2-5 アイゼンシュタット城の役割
シュミットとヨゼフはアリアドネの涙を見て驚いてしまった。アリアドネは涙をこぼしながら言った。
「辺境伯様の…お気持ちは良く分りました…。た、ただでさえ…妻を望んではおられなかったのに…勝手に押しかけたうえに…私は存在すら知られていない…妾腹の娘なのですから…拒絶されて当然です…。本来であれば…姿を現すのもおこがましい存在なのに…」
肩を震わせ、絞り出すように話すアリアドネの姿は見るに堪えない程であった。
「アリアドネ様…本当に…本当に申し訳ございませんでした…」
シュミットにはもはやひたすら謝罪する事しか出来なかった。しかし、謝れば謝る程にアリアドネの心を傷つけてしまう事も自分で理解していた。
(一体どうすれば…アリアドネ様の心を救って差し上げる事が出来るのだ…!)
シュミットは自分の取った浅はかな行動を激しく後悔していた。自分たちの領地を守る為に、アリアドネを犠牲にしてしまったと思うと申し訳なくてたまらなかった。
「アリアドネ…可哀相に…そんなに泣かなくても大丈夫だ。私がずっと傍についているから…」
ヨゼフがアリアドネの肩に手を置いた。
「ヨ、ヨゼフさん…」
アリアドネは涙に濡れた瞳でヨゼフを見つめる。
「私はアリアドネが誰よりも気立てが良いのを知っている。同じステニウス伯爵様の娘として生まれておきながら、母親が正妻では無いと言うだけで差別をされて使用人として働かされながら、何一つ文句を言う事も無く、頑張っていた事をな。実はお前をこの城に連れて来ようと決めた時から、アリアドネを見守っていこうと決めていたのだよ。だから…お前は1人じゃない」
ヨゼフは静かに語る。
「あ、ありがとうございます…ヨゼフさん…」
アリアドネは涙交じりにヨゼフに礼を述べた。
「…」
一方、シュミットはそんな2人の様子を呆然と見つめていた。
(そんな…まさかアリアドネ様が…伯爵家で使用人として扱われていたなんて…。何と酷い事をするのだろう…。エルウィン様だってアリアドネ様の境遇を知っておられたら…このように無下に追い出す事は無かったかもしれない…)
「アリアドネ。これからどうする?2人で…何処か旅をして…住みやすい場所を見つけて一緒に親子として暮らして行くか?何、私は年だがまだまだ働けるさ。私はお前の望みに従うよ」
ヨゼフの言葉にシュミットは口を開いた。
「それではこちらでも出来るだけの事はさせて頂きます。お金もご用意しますし、寒さをしのげる馬車も用意させて頂きますので…」
しかし、アリアドネは首を振った。
「いいえ…御用意して頂かなくても大丈夫です。その代わり…」
アリアドネは顔を上げた。もうそこに涙は無かった。
「私をここの下働きとして置いて頂けないでしょうか?」
アリアドネの突然の申し出にシュミットは驚いた。
「アリアドネ様っ?!本気で仰っているのですか?!」
「はい。本気です…私には…もう帰る場所はありません。父からは…二度と戻って来ないように言われているのです。それに…今更何所に行けば良いかも分りません。ここの使用人の女性の方々は皆とても良い方たちばかりでした…。ずっとここに置かせて頂きたいと昨晩思いました。どうかお願い致します」
アリアドネはシュミットに頭を下げて来た。
「私からもお願い致します」
その様子を見たヨゼフまでもが頭を下げて来たのだ。
「お、お待ち下さい。お2人共、どうか顔を上げて頂けませんか?」
シュミットに言われ、2人は顔を上げた。そこで再びシュミットは口を開いた。
「アリアドネ様。ここ、アイゼンシュタット城は…ふつうの貴族たちが住まう城とは全く違うのですよ?」
「はい、知っています。厳塞要徼と呼ばれ…敵国からの侵略を防ぐための砦のような城なのですよね?」
「ええ、そうです。なので、この城で働く者は全て戦闘要員なのです。勿論戦いを専門にした騎士たちは大勢いますが、万一敵がこの城を攻めてきた場合、我々は一丸となって立ち向かわなければなりません。その為男性使用人達に限らず、下働きとして働く女性達ですら…いざとなれば武器を手に戦うのですよ?しかもこれから厳しい冬がやってきます。辺りは一面の雪に覆われ、この城は完全に孤立します。…尤もこの期間は流石に敵国からの侵攻はありませんが…冬もとても住みにくい場所なのです。それ故、エルウィン様は貴女をこの城から出て行かせようとしたのです」
シュミットには分っていた。何故エルウィンが決して妻を娶ろうとしないのか、その理由も…それは悲しいエルウィンの過去にある事も。
「ええ、分っております。戦う事は出来ませんが、怪我の治療なら出来ます。私は母を亡くしてから8年間ずっとメイドとして働いてきました。家事なら得意です。決してご迷惑はお掛けしません。どうか…私をここに置いて頂けませんか?」
アリアドネは再びシュミットに頭を下げた―。