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五、師匠

 ユリはしづかの神域で小さな建屋を創り出した。

 不思議なことに、ここでは腹も減らず排泄も必要ない。だが、ユリは修太朗のためにどこからともなく食事を用意し、かいがいしく世話をしていた。一汁三菜。食べると身体に力が漲り、心に活力を与えてくれる。ひなたには何故かユリが母乳を与えており、そのユキに似た風貌と相まって特別な感傷を修太朗に与えていた。


 ひなたがその美しい丘から唇を離し、げっぷをして眠りにつくと、ユリは籐で編んだ一抱えほどの籠にきめ細やかなやわらかい布地を敷き詰め大事そうに横たえた。

「ここでは昼も夜もないけれど、おやすみなさい」

 そう言い残すとユリは建屋から出てどこかに立ち去ってしまった。

 満腹感の中で幸せそうに眠るひなたを、その大きな手で壊さないようにそっと撫でる。小さな命の営みを手の中に感じながら、いつしか修太朗は籠にもたれるように眠りについていた。


 修太朗が額に少し冷たさを感じ、やわらかなぬくもりに埋もれそうになりながら目を覚ますと、またしてもユリに膝枕をされ、しかも額を撫でられているところであった。

「気持ち良すぎて駄目になりそう」

 そう呟くと、

「良ければいつまでもこうしていますよ」

 と、抗うことのできない誘惑に身を落としそうになった。


 ひなたの声が聴こえて正気に戻ると、ユリに礼を言って起き上がる。

「今から修行ですね」

「そうです。まずは姉様の眷族に鍛えてもらいます。ですが、先に食事をとってくださいな。あなたが修行する間、ひなたは私が見ておきます」

 そう言われて食事をとり、ひなたに授乳する姿を眺めてから建屋の外に出てみた。

 修太朗が外に出ると、どこからともなくしづかが現れる。

「さて、修太朗。そなたは守人となるために武力を身につけねばならない。得物は剣でよいな?」

「はい。他に何があるかもわかりませんし、ずっと剣道を続けてきましたのでそれでお願いします」

「ふむ。修太朗よ。異界へ渡るには一柱の力のみでは足らん。我が妹の頼みでもあるから、我がその一柱となろうとも、あと二柱は必要になると思え。もっとも、我が修行も耐えられぬならここで終わりとなる」

「わかりました。何をすればよいでしょうか」

 そう尋ねると、いつの間にかしづかの隣に控えていた長身瘦躯の男が立ち上がった。男は無言で修太朗に木剣を投げ渡すと、顎をしゃくってから構えるように促した。


 その男の放つ圧力はこれまで感じたことがない強烈なものであった。相手の実力が自分よりも遥か高みにあることをまざまざと感じ、本能が警鐘を鳴らす。その男の殺気にあてられ足がすくみ上るような思いの傍らで、逃げ出すわけにはいかない、相手が圧倒的強者なら、修行の相手としては願ってもないことだ、との思いが交錯する。

 修太朗は覚悟を決めて正眼に構え、その男に正対する。じりっと地を擦る音が聞こえた刹那、見切れぬ速度で修太朗の眉間にその男の木剣が振り下ろされる。避けられないと察すると修太朗は本能に従って木剣を立て気味に当て回避を試みる。左回りに身体を捻り重心を移動させた瞬間、移動した先に木剣が突如として現れる。舌打ちする間もなく直撃した木剣の衝撃に目をむきながらも、修太朗はその木剣が当てられていることを利用して、逆方向から男を打ち据えようと試みた。


「ほう、驚いたな。斬られたことを利用して刀のない逆方向から斬りつけるとは……。死に体からの反転だが、真剣なら既にこと切れて終わっておるものだ。そなたは真剣で戦ったことはあるのか?」

 おそらく砕けたであろう骨の軋む痛みに耐えながら、

「ありません……」

何とか言葉を絞り出した。

「剣才はそれ程でもない。才あるものなら地を擦る音を立てた瞬間に反応するものだ。だが、実戦では諦めた時に敗れるもの……。剣才と実際の強さは違うものだ。一合当てただけだが、続けるかどうかはお主に任せよう」

「お願いします」

気付けば即答していた。


 その後は実に悲惨なものであった。その男は名を無名一刀斎と名乗った。師匠となってやると告げると、ただひたすらに修太朗のぎりぎり対応できないところを見極め打ち込んでくる。敢えて隙を作ると打ち込ませ、ひらっと躱すと強烈な一撃が襲い掛かる。何度も打ち据えられながらも、不思議と砕けた骨は元に戻り、おまけに出血もしない。ただ痛みだけは尋常ではなかった。


 幾日、いや幾年続いたであろうか。

 昼夜のない世界で一度寝ることを一日と考えるなら、もうすでに何年もたっているはずである。

 今日もまた師匠にひたすら打ち据えられ、立ち上がり必死に全力でしがみつく。

「ここまで」

 師匠の声が響くと、今や自宅と化した建屋に戻る。そこでユリの作った食事に舌鼓を打ち、ひなたを抱き撫でて泥のように眠り、ユリの膝枕を堪能してから出かける。それが日課であった。ユリとはもはや夫婦のような関係になりつつも、何度も何日も同じことを繰り返しているうちに、修太朗は現状を全く疑わず、当たり前にすら思うようになっていた。

 

 そんな日々の中、ひたすらいつものように打ちのめされ倒れたとき、

「よかろう……」

 初めて師匠が自分を認める声に戸惑いながら、修太朗が立ち上がる。

「人の身で達するのはここまでだな。続いては実際に修羅となれるかだ。ついてこい」

 そう言われて師匠の背を眺めながら、修太朗はかつて通ったあの黄泉比良坂に向かっていた。


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