








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