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第4章 MMT党の進出

 所変わってアメリカ――


「やむをえませんね、編集長。ミスター・ベソスにはくれぐれも丁重におわびのことばを伝えてください」


 こうしてアメリカの経済誌『フォーブス』は異例の決定を下す。2031年3月5日号で発表する予定だったことしの世界長者番付を、校正の段階でさしかえるのだ。


 ことしも順当にアマゾンの創業者ジェフ・ベソス氏が1位、テスラおよびスペースXの創業者イーロン・マスク氏が2位として発表される予定で、とくにことしはベソス氏の資産がついに3004億ドルと、史上初めて3千億ドルの大台を突破するので、これを話題にしてベソス氏を同号の表紙写真のモデルに起用し、すでに撮影をすませていたのだった。


 ところが〈ナカモトめざめる〉によってナカモトサトシの存在が世界的に認められて、フォーブス社長はナカモトを長者番付に入れることを1月25日に決定した。


 ナカモトの資産は約112.5万BTCである。ドルに換算すると3千億ドルどころか1ケタちがう1兆1345億ドルでぶっちぎりの1位である。しかも2位以下のだれよりも換金性が高い。ナカモトのビットコイン保有量は総発行量の5%にすぎず、ビットコインの1日の出来高は平均して総発行量の約3%もあるので、価格を落とさずすべて売却することも可能だ――というかビットコインはそのままでもいちおうお金である。いっぽうベソス氏は資産の90%以上が、総発行枚数の約10%も保有するアマゾン社株だ。同社株の1日の出来高は平均して総発行枚数の約0.5%にすぎないので、売却すれば価格の大幅な下落は避けられない。


 ナカモトの個人写真は当然ながら無い。そこで、無人の額縁写真を表紙に載せることにした。これだと画像をちょっと加工するだけですむので、あまり時間をかけずにさしかえられるという判断だった。同号はのちに発売されるとインスタグラムやティックトックで話題を呼び、爆発的な売上を記録する。


 では次に、その『フォーブス』を定期購読しているような意識の高い投資家たちは、1月20日に〈ナカモトめざめる〉にどう反応したのか?


 かれらにとって、ナカモトが送金した約100万BTCが、核兵器や麻薬の購入にあてられようが、貧困支援にあてられようが、ナカモトやXやYがだれであろうが、べつにどうでもよかった。とくに投機をなりわいとする投資家たちにとっては。


 かれらにとって興味があることはただひとつ――


 ビットコイン価格が上がるのか、下がるのか、それだけである。


 そしてかれらはビットコイン価格が、下がる、と読んだ。


 なぜか? 理由はこうである。


 ついきのうまではナカモトは死んだも同然に思われていて、ナカモトが所有していると推定されていた約112.5万BTCはウォレットに眠ったまま、焼却されたも同然だと認識されていた。じっさい、その他の眠れるコインと合わせて300万BTCほどは、つねに市場で流通していなかったのだ。


 すなわち、ビットコイン発行量は2031年1月現在、上限の2100万BTCに迫る2040万BTCを超えていても、純供給量は最大で1740万BTCほどだったのだ。


 ところが〈ナカモトめざめる〉によって約100万BTCが送金され、このあとめぐりめぐっていろんな人の手にわたり、純供給量が最大で1840万BTCまで上昇する可能性が出てきた。死せるビットコインがゾンビのごとくよみがえって市中で暴れだしそうなのだ。暗号資産取引所にコインが回ってくるのも時間の問題だと予想された。たとえるならば、ただの伝説だった赤城山の徳川埋蔵金がシュリーマンのトロイア遺跡のごとく発掘され、金の延べ棒に精錬されて、金市場へ流れこむようなものである。


 市場へのコインの供給量が増えれば、そのとき価格はどうなるか?


 供給が増えれば価格は下がるという法則が、アダム・スミスが言った〈神の見えざる手〉の前日譚である――このあと、下がった価格が需要を喚起して価格を元に戻すのが神である。


 こうしてビットコイン価格は、下がる、と予想した投資家たちは1月20日、じっさいにビットコインが暴落するまえに、保有していたビットコインを手放すか、もしくはビットコイン先物市場で空売りするなどの行動を起こした。


 ところがこの行動がかえって、ビットコイン価格を押し下げたのである。じっさいに〈ナカモトめざめる〉によって、ビットコインの供給量が増えようが増えまいが関係なく、である。


 投資家たちがビットコイン価格は下がると予想しても、じっさいにビットコインを売らなければ、価格は下がらなかったかもしれない。


 しかしかれらは売ってしまった。そして価格は下がってしまった。


 このように予想したがゆえに行動して、予想したことがかえって実現するのが投機の怖さであり、うまみでもある。


 1月20日の〈ナカモトめざめる〉の直前まで100万ドル/BTCだったビットコイン価格は、その24時間後の21日午前10時には80万ドル/BTCまで大きく値を下げた。一日で20%の下落率を記録するのはおよそ5年ぶりの出来事だった。


 4兆ドル、日本円にして500兆円の価値が一瞬にして吹き飛んだ。またもやビットコインバブルがはじけたかと市場では警戒された。


 しかし22日には価格は反転上昇し、その後はゆっくり1か月をかけて100万ドル/BTCまで戻した。


 けっきょく〈ナカモトめざめる〉はその後の動きを見せず、投資家たちの予想は杞憂に終わり、〈ナカモトめざめる〉は市場に売買の格好の材料を提供しただけだった。


 だが投資家たちの勇み足のせいでビットコイン価格は大暴落し、一般人はパニックに陥り、慌ててビットコインを売って損失を発生させたり、逆に底値で買って莫大な含み益を獲得したり、悲喜こもごもいろんなドラマが生まれた。


 津上は知っている――今回のビットコインの大暴落のように、物価もまた自己実現的に騰落するものである、と。


 物価が上がると予想すれば、人々は利益の確保に走って商品価格をつり上げる。これによってほんとうに物価が上がるのだ。いったんその流れに入れば収拾がつかなくなり、物価はどんどん上昇していく。これがハイパーインフレの恐ろしさである。


 そして津上は、この世でインフレターゲットほど難しいものはないとも思っている。人々は政府が定めた物価上昇の目標などおかまいなしに、物価の騰落を予想するだろう。デフレ不況時代に引き上げるのにさんざん苦労した、国民の低いインフレ予想は、2031年現在の日本にはもう存在しないのだ!


 にもかかわらずMMTの信奉者たちは、インフレ予想など容易にあやつれる……などと平気で主張する。津上にはそんなかれらがほんとうにふざけた野郎どもに思えるのだ。


「なに、そんな難しい顔してるの? 温泉につかって湯あたりでもした?」とアリスに問われて、津上はハッと我にかえる。


「あ……いや、いいお湯だったよ。ちょっと横になろうかな」


 1月26日の夜、津上とアリスたち家族は草津の温泉旅館でまったり過ごしている。


「ええ、どうぞゆっくり休んでちょうだい――あ、そろそろ20時だわ。テレビをつけなくちゃ」


 20時になった瞬間、テレビ画面にテロップが流れる。


 〈民自党大敗 過半数割れ確実〉


 民自党が大きく議席を減らすことは選挙まえから予想されていたが、まさか過半数を下まわるとは意外だった。歴史が動こうとしている。そんな予感がする。


 そして気になる城山の当落はまだ判明していない。


「民自党が負けるということは、MMT党がたくさん議席を獲得するかもしれないわね……」アリスはうっかり口をすべらせる。


 津上はムッとして「どうだかね。それより、ほんとうによかったのか? 投票日直前のだいじな時期にボランティアスタッフから外れたのは?」と、けんかを蒸し返す。


「あなた、やっぱり気にしていたのね」


「べつに、気にしてなんかいないさ」


 子どもたちは両親のただならぬ雰囲気を感じ取り、ふたりとも温泉に入りに行くと言って部屋を出ていく。


 ドアが閉まるのを見てアリスが続ける。「城山くんとわたしはほんとうになにもないんだから! わたしはただあの人を応援してあげたかっただけ!」


「どうだか!」


 そのときだった。テレビ画面の下段に東京2区の開票状況が表示される。開票率10%の時点で城山がかなりの差をつけてリードしている。


「あっ、城山くんが勝っている!」


 そしてまもなく当確のスタンプが押される。


「――やっ、やったわ! 城山くんが当選した!」


 そ、そんな……MMTが国民から求められているなんて……


 その後もMMT党は着実に当選者数を伸ばしていく。


 そして深夜になって大勢が判明し、定数455名のすべての当落が確定する。


 MMT党は7議席を獲得する。野党では進民党、社会公共党に続く、3位の獲得議席数を記録する。


 いっぽう民自党は過半数割れの219議席に終わる。過半数にあと4議席たりなかった。


 こうして今後の政治の焦点は、民自党による連立政権交渉がどのように進むかに移る。



 翌1月27日、民自党の山下総裁つまり山下内閣総理大臣は、民自党敗北の責任をとって辞意を表明する。


 ただし今後の連立政権交渉は政治空白を避けるため、次の民自党総裁が決まるのを待たずに党内の意見を調整しながら進めていくことが発表される。


 城山は撤収する選挙事務所から、テレビの生中継で首相のぶら下がり会見を観ている。首相は多くを語らずに官邸のなかへと消える。


 すると直後に、城山のスマホに非通知で電話がかかってくる。出てみると、いまテレビで観たばかりの山下首相である。


「これは、これは……山下首相、わざわざお電話ありがとうございます」


『いえ、とんでもありません。あなたの電話番号は財務省の職員から聞きました――さっそくですが、きょうこれから首相官邸にお越しいただけますか?』


「もちろんです。そのつもりで準備しておりました」


『そうですか。では、こちらからお迎えにまいります。いまどちらにいらっしゃいますか?』


「じぶんの選挙事務所です」


『わかりました。では、そちらに車をやります』


「ありがとうございます。では、のちほど」


 城山は電話を切る。いよいよだ……MMTを実現させるためになんとしてでも連立政権入りを果たすぞ……! 民自党が過半数割れするなどまたとないチャンスだから。


 あわよくば財務大臣の座を狙って……いや、さすがに大臣は高望みしすぎか? つい3か月前までいっしょに働いていた同僚たちを部下にすえるなど、おそれおおいことだ……しかし思い出されるのは、


『MMTだと? きさま、それでも財務省職員か! もういっぺん経済学を学びなおせ、ばかやろう!』


『おい城山、このやろう! 財務省の諸先輩がたが、プライマリーバランスの黒字化を実現させるために必死になって歳出を節減してきたのに、おまえはその努力を水の泡にするようなバラマキ政策を唱えやがって! いくら国民うけするからってなあ、国民はそんなにバカにじゃないぞ! おまえなんかにだれが投票するか! 国民の良識を知りやがれ!』


『『『恥を知れ!』』』


――などと上司たちから浴びせられた罵声の数々と、向けられた冷ややかな視線。


 だがいまや、そっくりそのままお返ししてやる!


「国民の良識を知りやがれ!」とな。MMTに反対した財務省職員はぜんいん、左遷だ。きっとやつらはいま、わたしが財務大臣につくことに戦々恐々としているだろうなあ……首を長くして待っていろよ……!


――ハッ、ちがう! わたしの目的は財務大臣につくことじゃない。目的はあくまで財政法第5条の改正だ。財務大臣はこれを達成するためのひとつの手段にすぎない。


 とはいえ……この条文を改正するには、やはりじぶんが財務大臣につかないと厳しいか。じぶん以外が財務大臣につけば反対されるだろうから。それにきょうはまだ1月27日だ。いま財務大臣につけば来年度予算の組み換えにギリギリまにあうかもしれない。


 いや、まにあわせるんだ。この機を逃せば再来年度予算にしか国債発行に着手できないぞ。来年になれば政局が変わって、MMT党はすっかり忘れ去られているかもしれない。予算の組み換えにともなう煩雑な業務は、MMTに反対した職員たちに押しつけてやれ。あいつらが悔い改めればな。それでひとまず左遷は免じてやる。


 そうだ、いまだ! いま財務大臣に就任して、財政法第5条の改正と来年度予算の組み換えを同時に達成するんだ! よしっ、山下首相との交渉では財務大臣のポストを要求して、ぜったいに妥協しないぞ……!


 などと考えながら、城山が事務所のかたづけを再開していると、旅行から帰ってきたアリスが出勤してくる。「城山くん!」


「ああ、アリスちゃん!」


「当選おめでとうございます!」


「アリスちゃん、ありがとう!」


 ふたりは抱きあって喜びを分かちあう。


「アリスちゃんのおかげで当選できたよ!」


「いいえ、わたしなんかなにも協力できませんでしたわ。それに、昨日おとといとお休みしちゃってごめんなさい」


「いや、いいんですよ。これまでにてつだってくれたことだけで、じゅうぶん尽くしていただいたんですから」


「ほんとうですか? うれしい! さあ今日は休んだぶん、しっかり働きますね!」


「ええ、よろしくたのみますよ」


 そのとき、送迎の車が横づけして運転手が降りてくる。


 城山はジャケットをはおる。「いまから山下首相に会いに行ってくるよ」


「ええっ、ほんとうに!? もう? すごいわ! 城山くんの夢がどんどん実現していく! 気をつけて行ってらっしゃい!」


 アリスは玄関先まで城山を見送る。


 そしてそのままドアのまえで、動揺して立ちつくしてしまう。


 たったいま別れぎわに、城山からキスされたのだ。


 およそ20年ぶりにアリスは城山とキスを交わした。はるか昔……学生時代の甘くせつない恋の思い出が、まるで昨日のごとくよみがえる……


 いっぽう城山を乗せた車は首相官邸の敷地に入る。


 城山がここを訪れるのは初めてではない。財務省で働いていたときになんどか、閣議に出席する財務大臣に付き添って訪れたことがある。


 しかし、こうしてカメラの被写体としてシャッターを浴びながら、玄関の広い回廊を歩くのは初めてである。


「城山さん、本日の訪問の目的はなんですか?」


「城山さん、連立政権入りを希望されますか?」


「城山さん、財務大臣を狙っていますか?」


 最後の質問にはどっと笑い声が起こる。


 無礼なやつらめと思いながら、城山はどの質問にも答えず内閣官房室へと入っていく。


 官房長官のまえを通りすぎる。この人はかつてMMT批判を展開していた民自党保守派の重鎮だ。かれは毎日の記者会見のなかで、


『MMTは現役世代が将来世代に売り込むネズミ講です。無限に借り換えを続ければ国債はデフォルトしないというMMTの主張は、下の子が下の子を誘えば無限にもうかるというネズミ講の誘い文句と同じです。うっかり聞いていると騙されますが、冷静に聞けば破綻するのは分かりきっています』


 などと放言したが、その業界から献金を受ける民自党議員から、発言の撤回を要請され、しぶしぶ陳謝していた。


 あのとき放たれた屈辱的なことばの数々を、城山はけっして忘れていない。


 内閣総理大臣の執務室に入ると、ソファに腰かけていた山下首相が立ち上がって「ようこそお越しくださいました。どうぞこちらにお座りください」


「失礼いたします」


 城山が着席すると、山下首相も座りながらきさくに話しかける。「まずは城山さん、当選おめでとうございます。そしてMMT党も7議席を獲得されて、すばらしい結果を残されましたね」


「ありがとうございます」


「ほんとうに驚くべきことです。初めての選挙ですよ? それでこれだけの成績をおさめられるなんて!」


「すべてはわたしたちに投票してくれた国民のみなさんのおかげです」


「当選されてもなおその謙虚な姿勢に深く感服いたします――ところでわたしとは過去にお会いしたことがありましたか?」


「ありましたが、直接の面識はありませんでした。諮問会議などの場でわたしが首相のうしろに控えておりました程度です」


「そうでしたか。あなたのような優秀な官僚の存在にもっと早くから気づくべきでした。気づいていたらあなたを総理秘書官として登用していたでしょう」


「おそれいります」


「わたしは古賀財務大臣から財務省職員時代のあなたの評価について聞きました。かれいわく、あなたは非常に優秀で頭脳明晰、そして仕事できる男だったそうです」


「ハハ、ほんとうですか? お世辞はけっこうですよ。MMTを主張するわたしは異端児で、財務省のみんなから嫌われていたんですから」


「いいえ、古賀大臣はあなたの素質を見抜いておられましたよ。ゆくゆくはあなたを主税局長に引き上げたいと考えていたそうです」


「あとからならなんでも言えますね。わたしはむしろ古賀大臣から人生3度目の地方出向を命じられたのですよ? なかなか前例がない仕打ちでしたよ」


「その人事に大臣はかかわっていなかったそうです。あれは申し訳なかったと話されていました。他の候補者たちはみんな所帯持ちで、あなただけが独身だったから、やむをえなかったとか」


「フッ、そうですか。では大臣によろしくお伝えください。おかげさまで反骨精神が養われましたと」


「ええ、伝えましょう」


 山下首相はふたたび立ち上がって、室内を歩きだす。「さて本題に入りますが、わたしには次の民自党総裁を総理大臣にすえる責任があると考えております」


「そうでしょうね」


「それがわたしに託された最期の責任です――そして最低限の」山下首相は城山のほうを向く。「つきましてはMMT党さんと、連立政権を組ませていただけないかと考えております」


 城山は深く感じ入るように言う。「たいへんありがたいお誘いです」


「よかった」


「しかし、どうしてわが党なのでしょうか?」


「おやっ、連立を組むのはご不満ですか?」


「いえ、そうではありません。他に進民党とか、民自党と主義主張が近い政党があるのではないかと思うのです。それなのになぜMMT党なのか理由をお聞かせください」


「では、率直に申し上げましょう。進民党では数が大きすぎるからです。大連立を組めば、進民党にも多数の大臣ポストを割かなければならなくなる。これでは民自党議員を納得させられません」


「なるほど、MMT党の7議席なら割りあてるポストは1つだけでいい、ということですね?」


「そうは言っていません。われわれはあなたがたを下に見ていてはいません」


「でも、あなたのご提案は1つのポストでしょう?」


「わたしとしては、できるだけ多くの大臣を民自党から輩出したいと考えているだけです」


「同じことですが、まあいいでしょう。たしかにMMT党は7議席で、1つのポストで身分相応なのはまちがいありませんからね」


「そうですか、ご納得いただきありがとうございます。それで、MMT党から大臣を出すばあい、就任するのは党首である城山さんでよろしいですね?」


「ええ、もちろんです」


「わかりました」山下首相はデスクに回り込んで、両手をつく。「では具体的なポストをお伝えします。あなたがたMMT党には政治経験にとぼしい新人議員しかおらず、あなたは党をまとめるだけでもご苦労されるでしょうから、あなたには負担の少ない法務大臣はいかがかなと思っております」


 津上は予定どおりに回答する。「いいえ、わたしが願うのは財務大臣だけです。これだけは譲れません」


「財務大臣ですと? なんと!」


「いけませんか?」


「いえ、希望すること、それじたいは悪くないですよ。しかしですねえ……」


「わたしはもと財務省職員ですから、むしろ財務大臣こそ適材適所でしょう。法務大臣のほうがわたしにとって専門外であり不向きですよ」


「いいですか、新人議員の仕事はほんらい、次の選挙で当選することなのですよ? 大臣につくだけでも異例なのに、まさか財務大臣とは! せめて次で当選してそのとき財務大臣につけばいいじゃないですか」


「MMT党は政策実現政党です。財政法を改正して国債発行額を増やすという大義が果たされれば解散します。次で当選することなど考えていません。いま実現するのみです」


「なるほど。思っていた以上に強い意志で、あなたは今日この場にのぞまれたようですね」山下首相はソファに戻ってくる。「しかし残念ながら、あなたが財務大臣につくことは受け入れられません」


「なぜですか?」


「民自党はMMT政策に反対しているからです。連立を組むからには内閣の一致が求められます。内閣の不一致は内閣総辞職の立派な理由ですからね」


「しかしこの理論は正しいのです。やるべきです」


「理論が正しいか正しくないか、わたしは専門家ではないので分かりません」


「わたしがその専門家です。理論は正しいです」


「いいですか、民自党は自由主義政党です。事業はできるだけ民間に任せようという〈小さな政府〉を志向する政党です」


「はい」


「しかし赤字国債を発行して日銀や市中銀行に引き受けてもらうというのは、裏を返せば、民間の資金を政府が巻き上げて、代わりに消費しようということでしょう?」


「おっしゃるとおりです。民間が余剰資金を消費せずに内部留保として抱えていることが不景気の原因であり、だからこそ政府が強制的に徴収して消費しようという試みなのです」


「それがよくない。そんなのは社会主義国家がやることだ。MMTは国家が積極的に事業に介入する〈大きな政府〉を志向していて、わが党の理念とはまったく相いれない。それにMMTにたよらずとも、内部留保に課税するという政策は着実に強化してきている」


「おことばですが、民自党にもMMTを支持している議員がちらほらいらっしゃるかと思いますが」


「民自党は自由主義政党であり民主主義政党でもあるのです。党員はだれしもじぶんの意見を思いどおりに主張できるし、わが党にはそのさまざまな意見を受け入れる度量があります。だから民自党にMMTを支持する人がいてもいい。しかし党全体としてはMMTに反対しなければならない」


「あなたがそこまで強硬にMMTに反対なさる理由が分かりません」


「それはわが党がくりかえしてきた失政に起因しています。残念ながら民自党は長年にわたって国民のみなさんに、税金の無駄づかいをお見せしつづけて、厳しいご意見をちょうだいしてまいりました。それが今回の選挙結果にも表れました」


 山下首相はほんとうに責任を痛感している。「無駄づかいを減らすにはどうするか? これは政治の永遠の課題です。しかしどんなにがんばってもやはり、政府が事業に取り組むかぎり無駄は避けられないのです! 無駄とはどうしても一定の割合で生じてしまうものなのです。それでも減らすにはどうするか? それはもはや歳出の総額を減らすことでしかないのです。そこで財務省は現在に至るまで歳出の削減に努めてきた。このことは元職員のあなたがいちばんよくごぞんじでしょう」


「もちろんわたしは各省庁の予算要求の場に立ち会ってきましたから、無駄を削減する苦労についてはよく知っているつもりです。しかしわたしが言いたいのは、その財務省の予算折衝こそ無駄だということです。国債を発行して、各省庁がそれぞれ要求する事業をそのとおり実施すればいい。それが財務省をぶっこわすの意味です」


「わたしはね、城山さん、コロナ禍のとき首相補佐官として当時の首相にお仕えしておりました。国民にいっせいに配った布製マスクのことは覚えているでしょう?」


「ええ、税金の無駄づかいだと批判を浴びていらっしゃった」


「50億円も投じてマスクを配るとはなにごとか! とさんざん非難されましたよ。でもね、1人あたりに換算すれば50円ほどでしょう? 当時はマスクの値段がひと箱3千円くらいに高騰していました。だから無料のマスクを大量にばらまいて、価格が50円いじょう下落すれば大成功だと思っていたのですよ。布製が使えるか使えないかはさておき。まあそんないいわけなど、いまさら言ってもしかたないですし、価格下落の効果も検証できませんけどね。とはいえ国民のみなさんはやはり、血税を投じるからには50億円で500億円以上の価値のある使いかたを望んでいます。これはしごくまっとうな意見です。でも政府の手法では限界がある。効率的にお金を消費するにはやはり民間に任せるしかないのです。それなのに国がMMTによって民間から資金を得て、民間が敬遠するような赤字事業にお金を投じるのは、無駄づかいの温床が生まれるだけだとわたしは思うのです。予算の配分をめぐって政治家に権限を与えてしまいます。族議員と派閥が力を得て、我田引鉄のような昭和の金権政治の悪夢がふたたび呼び起こされるでしょう。それは日本社会にとって不幸だ」


「生活に困る国民にたいして支援金を給付するのであれば、けっして無駄ではないでしょう? 国民がそれぞれじぶんにとってもっとも有効なものに消費するわけですから」


「そうでしょうか? わたしは生活に困る国民にお金を与えるのではなく、お金の稼ぎかたを与えるのがもっとも有意義なお金の使いかただと思っています。すなわち産業政策です」


「おっしゃりたいことは分かりますが、わが党と連立を組むには民自党さんにも妥協してもらわなければなりませんよ?」


「なぜですか? 219議席を有する民自党がなぜ、わずか7議席しか有しないMMT党に妥協する必要があるのでしょうか?」


「たしかに数は少ない。しかしわたしたちは0議席から7議席にしたのですよ? MMTは国民の信任を得たと言っていいでしょう? そして、国民の願う政策を実現するのが政治家の役割だ。政治家の願う政策ではなく」


「くりかえしになりますが、われわれはMMT党にたいして財務大臣のポストを提示するわけにはいきません。とりわけ法務大臣への就任を打診します」


「わたしが拒否すればどうしますか?」


「われわれは下野します」


 城山は山下首相から一心に見つめられる。「……わかりました。では、検討する時間をいただけますか?」


「もちろんです。ただし今日じゅうのご回答をおねがいします」


「なんと、今日じゅう!」


「短いと思われるでしょうが、これが政治家の時間です。あなたも政治家になったからには慣れてもらわなければ」


 城山は首相の執務室を出る。


 ふたたび官房長官のまえを通りすぎる。まるで虎からにらまれているように威圧される。


 城山は首相官邸を出るときマスコミにもみくちゃにされるが質問には答えず、車に乗りこむ。


 さて、どうするか?


 法務大臣のポストで妥協すれば内閣で存在感を発揮できず、MMT政策は実現できないだろう。歴戦の政治家たちをまえにしてじぶんは小兵である。


 とすれば連立入りという選択肢は捨ててしまえ。MMT政策を実現するという初心だけはぜったいに忘れてはならないから。次の選挙でもっと議席を増やして、そのときに勝負するのだ。


 すると電話がかかってくる。また非通知だ。「はい、もしもし」


『もしもし、城山さんですか?』


「ええ」


『わたしは進民党の吉田です。突然のお電話、失礼いたします』


 フッ、わたしの電話番号はだだ漏れのようだ。「ああ、吉田さんですか、お電話ありがとうございます」


『いまテレビで城山さんが官邸から出る様子を拝見しておりました。表情が固かったようですが、交渉はうまくまとまりましたか?』


「もちろん、わたしたちはそのことで話しあいました。具体的な内容につきましては明言を避けますが、着実に進んでいます」


『なるほど、連立の決定には至らなかったということですね』


 ちっ、見すかされたか。


『――城山さん、じつはわれわれは、民自党を除いた政党で連立政権を立ち上げたいと考えているんですよ。つきましては城山さんにもいちどお目にかかれませんか?』


「ええ、いいでしょう」


『では運転手に理由を話さず降ろしてもらって、タクシーで来てください』


 城山はそのとおり従い、会合場所として指定された赤坂見附のホテルへと向かう。


 到着すると、一室には野党の党首や幹事長が勢ぞろいしている。


 進民党党首の吉田が手をさしだして城山を迎え入れる。


「さきほどはお電話でどうも。ようこそお越しくださいました。さあこちらにお座りください」


 城山は吉田のとなりに案内される。あきらかにじぶんが厚遇されているのを感じる。


「民自党からはもてなされましたか?」


「いいえ、わたしがいま受けている厚いもてなしほどには」


「それはよかった」吉田は悟ってにやりとする。「MMT党は7議席を獲得したのですから、あなたの看板政策である財政法第5条の改正は、国民の信託を受けたと判断してもいいでしょう。すみやかに実行するべきだとわたしは思います」


「ほんとうですか?」


「ええ。ですから城山さん、われわれと手を組みませんか? あなたにふさわしいポストを提示します。あなたのご希望はもちろん――」


「財務大臣ですが、よろしいのですか?」


「当然です。ともに非民自党連立政権を樹立しましょう!」

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