4-8 事の発端
少しの間、シュミットとエルウィンは書類に向き合って仕事をしていた。
「あーっ、もう限界だ!」
いきなりエルウィンは髪をクシャリと書き上げると椅子から立ち上がったのだ。
「エルウィン様?どうされたのです?」
シュミットは突然立ち上がったエルウィンに驚き、声を掛けた。
「さっきから、頭の痛くなるような難しい書類に数字ばかり目にして疲れた。少し鍛錬しに行って来る」
そして傍らに置いた剣を掴んだ。
「え?エルウィン様!今朝も騎士たちを相手に訓練所に行かれましたよね?また行くつもりですか?」
慌ててシュミットは声を掛けた。
「ああ、そうだ。何か文句あるか?」
頷くエルウィン。
「いえ、文句と言う程のものでは…」
そこまで言いかけてシュミットにある考えが浮かんだ。
(そうだ、エルウィン様が不在になれば…アリアドネ様の様子を見に行くことが出来る…)
そこでシュミットは笑みを浮かべた。
「いいえ、そうですね。冬場でも鍛錬は大事です。どうぞ行ってらして下さい。ただし2時間以内にはお戻り下さいね?」
「何?2時間だと?珍しい奴だな…?いつもならせいぜい1時間以内にしてくれだとか、そんな事よりも執務室で書類にサインをしてくれだとか言うくせに…?」
エルウィンは気味悪気にシュミットに言った。
「そうでしょうか?でもエルウィン様の場合は適度に身体を動かされた方が頭が活性化され、仕事の効率が上がるのではないでしょうか?」
シュミットはエルウィンに怪しまれない様にその場で思いついた言い訳を口にした。
「…まぁいい。では行って来る」
そしてエルウィンは腰に剣を差すと、防寒用のマントを羽織って執務室を出て行った。
「…」
そんなエルウィンを見送りながらシュミットは少しの間仕事をしていたが、やがて呟いた。
「…そろそろ俺も行ってみよう」
そして立ち上がり、ハンガーに掛けておいた上着に袖を通すとアリアドネのいる作業場へ向かった―。
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その頃アリアドネが働いている作業場では―。
「ねぇ、城内で使う炭が残り少ないのよ。誰か一緒に持ってきてくれないかしら?」
「そこの貴女、すぐに用意して頂戴」
ランベールが連れて来ていた2人のメイドが炭を取りに作業場へとやって来た。
そしてたまたま近くにいたアリアドネに声を掛けて来たのだ。
(え…?私が…?)
本当は城の中へは行きたくなかった。しかし他の下働きの者達は皆忙しそうだし、ましてや直接声を掛けられたのはアリアドネである。一瞬躊躇したアリアドネにメイドが言った。
「何よ?返事位しなさいよ。下働きのくせに」
ジロリとメイドが睨み付けて来た。
ランベールが連れて来たメイド達は騎士や兵士たちの夜の相手も勤めており、他に手当も貰っている為か妙に気位が高く、下働きの者達を見下す傾向にあった。
「申し訳ございません。直ちに用意させて頂きます」
アリアドネは慌てて頭を下げるとすぐに炭が保管してある保管庫へ向かった。
「これ位で良いかしら…?」
台車に炭の入った麻の布袋を3つ乗せると、すぐにアリアドネは2人のメイドの元へ向かった。
「すみません、お待たせ致しました」
台車を引いて2人のメイドの元に戻ると彼女たちは談笑している最中だった。
「もう。遅かったじゃないの?それじゃ行くわよ」
麻袋を持つと1人のメイドがアリアドネに声を掛けた。
「はい」
そしてアリアドネは2人のメイドと共に炭を持って城へ続く地下通路へと向かった。
「え…?ひょっとして、メイド達と一緒にいるあの後姿は…アリアドネ…?」
その時…同じ仕事場で石臼で粉をひいていたダリウスだけがアリアドネが出て行く様子に気付いていた。
そして、城内でちょっとした揉め事が起こる―。