3.歓迎夜会
――アデラガルト王女を歓迎する夜会。
名前ばかりのその夜会は、その実、竜の寵児という物珍しい見世物を遠巻きに眺めるだけの見世物小屋だ。
いつか来る宣託でいずこかへ移動してしまう、それで切れてしまう縁を結びたがる物好きは多くない。
名ばかりの王族で気品らしい気品もなく、所作も言葉遣いも平民の子供と変わりがない――そんな珍獣を肴に貴族たちが酒を嗜む場だ。
最初に国王が代表して挨拶を交わす以外、誰も近づこうとはしなかった。
アデラガルト王女はそんな空気も慣れた物と、周囲に関心も示さず食事を楽しんでいた。
彼女の食事の邪魔にならぬよう、少し離れて見ていた侍女のナディアにフィリップ王子が近付き、小声で話しかける。
「彼女の歓迎夜会は、もしかしていつもこうなのですか?」
「……そうですね。稀に心優しい方や信仰に篤い方が話しかけて下さる事はあるのですが、教養のないアデラガルト殿下が話題を提供することが出来ず、相手の話題にも付いて行けない。すぐに会話が終了してしまうのです。結局、話しかけて下さる方々も会話を諦めてすぐに離れてしまう――それがいつもの光景です。迎える側も、身分の上では王より上位の寵児を歓迎しない訳にもいかない。こちらも外交上、それを断る事は出来ない。こんな夜会など、早々に切り上げてしまえれば良いのですが、それもまた外交問題になるのでできない。アデラガルト殿下にばかり負担を押し付ける、逃げ場のない針の筵です」
二人の視線は、食事を楽しむアデラガルト王女に向けられたままだが、その眼差しには憐憫の色が色濃く混じっていた。
特にナディアは、アデラガルト王女の境遇に胸を痛めているのが表情に現れている。沈痛な面持ちで見守っていた。
だが王女がそんな視線や態度を嫌がることを知るナディアは、彼女の前でその姿を見せることはない。
今は彼女の視界から離れているから、本音が漏れ出ているのだ。
フィリップ王子がナディアに尋ねる。
「寵児であることから逃げ出す巫女は居ないんですか?」
「不思議なことに、一人もおりません。寵児は皆、お役御免を言い渡されるまで勤め上げます。もしかすると私たちに伝える事がないだけで、創竜神様から何か命じられているのかもしれません。ただ一つ言えるのは、私が知る寵児たちは例外なく諦観を浮かべているという事です。皆が自分の人生を諦めてしまっている――私はそんなアデラガルト殿下を見ていると、時々信仰心を捨ててしまいそうになります。本来ならフリートベルクの王女として立派な淑女であるはずの殿下が、まともな教育を受ける事も許されずにこうして見世物にされてしまっている。私はそれが悔しくてなりません」
ナディアの声には様々な思いが混じっていた。
敬虔な信徒であるナディアの信仰心が揺らぐ――身近にいるからこそ、より一層アデラガルト王女の過酷な境遇に心を痛め、神に対する不信を抱きたくなってしまう。
竜の寵児本人であるアデラガルト王女の信仰心が揺らぎ、泣き言を少しでも零していたら、おそらくナディアは信仰心より王女を優先するだろう。
だというのに、王女の信仰心は篤く揺ぎ無い。そんな王女の傍仕えであるナディアが信仰心を捨てる事などできはしない。
ナディアが信仰心と忠誠心の狭間で苦悩しているのが、フィリップ王子にも伝わっていた。
フィリップ王子は話を聞き終わり、しばらく何か思案している様子だった。
そして決意したように、その足をアデラガルト王女の居る場所へ向け歩いていった。
****
この国の味付けは案外私の好みね、と燻製肉を咀嚼していると、背後から誰かが近づいてくる気配がした。。
――正直、下手に話しかけてくるより放置してくれた方が私は助かるんだけどね。会話をしても、気まずい時間を味わうだけなのだし。
小さく溜息をつきながら、誰が話しかけに来たのかな、と振り返る。
そこに立っていたのは、笑顔のフィリップ王子だった。
もぐもぐごくんと口の中の物を飲み込んで、私はフィリップ王子に疑問を投げかける。
「どうしたの? フィリップ王子。私に何か用事があるのかな?」
「ゲルダさんのお腹は底なしですか? そろそろ、食べ飽きてきた頃じゃないのかなと思いましてね」
「食べる事で時間を潰すしかないんだもの。飽きても食べ続けるだけだよ。大丈夫、満腹にならない様に食べる方法には慣れてるし――それだけ?」
「食べ飽きている事が分かればそれでいいんです。こんな退屈な夜会に居続ける必要はありませんよ。僕と一緒に外に出ましょう」
私は少しの間、フィルの瞳を見てみる――どうやら本気らしい。
夜会は始まってから一時間ぐらいしか経っていない。
予定ではあと一時間ぐらい続くはずだ。
「私は主賓だよ? 主賓が途中で居なくなったら、国王陛下が困るでしょう?」
主賓の意味くらいはナディアから教わってるから知ってる。
きちんともてなしを受ける事が仕事なのだと私は分かってるし、この時間もそういうものだと割り切ってる。
「父上には後で説明しますし、誰も話しかけに来ない主賓が居なくなったところで、誰も困りませんよ。それとも、ゲルダさんはこの場所に居続けたいのですか?」
……さっきからどういうつもりなのかなー。私の事を”ゲルダ”と呼ぶし、自分の事を”僕”と呼んでる。
今はプライベートの時間じゃないのに、何がしたいんだろう?
「んー、そういう訳じゃないけどさー……ねぇフィリップ王子」
「フィルで結構ですよ。最初にそう呼んでくださいと言いました」
「……フィリップ王子、どういうつもりなのかな? 私は”今日の事は忘れて”と言った気がするんだけど。貴方は初めて会う身分が上の女の子に、そんなに馴れ馴れしくする人なのかな? それに愛称で呼び合うと変な噂が立つと言ったのは貴方でしょ?」
「僕には婚約者も恋人も居ません。貴方との噂が立つ事で、僕が迷惑に感じることはない。あれは貴方が困ると思ったから忠告しただけです」
「そうなの? なら、私は噂が立つと迷惑だよ。この国には何年か居る事になるんだし――分かったらフィリップ王子はあっち行っててくれる? 私は食べるのに忙しいの」
私は再び料理のお皿に向き合って、適当にフォークを刺していく。
サラダをパリパリ口の中に入れ、柑橘類のジュースで流し込んでいく。
ソーセージをポリポリ齧っている間も、背後からフィリップ王子が居なくなる様子が感じられない。
……うーん、やっぱり今日の”うっかり”は大失敗だったなぁ。
「ゲルダさん、貴方は僕との出会いを無駄だと思いますか?」
背中から語りかけられて、再びもぐもぐごくんと口の中を空にする。
私は振り返らずにフィリップ王子に答えを返す。
「何年かしたら宣託で終わってしまう友情でしょ? そこで終わってしまう関係に価値なんてあるのかな? 憐みなら要らないよ? 私はこうやって生きてきたし、これからもこうやって生きて行くの。お役御免されてからが私の人生の始まり。寵児はみんなそうやって生きて行く。それだけだよ」
「僕は、ゲルダさんとの出会いを無駄にしたくない」
意味が分からず、思わず振り向いた。
フィリップ王子の目を見ると、とっても真剣な瞳で私を見ているみたいだ。
「それはどういう意味かな? 私は、今日の出会いは大失敗だったと思ってる。期待して裏切られるのはもうお腹いっぱい、考える事も諦めた。たくさんの人が私を憐んで近づいてくるけど、そんなのこっちが惨めになるだけ。私にとっては放っておいてもらうのが一番の救いなの。私は何も考えずに、寵児としての役目をこなして生きて行くだけだよ」
私とフィリップ王子の瞳の間でバチバチと火花が散っている気がする。
彼の顔に怒りの気配――え? なんで怒るの? 私が怒られるところ、あった? わがままを言っているのはフィリップ王子の方じゃない?
「こんの強情っぱり――口で言って分からないなら、実力行使させていただきます!」
言うが早いかフィリップ王子は私をお姫様抱っこに抱え上げ、スタスタと騒然とする夜会会場から出ていってしまった。
****
必死にじたばた手足を動かしてみるけど、喧嘩が強いだけあってフィリップ王子は力が強い。小柄な私は、腕の中から抜け出せる気がしない。
「ちょっ?! みんなが見てる前でこんなことしたら、それこそ変な噂が立つでしょ?! フィリップ王子?! 何を考えてるの!」
フィリップ王子は私に返事もせず、ひたすら廊下を突き進んでいく。
顔は怒ったままで、まっすぐ前を向いている。
「フィリップ王子! こら! 夜に乙女をどこに連れて行く気?!」
王宮の中だから、暗がりに連れ込まれるとかはないし、あちこちに人の姿はある。
でも通り過ぎる人たちが驚きの目で私たちを見ているのは横目で分かった。
そりゃ驚くよね。夜会に居るはずの私が、王子に抱え上げられて連れて行かれてる最中なんだもん。
ああもう! この距離で聞こえてない訳がないのに! 返事くらいしなさいってば!
「こら! フィリップ王子! フィリップ王子ってば! ――フィル! 説明してよ!」
フィルの表情が突然笑顔になり、私に柔らかい微笑みを浴びせかけてきた。
「はい、少しバルコニーで新鮮な空気を吸おうと思います」
返事できるじゃない……
しかもなに? その優しい笑顔は。
私がぽかーんと口を開けて呆れている間もフィルの足は止まらず、私はあっさり王宮三階のバルコニーに連れ出されてしまった。
風で巫女のローブの裾がはためき、ばさばさと音が聞こえる。今日は結構風があるみたいだ。空には真ん丸に近いお月様が雲から顔を出している所だった。
私は変わらずお姫様抱っこされた状態で、降ろしてもらえる様子はない。
「……ちょっとフィリップ王子、降ろしてもらえないかな? 動けないんだけど」
「先ほどの様に、フィルと呼んで頂ければ考えます」
「……じゃあフィル、早く降ろしてよ」
「検討しましたが、降ろしたくないのでお断りします」
フィルは1秒も考えずに即答した。
検討時間が少なくないかな?!
「結局降ろさないんじゃないか! 乱暴すぎない? 君は女性をこんな乱暴に扱う人だったの?!」
「乱暴とは心外ですね。こんなに丁寧に優しく扱っているのに。それとも、どこか痛い所でもありますか?」
がっちり捕まってはいるけれど、私が痛がるような抱え方をしている訳でもない。
「うっ、それは……ないけどさぁ。誰かに見られると私が恥ずかしいんだよ!」
「僕は恥ずかしくありません。これで問題ありませんね」
どこが問題ないのかな?! 私の恥の問題はどこに?!
ニッコリ笑いかけてくるフィルの手から、さてどうやって逃げ出したらいいのか。
「……私は”噂が立つと迷惑”って言ったよね? 噂が立ったら君はどう責任を取ってくれるんだい?」
「礼拝堂では”困らない”とも言いましたよね。そちらが本心でしょう? ――それに責任ですか? ゲルダさんを嫁に取れというのならそうしますが」
私の顔から火が噴いた。
ちょっと待て、そんなことを真顔で突然言われても困るぞ?!
第一、恋愛すらままならない竜の寵児である私には、当然結婚なんてできないのに!
私は火照った顔のまま、必死にフィルに抗議する。
「フィル! 君は私がそんな事出来ないって知っててそんな意地悪をいうの?!」
「”今日の事を忘れろ”だなんて意地悪を最初に言ったのはゲルダさんだ。僕は今日、貴方に出会えた事を神に感謝したくらいだというのに。それに、できないかどうか、無駄かどうかはやってみなければわからない」
顔が熱くてしょうがないし、フィルの目はまともに見れないし、息苦しいし、全身汗をかいているし、なんだかすごい大変なんだけど。
最初はあんなに優しかったフィルに、こんな強引な一面があるだなんて思わなかったな。油断した。
「仮に結婚したとして、数年後、宣託が届いて私が他国に移動しなきゃいけなくなったら、君はどうするつもり? そこで離婚するの?」
「僕は第三王子だ。ゲルダさんを追いかけて共に旅をするぐらい、訳ないですよ」
フィルは微笑みながら言い切った。
まさか、本気なの? そんな訳ないよね、さすがに。
「……今日会ったばかりの女の子相手に、強引すぎるとは思わないの? 君はそうやって他の女の子にも言い寄る人だったの? とてもそうは見えなかったけど」
だとしたら幻滅という奴だ。もっと誠実な人かと思ってたのに。
フィルはにっこりと爽やかな良い笑顔を浮かべる。
「僕が女性に対してこんな事を言うのはゲルダさんが初めてです。頑なな貴方が相手なら、このくらい強引な方が良いんだと今理解している所です。僕だって最初はここまでする気はなかったし、自分の気持ちに自信がある訳でもなかった。ですがこうして貴方の顔を間近で見て言葉を交わすほど、僕は自分の行動は間違っていなかったと確信を得ているところです」
言葉でも腕力でもまったく歯が立たない。
どうやったらこの場から逃げ出せるか一生懸命頭を動かしてみたけど、頭の中も真っ白でどうしていいか分からなかった。
いつもこんな時に助けてくれる存在の名前を、無意識に口が叫んでいた。
「助けてナディア! フィルが意地悪をして降ろしてくれないんだよー!」
その途端、クスクスと笑い声が上がって足音が近づいてくる。
「とうとうギブアップですか? 仕方ありませんね――フィリップ王子、今夜はそのくらいで許して頂けませんか。アデラガルト殿下には刺激が強すぎます」
フィルに抱きかかえられた私の傍に、ナディアが居た。
その顔には、滅多に見せる事がないほどの優しい笑顔が浮かんでいる。
私はまたもぽかーんとしながらナディアに尋ねる。
「……ナディア、いつから居たの?」
「ほぼ最初からお傍に居ましたよ。殿下の傍仕えである私が、殿下のお傍を離れるとお思いですか? 仮にフィリップ王子が狼藉を働こうとしたら、それを止める責任もございますし」
ほぼ最初から?! じゃあ会場から一緒に歩いてきてたってこと?!
間近でずっと見てたの?!
「なんですぐに助けてくれなかったのさー!」
「殿下がどのような反応を取られるのか、私も興味津々で拝見していました。そのようなお姿、私も見るのは初めてですからね」
にっこりと微笑むナディアは、意地悪な事を言いつつとても嬉しそうだった。
フィルの顔を見上げると、フィルもナディアが居る事は最初から分かってたみたいで全く驚いていなかった。
「ナディアさんに止められてしまったなら、今夜はこれ以上の意地悪をするのは止めましょう」
そう言ってようやく私をそっと床に降ろしてくれた。
私は急いでナディアの背中に回り込み、自分の姿をフィルから隠す。
「あまり夜風に当たり過ぎるのも身体によくありません。応接間に移動しましょう。一緒に暖かい紅茶でも飲んで、夜会の時間が終わるのを待ちましょう」
そういってフィルはバルコニーから歩き出していった。
ナディアはそれを追いかけるように歩き出し、その後ろに隠れる私も必然的に付いて行くことになってしまった。