9 食事
日も暮れ果てて、祐介が窓の外を見ると、孤島は漆黒の闇に覆い尽くされている。
青月館のダイニングルームに用意された料理の数々は、血が滲み出すような大きなビーフステーキと、夏野菜のサラダとポテトサラダ、そしてオニオンスープなどであった。
料理をしたのは元也の妻である富美子と、幸児の恋人の未鈴のふたりであった。
根来も料理を手伝おうと思ったが、幸児君が嫉妬するので、というよく分からない理由で、未鈴に断られたのだった。
ちなみに根来も意外と料理上手な方である。根来は、若くして病に倒れて亡くなった愛妻の手料理の味をよく覚えていた。それで、一人娘を男手一つで育ててゆく中で、愛情が足りなくならないように、料理だけは毎日しっかりと作ろう、と気を配っていたのである。
と言っても、そもそも男の料理である上に、根来は元来ガサツな方だから、味付けがしょっぱ過ぎたり、野菜の切り方が雑だったり、と大学を卒業するまでの間、一人娘の不満は存分に溜まっていたようである。
そんなことはどうでもいい。根来は料理を断われたことを不満に思いながらも大人しく、祐介と共にダイニングルームに招かれた。
東三の姿が見えないまま、一同はカチャカチャと皿の音を立てて、黙々と食事を開始している。
祐介も、あの暗号文のことが気にかかっているらしく、ビーフステーキをフォークで突き刺す勢いだけは元気が良いが、それをなかなか口に運ぼうとせず、何か考えごとをしているようであった。
「東三さんはまだ来られないのですか」
祐介は思い切って、英信に尋ねた。
「ええ、先ほどもお部屋に行ったのですが、まるで起きてこんのです。鍵もかかっているし、もしかしたら、どこかへ出かけているのかもしれませんな」
祐介は頷くと、正面に座っている黒縁眼鏡の気難しそうな男の方を向いた。
「双葉さんも何か聞いていませんか?」
「いえ、わたしは特に何も聞いておりませんが」
「探偵さん。どうしてそんなことをお尋ねになるの?」
未鈴は、さも興味がありそうな表情で、祐介をまじまじと見つめながら言った。
「どうも嫌な予感がしましてね」
すると英信は東三がいないことでかえって気楽なのか、愉快そうに笑った。
「ははは。これは探偵さんらしくもない。予感なんて、そんな非科学的なものは信じてはいけませんよ。いや、しかし……あいつめ、今頃、何を抜け駆けしようとしているのか。これは少し気になりますな」
と英信は途中から不安になったらしく、訳もなく椅子の上でもぞりと座り直す。
「とにかく、食事を済ませてからにしましょうよ。あの男の話は聞いているだけで、鳥肌が立つわ」
沙由里は、本当に気味が悪そうに語った。
しかし祐介は、どうも嫌な予感がしてならなかった。第一、東三の動きというものが不可解だった。時子があの天狗岩のことを話した時も、あまり気に止めていなかったようであるし、先ほど、天狗岩周辺を散策していた時にも東三はついに現れなかった。埋蔵金が欲しいのなら、絶対にあの場所で出くわすと思っていたのだが、そうはならなかったのである。一体、彼は何を考えているのだろうか。いや、そもそも、こんなところに人を集めて、この四日間で埋蔵金の相続に決着をつけようという提案、それ自体に、何か判然としないところがあったのである。
根来は、鉄皿の上で音を立てているビーフステーキをナイフで切って、フォークで突き刺しては頬張った。なかなか良い肉である。牛の甘い香りと肉汁の旨味が、ソースの酸味とよく合っている。柔らかいながらも、弾力がある牛肉なのであった。
根来は、牛肉を味わいながらまわりの様子を眺めていると、あることにふと気づいた。
(しかしなぁ、この双葉って男、ナイフとフォークを持って、先に肉を切り分けてしまうと、今度はナイフを置いて、フォークを左手に持って、そのまま片手でさっさと口に放り込んでゆく。カチャカチャとフォークの音は鳴るし、もう肉はほとんど鉄皿に残っていないという具合だ。それに比べて、尾上家の奴らはみんなナイフとフォークを両手に持って、音も立てずに、お上品に召し上がっているとくる。まだ肉は半分以上残っている。それどころか全員で同じスピードになるように気をつけているらしい。これが正妻との間の家族と、愛人との間に生まれた子の育ちの違いなのかな)
どちらに同情するでもなく、根来はそう思ったのである。
しばらくして、食事が終わると、皆解散した。時刻は八時である。その後、祐介と根来は幸児と未鈴と一緒にリビングのソファーに座って雑談をしていた。
窓の外は真っ暗だ。本当に街灯ひとつない無人島のことだから、頼れるのは月明かりぐらいなのだが、今日は曇り空で小雨も降ってきていると見えて、本当に漆黒の闇というものである。
「暗号、分かりましたか?」
幸児が不安そうに、祐介たちに尋ねてくる。
「天狗岩までは行ってみたんですがねぇ、それでもよく分からんのです」
根来は、いかにも熱そうな煎茶を慎重に一口すすった。
「そうですか」
「埋蔵金を見つけたところで、あなた方と東三さん、双葉さんの間に不満が残ることは間違いないですな」
「そうなんですよ」
「英信さんも最初こそ威勢が良かったが、あの東三さんの喧嘩腰に面食らって、ずいぶん静かになりましたな」
「そういう父なんです。可哀想だとは思いませんか」
根来は何とも答えずに首を横に振って、ただ煎茶を一口すすった。祐介はまだ何か考え込んでいるらしく、ぼうっと窓の外を眺めていた。
「おかしなことにならなければいいけど……」
未鈴はそう言うと眠そうに、猫のような欠伸をした。
「そうですな。おかしなことにならなければいいが……」
根来は祐介の方を見た。祐介はまだ何か考え込んでいるらしかった……。




