きっと、どこかで!
俺は、完璧では、ないのだ。
この先も、きっと、そうであろう…。
本日、本屋にて俺なりの発見があって、
古来から存在している、とある宗教の、
あり方は、
『生きること自体に意味は、ないのです…。』
であった。
本は文を続けていて、
生きることに、意味を持たせたいのなら、
己で、それを好きなように決めて、
そのように生きなさい…とのことであり、本当に、それを受けて、どうするかは各々の自由ですよ、とのことであった。
生きること自体に意味はない、
と教えを説くも、
決して各々が生きる目的を持つことをも
否定しない、
違いますよ、
とは言わないスタンスである。
俺は、そう捉えた。
言葉というのは、俺が思うに、
良くも悪くも『無限』である。
実は最近、思うことがあり、
俺は己の中だけで思考するのは別として、
極力、他人と『悲しい話』をしないようにしている。
話が少し、それるが、
俺は今年43歳になるが、
今年の俺の誕生日がくるまでは、
42歳である。
だから、今、他人に己の歳を聞かれたら、
「42歳です。」と俺は述べる。
学生の頃の友人、先輩、後輩で、
幾人が既に世を去っていた。
30歳前に亡くなった友がいる。
俺は今日まで生きてきた。
俺は、その友が世を去った後、
すごく楽しかったこと、
辛かったこと、
嬉しかったこと、
怒ったこと、
10代、20代では、あり得なかった経験をし、
今日も何とか生きている。
最近、体に無理が効かなくなってきた、自身では自覚していて、それは年相応なのかな…と、どこか納得している。
俺の今、現在は、
それは幸せで幸せで…では、ないと俺は人知れず、思っているのだが、
俺は決して不幸せでは、ないとも思っている。
『言葉の無限』である。
もし、俺が世界一、幸せな人間だと俺が心から、思えたら、それは、それで成立するのだ。
たまに聞いたり、読んだりするが、
この世界は映画の『マトリックス』、そのものであるかもしれない…みたいなことが、囁かれ、
俺は、それを、どこかで聞くたびに、
(じゃあ、なぜ、己は大富豪で、和製ブラッド・ピットのような容姿では、ないのだ!?)と思う。
それと、これもフィクション話に、ありふれているが、
若い時の己に戻れる、というヤツ…。
これも俺なりの考察があって、
では俺は20歳に戻れたら、
一流企業に勤めて、深田恭子と結婚できるのか?というと若返りをしたところで、そんなふうになるのは、
甚だしく怪しい…
結局、若返りなんて、はなから存在しない…マトリックス論も腑に落ちない…
俺は決して戻らない時の中、この現実世界の
今を、
これからを、
生きていくだけである。
昔より、『今』、この瞬間を楽しめるようになっている己がいて、俺は大人になり自身が所属している社会で他人も考慮、配慮しながら、己の幸せを追及していきたいと思っている。
家から外に出て、俺は社会と触れ合う時、
色んな、様々な人達を見る。
俺の回りの小さな子供や中高生を、
ふと見ると、みんなイイ顔してる。
もう暗いところで小さな文字の本を読書する女の子。
四六時中、テレビゲームの男の子。
『間違いなんてない。それらが違うとか絶対に俺は言わない。』
でも、彼らと、もし仲良くなれたら、
「電気つけて、明るいとこで本、読もう♪」
「天気の良い時は、たまには外で遊んだら♪」と、俺は声かけしたいと思っている昨今である…♪
【おしまい】