仮面の下にある顔は、
「酷い顔」
「酷い言い様ですね、お嬢様」
仮面を外した顔は酷い火傷の痕が残っており、無残にも彼の顔は醜く汚している。本来、彼はこんな顔ではなかったのに。労りを込めた手で彼の顔に触れると、彼は痛みを覚えたかのように顔を歪ませる。
「痛い?」
「痛くないとお思いに?」
「そうよね、痛いに決まっているわ」
皮肉まじりの声音に同意を示せば、気に入らないとばかりに、手を払われる。彼は私付きの使用人の内の一人だ。お父様に言えば、彼は罰を与えられた上、家から追い出されることだろう。彼の代わりはいくらでもいるものの、皮肉屋の彼を私は手放せずにいる。
そもそも彼を拾ったのは、他でもない私の姉だった。潰れかけの孤児院の中で、比較的綺麗な顔立ちをしていた彼を気まぐれに拾ったのが、私の姉。拾うまではよかったものの、孤児の彼は綺麗なだけで教養も知識もない。綺麗なものが好きな姉は気まぐれで飽きやすかった。拾って数日後、すぐに捨てようとするものだから、私は彼を使用人として仕事を与えることにした。
『一体何が目的だ?』
いくつか年が離れていたものの、貴族令嬢である私に警戒心むき出しで詰め寄ってきた彼の姿を昨日のことのように覚えている。その姿は手負いの獣を彷彿とさせた。
『拾ったのなら、最後まで面倒を見るのが普通でしょう?』
犬や猫を拾う感覚で、私は答えていた。
今にして思えば、失礼だったかもしれない。
『拾ったのはあんたの姉だろ』
『ええ、そうね。だけど、お姉様はいらないみたいだから、今度は私が拾ってあげる』
『同情のつもりか?』
『同情? まさか』
幼い私は彼の手を握りながら、言った。
『私はあなたを気に入ったの。だから、私に仕えてくれる?』
他に行くところがないのだろうと付け加えたら、彼は渋々といった様子で、私の手を握ってくれた。以降、私の忠実な使用人として仕えてくれた。身形を整え、言葉遣いを正し、所作を直し、仕事を覚えた。もっとも、言葉遣いは変えたとしても、歯に着せぬ態度は変わらなかった。他の使用人達は彼を諌めたものの、私は気にしていないでと制したのだ。彼が私の使用人でいてくれる。それだけでよかった。
その時はまだ彼は仮面なんか着けていなかった。火傷もしていない、綺麗な顔だった。
あの火事さえなければ、彼の顔は未だに綺麗なままだっただろう。
「……いつまで仮面を持っておくつもりだよ」
明らかに苛立った声を向けられて、私は驚いた。
「敬語はもういいの?」
「畏まった態度がいいなら、今すぐそれ返せ」
半ば強引に、彼は私が持っていた仮面を奪い返した。仮面を被り直した彼は当然、顔が見えなくなってしまう。それが少し、残念だった。
「お嬢様は、」
仮面を着け終えた彼がおもむろに口を開く。
「いつまで私をお側に置いておくつもりですか?」
先程と打って変わって、彼らしくない丁寧な物言いだった。
「? どういう意味?」
今のところ、彼を手放す気はないのだが。
「使用人達が皆、私を不気味がっています」
「知っているわ。仮面を着けているからでしょう」
「火事が原因とはいえ、醜い人間をお嬢様の元に置くのは不適切だと口にする者がいます」
「醜くなんかないわ。私を守った勲章だもの」
以前、屋敷で火事が起こり、私と彼は巻き込まれた。ふたりもろとも命を落とすかと思いきや、私と彼は無事だった。彼が私を庇ってくれたからだ。代わりに彼は顔に酷い火傷の痕が負ってしまったのだが。不憫に思ったお父様が私の懇願もあり、彼は引き続き私の使用人に居させてくれた。
使用人達は彼の顔を覚えている。だからこそ、余計に火傷の痕を直視できない傾向があった。
「そのうち使用人達も慣れるでしょ」
「慣れなければどうなさるおつもりで?」
「慣れないのは彼らであって、私ではないもの」
仮面越しに、彼の顔を見る。
彼は今どんな表情をしているのだろうか。
「あなたは私を守ったんだもの。それを誇ればいいだけよ」
「……」
途端、彼は黙り込んでしまった。顔は見ないけれど、こういう時の彼は大抵、何かを考え込んでいるのだ。そういう癖が、彼にはあった。
「お嬢様はあの火事が何故起きたのか、お忘れに?」
「忘れるわけがないじゃない」
忘れるなんてありえない。
「火事はあなたが起こしたものだもの。忘れる筈がないわ」
「なら、私が火事を起こした理由も覚えておいでで?」
「勿論」
あの火事は彼が私と無理心中する為に企てたものだった。火事の最中、私は彼に首を絞められた。彼をそこまで追い詰めたのは、お姉様だった。お姉様の嫁ぎ先が決まった直後、彼を連れて行くと言い出したのだ。私に仕える彼を見て、もう一度手元に置きたいと考えるようになったらしい。お父様とお母様が諌めたとしても、我儘なお姉様のこと。強引に彼を連れていくに違いない。飽きたら、私達には何も言わずに捨ててしまうのは誰の目にも明らかだった。
だから、彼は屋敷に火を放ったのだ。逃げようと彼の手を引こうとした瞬間、彼は私の首に手を掛けて絞め殺そうとした。
『あんた、もう面倒見れなくなるんだろ? だったら、最後まで一緒にいてくれよ』
その時の彼の顔は今でもよく覚えている。
「けど、結局あなたは私を殺せなかった」
それどころか、私の手を引いて火事の中から連れ出してくれた。火事を起こした不届き者は以前より評判の悪かった使用人で決まりだった。その使用人は火事が原因で助けを呼ぶこともできずに焼け焦げてしまったけれど。死人に口なし。お父様も暇を出そうかと考えていたから丁度よかった。
「お姉様も無事嫁がれた上、あなたは私の使用人のまま。それだけでいいと思わない?」
「……私の行いを水を流すと仰っているのですか?」
「あれは私と一緒にいるためでしょう?」
そんな理由であれば、あの火事を起こしたことを別段罪だとは思わない。結果的に、一人死んでしまったものの、遅かれ早かれこの屋敷から出て行く予定だった人間だ。厄介払いができたのだからよかったのではないだろうか。
「何よりお姉様が悪いのよ」
捨てた癖に。飽きたら、どうせ捨てる癖に。
彼を私から引き離そうとするから。だから、彼が火事を起こさざるを得なかった。
「あなたばかりが悪いわけではないのよ?」
彼の仮面に触れてみる。
「それにね、火事が起こってよかったとすら思うのよ?」
「……私の顔が焼けたからですか?」
「ええ、そうよ」
頷きながら、彼の仮面を剥がす。
火傷の痕があまりに痛々しい。
「あなたの顔が焼けたから、お姉様はあなたに見向きもしなくなった」
お姉様は嫁いで行った。彼を連れて行くことなく。お姉様は綺麗なものが好きだけだった。
「全部丸く収まったと思わない?」
「……火事で死ぬ気はなかったのですか?」
「生きているのが一番いいに決まっている」
「――だから、」
焼け爛れた彼の顔が歪んだ。
「だから、あの時顔を焼いたのですか?」
彼の問いかけに、私は首を傾げた。
「先に首を絞めたのはあなたでしょ? なら、あれは正当防衛よ」
燃え盛る屋敷の一角で、私は彼に首を絞められた。だから、咄嗟に火箸を彼の顔に押し付けたのだ。激痛に喘ぐ彼を見ながら、私は火箸を手放して、彼の全身に水をかけた。綺麗な彼の顔は一瞬で無残な姿に成り果てていた。こちらを睨み付ける彼の手を強引に取って、火事の中から抜け出した。振り払うこともできた筈なのに、私も彼もそうしなかった。火事の中で助けを求める声には目もくれなかった。あの声が、もしかしたら例の使用人のものだったかもしれない。行き止まりに差し掛かった時は彼が逆に私の手を引いて逃げてくれた。
「なら、そういう意図は微塵もなかったと?」
「咄嗟のことだったから。でも、そうね……」
かつての彼の顔は本当に綺麗なものだった。一時とはいえ、お姉様が気に入ったぐらいである。けれど、今の彼の顔も私は気に入っている。
「無意識にそうしようと思ったのかもしれないわ」
「……そうですか」
苛立ちを隠さなかった彼の雰囲気が不意に和らぐ。
「安心しました」
「?」
「そういった意図が全くないと言われたら、」
焼け爛れた顔に嵌まった両目が私の顔を見た。
「あんたの顔を焼いていたかもしれない」
「……もしも、そうなったら、」
私は彼の仮面を被る仕草をしながら、言った。
「お揃いの仮面を被る必要があるかもね」
お父様とお母様は私を気遣って言わないけれど。火事に見舞われた私は火傷を負ってしまった。軽傷だったとはいえ、傷物の令嬢を娶ろうとする家は一体どれ程いることか。嫁げたとしても、彼はこの家の使用人。お姉様のような我儘が通るかどうか。ならば、いっそ彼と同じ顔になって仮面を被るのもひとつの手かもしれない。
しかし、それでも構わないと言い張る男が現れないとも言い切れない。
そんな男が現れた時には、いっそのこと、
「ねえ、お願いがあるの」
「?」
「もしも私が嫁ぐ日が来たら、」
仮面越しに、彼の顔を見る。
「私の顔を焼いてもいいから、火事で私と一緒に死んでくれる?」
仮面越しだと、彼の顔があまりよく見えない。こんな仮面を被ったまま、よく仕事ができるものだと場違いにも考えていると、
「ならば、あの時死ねばよかったのですか?」
「後先なんて考えていなかったもの」
「お嬢様らしい考え方ですね」
皮肉まじりに言った後、彼は「構わない」と言ってくれた。
「本当に?」
「けど、ひとつだけ」
「何?」
「死ぬ前に、焼いた後の顔を見せてくれ」
見せた後は、仮面を被って死んでくれていいからと。
「なんで見せないといけないの?」
「あんただって散々見てるだろ」
「それはそうだけど」
「何より、あんたの旦那になる奴はあんたの顔見れなくなるだろ?」
「……?」
どういう意味かと問えば、彼はおもむろに私が被る仮面を触れた。
「だってさ、火事で一緒に死ぬんだったら、」
仮面が剥がれ落ちて、彼の顔がよく見えた。
「俺もあんたも丸焦げだ」