4.創竜神
応接間では私の隣にナディアが座り、私の正面にフィルが座っていた。
私は相変わらずフィルの顔をまともに見ることが出来ず、静かに暖かい紅茶を口に含んではポリポリとクッキーを齧っていく。
ナディアがフィルに頭を下げた。
「フィリップ王子、あの場からアデラガルト殿下を連れ出して頂き、感謝しています」
私はナディアを横目で見ながら口を尖らせる。
「私はあんなの慣れっこだよ。いつものことだし、心配なんて要らないよ」
「では、殿下はあのまま、あの場におられる方が今よりも良かったと、本心でお思いですか?」
ナディアが優しい眼差しで私に問いかけてくる。
「それは……あの場に居るより、今の方が良いけどさー。主賓が居なくなって国王陛下は今頃困ってるんじゃないの?」
私の言葉に反応して、フィルの背後に控えていた年老いた侍従が口を開いた。
「陛下からフィリップ殿下への言伝を承っております。”よくやった。こちらはのことは気にするな”との事です。アデラガルト殿下も、夜会の事はお気になさらず今夜をお過ごしください」
私はまたしてもぽかーんと口を開け、必死に状況を整理しようとする。
けどやっぱり頭はまだ回ってくれなくて、さっぱり理解が追い付かなかった。
「えっと、それはどういう意味なのかな?」
フィルが柔らかい笑みを浮かべながら応えてくれる。
「父上もゲルダさんの姿を見て心を痛めていた。それだけですよ。あの状況を楽しめるような悪趣味な人間は、私の家族には居ません」
どうやらフィルくんの家族は良い人たちばかりらしい。
確かに、最初に挨拶に来た国王陛下はフィルに似て優しそうな人だった。
その後も話しかけに来なかったのは、きっと放っておいて欲しいという私の気持ちを察してくれていたのだろう。
「でもあんなことしたら、その場に居ない私たちの事を、みんなが好き勝手に噂するんじゃないの? フィルくんは第三王子とはいえ未婚の王族でしょ? これから困る事はあるんじゃないの?」
「ゲルダさんとのどんな噂が立とうと、僕は全く困りません。貴方が噂が立った責任を取れというなら取るまでです――これは先程も言いましたね」
私は顔を真っ赤にして抗議する。
「ちょっと! 今夜はもう意地悪しないんじゃなかったの?! そんな事を急に言われても、私は反応に困るよ! 私たちは今日、出会ったばかりだって忘れてないかな?!」
私の涙目の言葉に、フィル君は余裕の笑みで応える。
「意地悪ではなく本心ですし、遠慮をしているとゲルダさんは距離を取って逃げてしまう人だというのが今夜、よくわかりましたから――ですが、確かに僕らは出会ったばかりだ。お互いを知る時間は必要でしょう。明日のご予定をお聞きしてもよろしいですか」
予定とかは全部ナディア任せだから、私は何も知らないんだよね。
私は微笑んでいるナディアを見て尋ねる。
「ねぇナディア、私は明日、何か予定入ってるの?」
「明日は街の大きな礼拝堂を巡って祈りを捧げる事になっておりますが、ご要望でしたらキャンセルしても問題はありません」
「祈りを捧げるのが仕事の竜の寵児が、仕事をキャンセルしてどうするのさー」
「竜の寵児が担うのは毎日祈りを捧げる事のみ。具体的な場所は問われません――そう教えてくださったのは殿下、貴方ですよ?」
そう、宣託で創竜神様が伝えてきたのは『この街で祈りを捧げろ』という大まかな指示だけ。いつもそんな感じ。
時々細かく指示を出されることはあるんだけど、滅多にそういうことはない。
だから神殿だろうと小さな礼拝堂だろうと、寵児の務めとしては問題がない。
だけどなんかナディアらしくないなぁ。
「理由もなく予定をキャンセルできないっていつも言っているのはナディアじゃないかー。お小言虫のナディアはどこいっちゃったのさ?」
「せっかくフィリップ王子がお互いを知る時間を作りたいと所望しておいでなのですから、応じて差し上げてもよろしいのではないですか?」
むー。なんかナディアが嬉しそうに微笑んでる。何がそんなに嬉しいのかわかんないけど。
なんとなく、このまま流れに身を任せるのが癪なので反論する。
「予定があるならその通りに動くよ! 突然キャンセルしたら相手にも迷惑だし!」
「では僕が貴方の予定に付き添いましょう。それなら問題ありませんね?」
「……フィルの明日の予定はどうするのさ?」
「学校があるだけです。僕が休んでも、既に先の分まで修めていますから、授業に遅れる心配はありません」
「あー、フィルって優等生っぽいもんねー」
フィルが苦笑を浮かべて私に応える。
「どちらかというと、王族として別に講義を受けているので学校の授業はその復習にしかならない、というところですね。ですから退屈な中等過程を休めるなら、私としてもありがたい」
「退屈な授業を受けるために学校に通うの?」
フィルが肩をすくめて応える。
「王族が学校も出ていない、というのはさすがに許されません。基礎教養を修める中等学校までは必須です。特に理由がなければ高等学校か魔導学校にも通わねばなりませんが、高等教養も王族の講義がありますので、僕は魔導学校に通う予定です」
学校か。私には縁のない世界だなぁ。
どんな世界なのかな?
「ねぇフィル、学校ってどんなとこ?」
「同年代の子供たちが、一つの部屋で授業を受ける――そんな場所ですね。王族が通うような学校であれば、社交界の縮図の様な世界でもあります。若いうちから貴族子女たちが縁を作る、そんな場所です」
同年代の子供か……そういうのも私には縁がないなぁ。
転々と旅を続ける私の周囲には、王家がつけてくれる大人の兵士や使用人、白竜教会の神官や巫女たちしか居なかったし。
同年代の巫女たちも学校に通うから、私と会う機会はほぼないんだよね。遠目に見かける事があるくらいかな?
そんな事を考えていると、ナディアが私に語りかけてきた。
「この国には数年滞在する事になっています。殿下も学校に通われてはいかがですか?」
「私が?! 無理だよ、学校の勉強に付いて行ける訳がないじゃない!」
「基礎教養の中等学校は無理でしょうが、魔導学校なら殿下でも通えるかもしれませんよ? 竜の寵児は人並外れて高い魔力を持ちます。資格は充分にあると思いますが」
フィルが少し目を瞠ってナディアに尋ねる。
「人並外れて? それほど高い魔力を持つのですか?」
「人間の規格に収まる範囲ではありませんね。個人差はありますが、竜の眷属に匹敵する魔力です。高位の竜種に匹敵する程の魔力を持つ者もかつて居た、と噂に聞くことはあります」
竜種は下位の眷属でも、人間とは比べ物にならない高い魔力を持ってる。
腐っても竜なんだから、そりゃそうだよね。
私もやっぱり高い魔力があるらしいんだけど、魔導を勉強する機会はなかったから宝の持ち腐れみたいな事になってる。
一応、日々の祈りで魔力を使っているはずなんだけどね。
そんな竜の寵児に魔導を勉強させる制度がないのは、ちょっと不思議だなって思った事はある。
私は唸りながら考えてみる。
「うーん、私でも通えるなら通ってみたいけど、創竜神様がそれを許してくれるかは分からないから、一度聞いてみないといけないかなぁ」
「では今から、創竜神様にお伺いに行きましょうか――フィリップ王子、礼拝堂はまだ空いていますか?」
ナディアの問いかけに、フィル君が頷いた。
「ええ、王宮内の礼拝堂は常に解放されています。夜中に王族が礼拝する事もあるくらいです――ですが、神から学校の許可ですか? そんな具体的な会話ができるんですか?」
私はきょとんとして応える。
「そうだよ? 竜の巫女が尋ねれば、創竜神様は必ず応えてくれるよ。巫女が創竜神様と会話するのは当たり前の事だよ?」
まぁ、普通の竜の巫女は総本山本殿じゃないと会話できないんだけどね。
どうやら、竜の巫女の常識は世間に知られていないらしい。
ということは……
「もしかして、創竜神様が気さくな神様だってことも知らないのかな? 普通の竜の巫女相手だと厳かに語るらしいんだけど、私を相手にする時はすっごい砕けた口調で会話するんだよ? 他の寵児も言ってたから、これは竜の寵児共通みたい」
これにはフィルだけじゃなく、ナディアもびっくりした顔になっていた。
フィルが戸惑ったように尋ねてくる。
「砕けた口調、ですか?」
「”いいですかー?”って聞くと”いいよー?”とか”あいよー”とか、そういう風に言葉が返ってくるんだよ?」
ナディアも戸惑ったように尋ねてくる。
「……もしかして、普段殿下が口にしてらっしゃる創竜神様からのお言葉は、脚色や意訳ではなく、一言一句そのままだったりするんですか?」
「そうだよ? あれ? ナディアも私が勝手に砕けた口調に直してると思ってたの? ほとんどそのまま伝えてるよ?」
フィルが呆然として呟く。
「なんだか、創竜神に対するイメージがガラッと変わりますね……」
「私も、音を立ててイメージが崩れて行きました……」
私は二人に補足の説明を加えておく。
「竜種のみんなも気さくな良い竜ばっかりだし、竜種ってみんな明るい性格してるよ」
フィルが慌てて食いついてきた。
「ちょっと待ってください、”竜種のみんな”ってどういうことです?」
ナディアが私の代わりに説明してくれる。
「殿下は竜種と会話が出来るんですよ。どうやら、竜の寵児は生まれつき、竜種と会話をする事ができるらしいです」
私が笑いながら補足する。
「なんで私たち寵児が竜種と会話できるのか創竜神様に聞いたら”加護が強いからじゃね?”って投げやりに応えてくれたよ」
フィルが顔を引きつらせながら私に尋ねてくる。
「その言葉も、一言一句そのままなんですね?」
「もちろんそうだよ?」
フィルとナディアは困惑した顔で固まってる。
そんなに困惑する真実だったのか。
イメージ壊しちゃって悪いことしたのかな?
「ま、そんなショックを受けなくてもいいじゃない! ちょっと世界の真実が見えただけだよ! ――さぁ、礼拝堂に行こう!」
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私は王宮の礼拝堂の祭壇前で祈りを捧げている。
その後ろではフィルとナディアが黙って見守っている。
――創竜神様、私はこの国で学校に通っても大丈夫?
『お前は通いたい? 通いたくない?』
――通えるなら通ってみたいかなー。
『そうなー、通える学校があるなら通っていいよー。できれば礼拝堂がある学校が好みかなー。あとは好きにしてー』
――はーい。
「――だってさ」
私は会話の内容を全て二人に伝えた。
フィルもナディアも、笑顔が引きつってる気がする。
「本当に一言一句、違わずその通りなんですね?」
「今回は正真正銘、一言も変えてないよ? 創竜神様に誓ってそう言えるよ?」
ナディアの問いかけに、私は正直に答えた。
なんでそこまで疑うんだろう?
「創竜神と寵児の会話って、本当にフランクですね……普段の祈りもこうなんですか?」
「普段捧げる祈りは何も考えずに祈る事がほとんどだよ? 何か尋ねればこんな感じで言葉が返ってくるってだけ」
フィルの問いかけにも、私は正直に答えた。
私は笑いながら自分の正直な感想を口にする。
「私に対してはいつもこうだから、普通の巫女が言う”厳かな創竜神様”ってのが逆にイメージできないんだよねー。一度聞いてみたい気はするけど」
戸惑うフィルがナディアに尋ねた。
「普通の巫女が同じ問いをしたら、創竜神はどんな言葉で返したんでしょうね……」
「おそらく”お前は学校を望むのか”とか”お前が望むのであればその通りにせよ。その際、礼拝堂がある学校を選ぶが良い”とかそんな感じじゃないでしょうか……」
私はそのイメージが面白くて笑ってしまった。
「あはは! 創竜神様がそんな言葉遣いするところなんて、私には想像もつかないよ!」
フィルが気を取り直して私に向き合った。
「ともかく、創竜神の許可は下りましたね。貴方も通ってみたいようですし、魔導学校の手配は僕の方で進めておきます。明日の貴方の予定にも、僕は同行しますね」