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2.竜の寵児

「殿下ってつまり、フィルは王族だったって事?」


「そういうゲルダさんこそ、王族だったんですか? ――ああ、そういえばフリートベルク王国から第二王女が来訪していると聞いています。貴方だったんですか」


「あはは……えーとその……はい。その通りです」


 私は項垂れ、観念して身分を認めた。

 さすがにこれでは言い逃れもできない。


 目の前の神官や続いてやってきた人たちも、事情が分からず私とフィルの顔を交互に見て、戸惑っているようだ。


「殿下! やっと見つけました!」


 聞き慣れた若い女性の叫び声が耳に届いてきた。

 私はその声で小さい身体をさらに縮め、必死にフィルの背中に隠れる努力をする。

 足音が近づくがやはり彼女も戸惑ったのか、足を止めてわずかな間が生まれた。


「……フィリップ王子、何故殿下と共におられるのですか? まさか王子が殿下を連れ出したのですか? 詳しく事情をお伺いしてもよろしいですか?」


 彼女の冷たい声がフィルを責めるように問い詰める声が聞こえたので、私は身を隠しながらフィルを弁護する。


「ナディア! フィルは迷子になった私をここまで連れて来てくれたんだよ! 助けてくれたの!」


「――迷子? 何故お手洗いに行った殿下が迷子になったのか、ご説明頂いてもよろしいですか?」


 彼女――ナディアの冷たい声が今度は私に向けられる。


「えと……ちょっと一人で街を見て回りたかったから、その……窓からこっそり抜け出してました……」


 途端にナディアから、氷雪の嵐のような空気が私に向かって吹きつけられた。


「ほぅ……それで? お一人で見て回った街は楽しかったですか?」


 私は顔を上げ、ぱっと笑顔になって応える。


「うん! とっても面白かったよ! この街は大きくて人が多くて面白いね!」


 目の前には、絶対零度の眼差しをしたナディアが私を睨んでいる姿があった。


 ……しまった、ついうっかり本音が漏れた。対応を間違えた、という奴だ。


 ナディアは冷たい眼差しのまま、再び私を問い質していく。


「それで、何故フィリップ王子とご一緒してるのか、きちんとご説明ください」


「えっと、それがね? 迷子になってたら、男の人に囲まれて、神殿に連れて行ってくれるっていうから付いて行ったの」


 その瞬間、ナディアのこめかみに極太の青筋が見えた。


「――それで? その後どうされたのですか?」


「……付いて行ったら、人の少ない所に連れて行かれそうになって、なんだか嫌な感じがしたから逃げようとしたんだけど失敗して、困ってたところをフィルが助けてくれたの」


 うーん、ナディアから感じる冷気で氷の彫像になりそうな気分だ。

 ここまで怒ったナディアは記憶にない。


「なるほど……フィリップ王子、殿下の危機を救って頂き、深く感謝致します」


「いえ、ゴロツキに絡まれている巫女装束が見えたので、看過できなかっただけです。私こそ救い出すのが遅れたせいで、王女の額に擦り傷を許してしまった。申し訳ありません」


 その一言でナディアの表情が豹変し、眉をひそめて私に駆け寄ってきて、顔面を両手で掴まれた。


「――はぁ。よかった、この程度ならすぐに癒せます」


 そのままナディアが治癒術式を展開して私の額に当てた――さっきまでヒリヒリしていた感覚があっというまに消えて行く。

 相変わらず、ナディアは治癒術式が上手だ。


 私は顔面を掴まれたまま、ナディアに質問する。


「ねぇナディア、フィルって王子様だったの?」


「……訪問先の王族くらい、きちんと把握しておいてくださいとあれほど念を押しましたよね?」


「私がそういうのまるっきりダメだって知ってるでしょ? 覚えきれる訳、ないじゃない!」


 私が胸を張って言いきると、ナディアのドデカ溜息が私の目の前で炸裂した。


 フィルもやや引き気味の顔で私に問いかけてくる。


「アデラガルト王女、貴方はそれで第二王女なんて務まるんですか? 社交界はどうやって対応してるんですか?」


 私はきょとんとした顔でフィルに応える。


「社交界なんて出ないよ?」


 フィルが驚いたように「え?」と口にした。


「私は竜の寵児なんだって。その意味は分からないけど、竜の寵児は竜の巫女としての務めを果たせば、それだけでいいんだって。どうしても社交の場に出なきゃいけないときは、ナディアが傍でサポートしてくれるんだよ」


 フィルがナディアに振り向いて尋ねる。


「竜の寵児とは、どういう意味なんですか? ナディアさんはご存じですか? 各国で王よりも上位に扱われる例外的な存在、とだけは知っていますが……」


「私も詳しいことは存じ上げませんが、竜の寵児が生まれると白竜教会本殿で宣託があるそうです。殿下はその中のお一人でした。最高司祭でもその意味を知らないとまで言われています。おそらく、創竜神様のみがその意味を知るのでしょう――アデラガルト殿下は国外への移動も宣託を受けて行っています。御自分の意志では移動する事もままならぬ身なのです」


 街の中をぶらつく程度の自由はあるけれど、街から移動するぐらいになると宣託による指示が必要になる。

 そんな生活なのだ、思わずこっそり神殿から抜け出して街を散策してみたくなっても、しょうがないと思う。

 迷子になったのはただの誤算である。


 私も溜息をつきながら愚痴をこぼす。


「そうなんだよねー。どこかに旅行したいと思っても、自分一人の意志で動くことが許されないんだもん。生まれてからずっとこの生活だから、もう慣れたけどさー。寵児の意味を創竜神様にいくら聞いても教えてくれないし」


 私のその言葉に、フィルはかなりびっくりしたみたい。

 切れ長の目を大きく見開いている。


「そんなに不自由な生活なのですか? それなのに創竜神様に聞くとはどういうことです? 宣託は白竜教会総本山の本殿でしか受けられないと聞きますが」


「竜の寵児は、各地の神殿や礼拝堂でも宣託を受けられるんだよ。総本山まで行かなくていいの。そこは楽な所かな。毎日の礼拝の中で、いつ頃にどこに行けって宣託が降りるんだよ。私はそれに合わせて移動してるだけなんだ」


 ナディアが私の言葉を補足する様に続く。


「アデラガルト殿下はそういった特殊な事情から、満足に淑女教育を受ける事も難しい状態です。ですから白竜教会影響下の国では、殿下の社交に問題があっても不問にされているのです」


 フィルが納得した様に頷いた。


「なるほど、アデラガルト王女は竜の巫女の中でも特殊な存在なのですね。では、今回の来訪も宣託を受けての事なのですか?」


「そうだよ? 私は次の宣託があるまで、この国に居なさいって言われたんだ。最短でも何年間かは居る事になるみたい」


「そんな生活では、学校はどうするんですか? 無教養という訳にはいかないでしょう?」


 私は眉をひそめ、肩をすくめて応える。


「読み書きや数の計算、それに最低限の一般常識くらいは教師が付いて教えてくれたけど、竜の寵児にはそれ以上求められないんだよ。王女なんて言っても、肩書だけの張りぼて王女だよ。宣託でお役御免になるまではずっとそんな生活らしいよ?」


「……では、婚姻はどうなるのですか? お役御免になるまでは、婚姻も望めないでしょうに」


 私はドデカ溜息をついて応える。


「もちろんそうだよー。若いうちにお役御免になればいいけど、年を取るまでお役目を任される寵児も居るらしいし、こんな人生に楽しみなんてないよねー」


 ふと顔を上げると、フィルの顔がとても切なげに見えた。

 私の人生を憐れんでるのかな?

 私はフィルに、にへらっと笑ってあげる。


「大丈夫だよ、生まれたときから背負った使命だもん。もうとっくに慣れちゃったよ。私はただ、毎日巫女として神様にお祈りするだけ。それでいいんだよ」





****


 今私は、フィルのお家――王宮にお邪魔している。

 次の宣託があるまでは、ここに居る事になってる。


 部屋は一番良い客間を割り当ててもらったけど、毎回豪華すぎて使い切れないのが困りものだ。

 一応王族だし、寵児は各国の王より上位の存在だからそれなりの扱いはしてもらえるんだよね。


 今夜は私を歓迎する夜会があるらしいんだけど、私にとって夜会とは食事の時間でしかない。

 私は名前を覚えられないし、いつどこに移動するかも分からない相手と縁を結ぼうとする人はまず居ないしね。

 それまでは暇なので、王宮の礼拝堂をフィルに案内してもらってる。

 さすがは王宮の礼拝堂だけあって、街の礼拝堂とは規模が違う。中くらいの大きさの街の神殿くらいには立派かな?


「わー、結構立派だねー。フィルは毎日ここでお祈りしてるの?」


「いえ、ここには週に一回、週末にしかきません。普段の祈りは部屋で行っていますよ」


 王族の私服に着替えたフィルが、私の前を歩いている。

 そのスッキリとしたシルエットに気品が溢れていた。

 こうしてみると、ちゃんと王子様だな。


「ねぇフィル、どうして平民の服で街に居たの? 最初からその格好なら、すぐ王子ってわかったのに」


 私の素朴な疑問に、フィルは困ったような笑みで応えてくれる。


「お忍び、という奴ですよ。私はたまに息抜きで、ああやって街の様子を見て回ってるんです」


「息抜き? 王族の生活って息苦しい?」


 私も王族だけど、王族というより寵児としての人生を歩んでるから、王族らしい生活を実はよく知らないんだよね。

 兄様や姉様は、背負うものも多くて大変みたいだったけど。

 私は寵児だから、王族として背負う責任はほとんど免除されている。


 私の問いかけに、フィルは苦笑を浮かべて応える。


「……貴方の人生を知らされた後で零せるような愚痴ではありません。貴方に比べれば、私の人生はずっと自由だ」


「ここはフィルのお家でしょ? お家にいるのに、まだ”僕”にならないんだ?」


「今はアデラガルト王女の前ですから」


 私は辺りを見回してみる。

 今この場には、私とフィルしか居ない。

 勿論兵士や使用人は控えているけど、彼らは原則としてノーカウントにするのが常識らしいことは私も教わって知っている。


「私とフィルしか居ないのに? 二人きりの時ぐらい、最初の時みたいに”僕”でいいし、私の事は”ゲルダ”でいいよ?」


「ですが、”ゲルダ”はアデラガルト王女の愛称でしょう? 王より上位の貴方をそのような名前で呼ぶことはできません」


「最初は呼んでたじゃない? それに、プライベートに身分は持ち込まないものでしょ?」


「それはそうですが、貴方との時間をプライベートとして扱うなど、私にはできかねます。貴方は国賓ですので」


 フィルには譲る気配がない。むー、頑固だなー。

 そうか、そんなに身分に拘るのか。ならばこの手はどうだ!


「よし! それじゃあ寵児として命じます! 二人きりの時はプライベートの時間として扱う事!」


 私はフィルの鼻先に、人差し指をずびしっと突き付けて命令した。

 二人きりの間、パブリックの時間として扱うなら格上の寵児のいう事を聞かなきゃいけないし、プライベートの時間として扱うなら対等の立場で居られる。逃げ場はないぞ? さぁどうする?


「……ゲルダさん、それは卑怯ですよ」


 しばらく苦悩した後、フィルは疲れたようにがっくりと項垂れた。

 私の悪知恵の勝利である。ふはは!


「随分と嬉しそうですね、こんな無茶振りして。僕が貴方を愛称で呼んでいると他の人にわかったらどうするんですか」


 私が胸を張って得意になっていると、フィル君が恨めしそうにこちらを見ていた。

 私は意味が分からず小首を傾げる。


「どうするって、どういう意味? フィルだって、フィリップ王子の愛称でしょう? お互いが愛称で呼び合うだけの話じゃない?」


 フィルが中々のドデカ溜息を炸裂させた。解せぬ。


「出会って間もない王子と王女が愛称で呼び合ってたら、社交界で変な噂が立ちます」


「変な噂? どんな噂なの? 仲が良いねって言われるだけじゃないの?」


 小首を傾げる私に、さらに疲れた空気を身に纏ったフィルが説明をしてくれた。


「仲が”良過ぎる”ね、という噂ですよ。恋仲だと噂される、そういうことです」


 私は納得したように、ぽんと手を打ち合わせた。


「あー、なるほど。私なんかと恋仲なんて噂が立ったら、フィルに迷惑がかかっちゃうのか」


「……あなたは、迷惑だと思わないのですか?」


 私はきょとんとして小首を傾げる。


「私が? なんで? お役目中の寵児は、恋愛とは無縁だもん。例え噂が立っても、移動すれば関係なくなるよ」


「お役目中の寵児が恋愛する事はないのですか?」


 私はあはは、と笑いながら応える。


「そういうことを期待するのは止めたんだ。考えると辛くなるし。宣託が来たら終わっちゃう恋愛なんて、しても虚しいだけだよ。十五歳の乙女としては寂しい限りだけどね。友達を作っても移動するまでの仲だし。私が人の名前を覚えられないのは、覚えても意味がないと思ってるからかもね」


 フィルがまた、私の事を切なげな眼で見てる気がする。

 うーん、本当に大丈夫なんだけどな。十五年間そうやって生きてきたんだし。


「でもそっか、フィル――フィリップ王子の迷惑になるなら、さっきの命令は取り消すよ。偶然仲良くなった友達が出来て、ちょっと浮かれてたみたい。ごめんね、今日の事は忘れて!」


 街に抜け出した先で、私たちは一人の女の子と男の子として出会った。

 うっかり自分の身分を忘れて仲良くなってしまった。それがよくなかったんだな。

 私は一人の人間である前に竜の寵児なのだから、そんな事が許される訳もないのに。

 誰でも失敗はするものだ。


 私はフィリップ王子から離れて、礼拝堂の祭壇に向かった。

 そのまま跪いて、創竜神様に祈りを捧げた。

 なんだかその間、背中にフィリップ王子の視線を感じた気がするけど、なんで見てたのかな?


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