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35 東三の実家

 すみれはこの日、和潤の暗号文の真意に感づいていたが、山梨県にいたので、実際に三等分にされた暗号が青月島で発見されている事実を知らなかった。つまり彼女の想像は、あくまでも想像の域を脱していなかったのである。ただこの想像を元にして、すみれの関心は、和潤が愛人との間に作った子供たちの方へと急速に移っていた。


 すみれは昨日、土井刑事から東三の実家の場所を聞き出していた。それは山梨県内の身延山の付近の山村であった。

 すみれは今、身延線の電車に乗っている。甲府から身延山までは電車で一時間半もかかるということであるから、すみれは、にわかに退屈してきてしまった。

 

(推理でもするか……)

 今回、尾上家の人びとを青月島に招いたのは東三である。

 すみれは考える。

 この男の真の狙いは、三等分にされた暗号文の内の二枚は内容が分かっているのだから、残りの一枚を手に入れることだったのじゃないか?

 だから、暗号文を持っている可能性のある、双葉と英信という二人の血縁者を上手い口実で呼び寄せようと思ったのではないか。

 

 潤一の暗号が公開されるとあれば、暗号を持っている人間ならば、自分の暗号を必ず持ってくることだろう。

 つまり東三は、この集まりを利用して、三つに分散された暗号を集めようとしたのではないか……?


 身延駅にたどり着くと、すみれはバスが到着するまでの間、信玄餅のアイスクリームを食べていた。

 山梨県のお土産といえば、葡萄と信玄餅と決まっている。

 特に信玄餅は、山梨県では、さまざまなスイーツの姿に変化している。

 アイスクリームや、クレープも人気商品なのだった。

 すみれはここで身延山行きではないバスに乗った。運転手に勘違いしているのではないかと心配されることになった。それもそのはずである。すみれは観光客らしい旅行鞄を持っていたのだから。

「いえ、わたし、ルポライターなんですよ」

 と説明になっていないような説明をした。バスの運転士は、ルポライターなら身延山行きではないバスに乗ってもしょうがない、と思ったらしい。


 バスから降りて、山道をひたすら歩いた。レンタカーかタクシーを利用すればよかったとすみれは何度も後悔した。そうしているうちに、東三の家に着いた。それはあきらかに田舎の一軒家という感じの日本家屋だった。


 よくよく見ると、庭の片隅に、裕福で豪奢な犬小屋があって、大銀杏の木陰に犬が一匹寝そべっている。それはちょっと小洒落た雰囲気の若々しい秋田犬だった。こうしてみると、なるほど、知性的な顔つきではあるが、眉毛のあたりに少し頼りなさも感じられた。すみれに近付くと、こちらの顔を見て、すこし人を小馬鹿にしたような笑いをヘラヘラと浮かべている。

(この犬……)

 秋田犬はしばらく、すみれを見つめているとだんだん飽きてきたのか、今度は、特に面白いものがあるとも思えない山並みの方を向いて、そのどうでもいい方向をへらへらと笑いながら眺めているのだった。


(それにしても困ったものだ)

 とすみれは思った。なんと言って住人に呼びかければ良いのだろう。事件記者というのは根性がいるものらしい。見知らぬ人の家のインターホンを押すのもかなりの抵抗がある。それどころか、よく見たら「インターホンは壊れています」という張り紙が貼ってあった。


 仕方ない、わたしの美声で呼ぶか、とすみれは思い切った。

「すみませーん」

「わん!」

 反応したのは犬だけだった。きっと家には誰もいないのだろう。すみれが諦めて帰ろうとして振り返ると、そこには農作業姿の粋な雰囲気のおばあさんが立っていた。

「大沼さんにご用? 今日は確か法事でいらっしゃらないのよ」

「ご用というわけではないのですが……もしやあなたはご近所の方ですか」

「そうなの」

「ちょっとお話をお聞きしてもよろしいですか?」

 すみれは犬の視線を背に受けながら、そのおばあさんから、大沼家の詳しいことを聞いた。


 何でも、大沼家には妙子(たえこ)という美しい女性がいたということだった。その女性は二十そこそこの若さで、県内在住の男性と結婚し、北一と西次という健康的な男子を産んだ。ところがその夫は不慮の交通事故にあって死んでしまったのだという。

 この頃、和潤はこの妙子という女性の美しさに目をつけた。……というより、和潤は妙子の境遇を気の毒に思ったのかもしれない。妙子は和潤の愛人となり、間もなく、妙子は和潤の男子を産むことになった。この男子は、北一と西次の弟ということで、東三と名付けられたのだが、尾上家の家名が傷付くのを恐れて、和潤が引き取ることはなかった。妙子の実家で育てることになったのである。

 大沼妙子は、尾上家の財産を貰い受けながら生活していた。


 この話を聞いて、すみれはある意外な事実に気が付いた。すみれはてっきり東三という名前は、潤一と双葉という兄弟の名前の一貫性から「三」という数字がつけられたものかと思っていた。

 実際には、大沼家の三男であるから「東三」と名付けられたというのである。


 その時、すみれは妙な予感が頭をよぎって、すぐさま

「東三さんの現在のご年齢は……」

 と尋ねた。


「確か、三十八歳だったねえ」

 とおばあさんに言われた。

(三十八歳……)

 確か土井刑事の話によれば、英信は現在、五十歳ぐらいの年齢だと言う。そして英信は、和潤が二十歳そこそこの時に産ませた子というから、東三が産まれた時、和潤は三十代前半くらいの年齢だったというわけである。


 すみれは、おばあさんにお礼を言うと、小馬鹿にしてくる犬を置いて、すぐに来た道を戻りバスと電車に乗って、今度は甲州市にあるという潤一の実家を尋ねることにした。


 潤一の実家というのは、甲州市の山奥にある古寺であった。そもそも、潤一をジュンイツと読ませること自体、僧名臭い印象を受けるが、つまるところ潤一の実家が寺であることがその理由なのだった。


 その古寺の名を五輪山永眼寺(ごりんさんえいげんじ)と言った……。

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