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教えてほしいと言ったのに


 ミノリがこの世界に来てから一週間が経つ。

 意識を失った彼女を、彼はどこか山奥に運んだようで──どのようにしてかは不明であったが──木々に囲まれた小屋の中にミノリは居た。

 特に幽閉されている訳ではない。

 おそらくその気さえあれば、散策に出ることも逃げ出すことすらも可能だろう。それくらいの自由がミノリに与えられていた。そう、彼女にその気さえあれば。


 そんな気は全くと言って良いほどに、ミノリは無感情に無感動に無機質にこの一週間を過ごしていた。

 泣いたり叫んだり暴れたり喚いたり。そんなことは一切なく、ただ淡々と一日を過ごす。まるでロボットのように。


 一言も話さず一歩も小屋から出ずに、ミノリは彫像のようになって日々を耐えた。耐え忍んだ。

 彼女にとって苦痛しかない一週間だった。

 訳も分からずに変な城から連れ出され、大量殺人鬼と共に暮らす日々。

 彼は甲斐甲斐しく世話を焼いてくるものの、ミノリの脳裏には無惨な死体たちが克明に刻まれている。心を開くことなどありはしなかった。


 しかし苦痛から逃れようとは思えなかった。そんな気力など彼女には無いからだ。

 頑張って生きようという意欲そのものが彼女から失われていた。

 なげやりになったミノリは虚空を眺めて昼夜を過ごす。


 彼女はほとんど眠らなかった。眠ったとしてもごく短時間。浅い眠りを少しだけ。

 それはあの時、あの瞬間を夢に見るから。

 鮮血の海と鼻腔を刺す鉄の臭い。

 安堵する自身への嫌悪感を抱いてしまうから。


 ミノリは努めて己れの思考を空白に保とうとしていた。



 黙り込んでぼんやりと中空に視線を彷徨わせるだけの彼女に、彼は根気強く付き合った。

 近付き過ぎないように配慮をし、食事や衣服寝床を用意した。

 それからなるべく話しかけ続けて、ミノリが彼に慣れることを期待した。


「……見てごらん、ウラズイの花が咲いているよ。秋には実がなるだろうね。美味しいそうだから、君も食べてみると良い」


 彼とて人の世話には慣れていない。

 このような機会は初めてだ。

 彼は戸惑いながらも生活を続けていった。





 十日が経った。

 ミノリは依然として話さない。

 ただ変化がなかった訳ではない。それまで部屋の隅で丸まるようにして座っていた彼女は、その日からベッドの端に腰掛けるようになった。

 ほんのわずかな変化。だが彼はそこに希望を見た。

 彼はより積極的に話しかけるようになり、集めてきた花を見せたり本の読み聞かせをしたりした。彼女は変わらず無反応だが、それでも構わなかった。


「ワテマが鳴いているね。……この鳴き方は番いを呼んでいるんだ。近くに巣があるのかもね。

見たことないだろう? 尾羽が綺麗な黄色の小鳥さ。君は気付いてないかもしれないけれど、夕方になると子どもの鳴き声もしているんだよ」


 視界には入っている。聞こえてはいるのだ。

 心まで届かずともこの行いは無駄ではない。そう思えただけで彼には十分だった。



 やがて二週間が過ぎた。

 彼女はまだ話さない。

 それでも彷徨っていた視線が窓の外へ向くようになった。小鳥の鳴き声に耳を傾けているようである。

 彼が花を見せればわずかに視線が揺れるようになり、食事の量も少しだけ増えた。

 呆けていた表情に理知の光が宿るようになったミノリは何がしかを考えているようであった。

 彼はその様子を喜んだ。

 草木の青さを、花の芳しさを、川の水の冷たさを、小鳥の囀りの美しさを熱心に語った。


「少し森に入った所に小川が流れているんだ。小さな流れだけど水が綺麗でね、少しだけれどジャハイが獲れる。美味しい魚さ。骨が気になる奴だけれど君が望むなら今度塩焼きにでもしよう……」


「実は小屋の前に花壇があってね。今の季節はテテトミやヒャンが咲いているよ。昨日見せた紫や赤い花がそれだ。蜜が採れるのだけれど、実は今朝のパンに塗ってみたんだ。……いつもより食べてくれて、美味しかったみたいで嬉しいよ」


「少しずつ暑くなってきたけれど身体は大丈夫かい? この辺りはそこまで気温は上がらないけれど下の方は大変さ。みんな汗だくで働いている。こうしてゆっくり過ごしていると嘘みたいだけれどね。その内に氷を用意しようと思うんだ。この前に話した小川の水は綺麗だから、きっと良い氷になると思うよ」


 まるで子どもが母へ話すかのように、話をしていることそれ自体が楽しくて仕方ないという具合だった。

 ミノリは彼のその姿を疎ましそうに一瞬見やり、窓の外の木々のざわめきに意識を向ける。

 彼女は放心から立ち戻りつつあった。





 十六日目の朝。

 ミノリがついに口を開く。

 掠れた声が漏れた。

 ずっと使われなかった喉は発声の仕方を忘れてしまったようで。ミノリは戸惑いながらもその一言を発した。

 彼はそれを聞き取ろうと耳を傾ける。


「……どうして?」


 掠れた声。震える喉が辛うじて彼女の疑問を言葉に変える。

 疑問はさらに繰り返されて、彼は渋面を作った。


 彼女がここへと喚び出された理由は?

 彼女を助けてくれた理由は?

 彼女が帰ることの出来ない理由は?

 これが彼女の夢でないという理由は?


 どうして。どうして。どうして。どうして。どうして。どうして。どうして。どうして。どうして。どうして。どうして。どうして。どうして。


 尽きぬ疑問が彼女を苛む。

 未来への展望が望めず、元の世界との乖離が感じられる度にミノリは血を吐く思いだった。

 どうして私が。

 常にそればかりが頭の中に居座り続ける。

 彼女はずっと困惑していた。それと同時に怒っていた。

 不可思議な現実への猛烈な憤り。日々を過ごす中で精錬されたそれは、苛烈な炎と化してミノリの心を焼いた。


 その激昂がついに溢れた。

 止めどなく流れ出す彼女の嘆き。それを彼は正面から受け止める。

 目線を合わせて、努めて真摯に。彼は遮ることなくミノリの激情に付き合った。


「どうして私なの……」


 彼には答えられない。

 それは全くの偶然だからだ。


「どうして私なのよ……」


 彼は答えない。

 同情も共感も彼女にとって慰めにならないと分かっているから。

 ただ一緒に居る。それしか出来ないと彼は理解しているのだから。


「ねえ、……どうして助けてくれるの?」


 それが僕の罪だから。彼はそう答えた。

 どういうことか、目線で彼女に問われた彼は訥々と語る。



 ──今から遡ること百三十年。初めて世界に魔王が現れた。残虐にして冷酷な魔王は各地を荒らし回り、大勢の人々を殺した。

 彼の故郷もそうして滅ぼされた都市の一つ。

 生き残りは僅かだった。別の都市へと逃げる間にも櫛の歯が抜けるようにぼろぼろと仲間は倒れ、彼は魔王を倒すことを心に決める。

 しかし叶わなかった。

 世の理から外れていた魔王を倒すには、世の理に縛られることのない存在が必要だったからだ。

 彼では足りなかった。

 だから喚ぶことにした。最初の勇者を。超常の英雄を。理から解き放たれた外世の者を。


 彼の名前はユフリ。最初にして最後の賢者。

 召喚魔法の生みの親にして、その跡形を消して回る者。



「──だから僕のせいなんだ。君がここに喚ばれたのは。君が選ばれたのは偶然に過ぎないけれど、選ばれる理由を作ってしまったのが僕なのだから」


 ユフリは謝罪をする。何度も彼女に謝罪をする。

 彼は最初の勇者に責められて知った。勇者にも生活があったことを。友が居ることを。家族が待つことを。

 三歳の娘を持つ勇者をどうにか送り返した時、喚び出してから七つも年を跨いでいた。


 ユフリは悔いた。彼の作り上げた魔法が多くの勇者を拐かすことになってさらに悔いた。

 それからずっと、彼は勇者を探して旅をしている。


 勇者が帰るには魔王を倒す他に道はない。

 ユフリがそのように魔法を作った。

 どこに居るかも分からない魔王をだ。

 ミノリが帰るにはどれだけの時間を要するか。


 何故なら、今回の魔王は表舞台に現れていない。


 今から探し出して殺すのは、尋常でない難事であった。世界中からたった一人を探し出さなければならないのだ。

 だがユフリはそれを成し遂げるつもりである。

 勇者を拐かしたのが彼の罪であるならば、送り返すことこそが償いであるのだから。


「……それは」


 話を聞いたミノリが言った。


「それはあそこから助け出してくれた理由でしょ? どうして、……どうして今も助けてくれているの(・・・・・・・・・)?」


 ユフリの動きが止まった。

 その指摘は考えたこともなかったからだ。彼の目は見開かれ、答えにならない呻きが漏れる。


 はて、他の勇者にはどのように接していたのだったか。これほどまでに世話を焼いたのか。

 ユフリは自問すれども自答が出来ない。

 目線を合わせるために屈んだまま、彼は動けず固まってしまった。


 ミノリはその様子を見て、呟いた。


「どうして?」


 さらに繰り返す。


「どうして私だったの……?」


 彼は答える言葉を持たない。


 しばらくの間、二人は狭い小屋の中で互いを見つめ合う。

 やがてユフリは目を逸らし、逃げるように外へ飛び出した。


 春の風が優しく吹いて、開け放たれたドアを閉ざす。

 それを見ていたミノリは、落胆するようにため息を吐いた。








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