1-1 暴君と呼ばれた辺境伯
「全く…ふざけやがって…!冗談じゃないっ!」
バンッ!!
書簡を机に叩きつけた音が、静寂な執務室に響いた。
現在この領土を治める若き城主、エルウィン・アイゼンシュタットは、国王からの書簡に激怒していた。
「落ち着いて下さい。エルウィン様」
黒のスーツを着用し、銀色の長い髪を後ろでひとまとめにしたシュミットは、眼鏡を正しい位置に戻すと穏やかな口調で声を掛けた。彼はエルウィンの最も信頼する執事であり、長年の親友でもあった。4
「これが落ち着いていられるか。国王から今回、カルタン族からの侵略を防いだ褒美の内容があまりにも…最低過ぎる!」
若干22歳でこの土地を治めるエルウィンは、黒髪をかき上げ、深いため息をついた。
「私にも書簡を拝見させて頂けますか?」
シュミットは尋ねた。
「ああ…見て見ろ」]
書簡を手に取ると、シュミットに差し出した。
「失礼致します」
恭しく書類を受け取ったシュミットは少しの間、無言で読んでいたがすぐにエルウィンに声を掛けた。
「この書類の何所がふざけているのですか?褒美として1億レニーを得られるのですよ?喜ばしいことではありませんか」
するとエルウィンは眉をしかめた。
「シュミット、お前までふざけた事を言うつもりか?まだ続きが書かれているだろう?」
「ええ。他に褒美として妻を与えるとありますね。お相手は…ああ、ステニウス伯爵家の御令嬢…ミレーユ様と記されております。確か噂によると、プラチナブロンドにアクアマリンの瞳のとても美しい女性だと言う話です。年齢は確か20歳のうら若き乙女…。良かったではありませんか。エルウィン様も22歳。そろそろお世継ぎが必要な年齢ではありませんか?」
「どこが良かったんだ?いいか?ステニウス伯爵令嬢と言えば、男性遍歴が激しく、妻がいる男にも平気で言いよる女として悪名高い女だぞ?だから20歳になっても婚姻する相手がいないんだ。ステニウス伯爵は王族の遠縁にあたる人物だ。恐らく娘の結婚相手が見つからないことに焦りを感じ、陛下に嫁ぎ先の相手を探して欲しいと頼んでいたに違い無い。大体…誰彼構わず男と床を共にするような女の何所が乙女なのだ?そんな女を押し付けようとするなんて…俺を何だと思っているんだ。国の防衛線を担う辺境の盾として、戦場に身を置く俺に――“扱いに困った令嬢”の始末まで押し付けるつもりか?」
エルウィンはますます苛立ちを募らせている。
「ですがエルウィン様の評判が世間で悪いのも確かです。三度の食事や睡眠よりも戦いを好み、趣味は人骨を並べて酒盛りをする血に飢えた暴君。人前で兜をかぶり、舞踏会に参加しないのはその兜の下の醜い顔を世間に見られたくない為…そのように陰で言われているのを御存じですか?」
「…俺が王宮で兜をかぶっていたのは、たったの2回だけだ。顔に酷い内出血の跡があった為に顔を隠していたんだ。舞踏会に参加しないのは、ああいう集まりが大嫌いだからだ。別に自分の顔を世間に見られたくないわけじゃない」
エルウィンはふてくされた様に言う。
「ええ。そうでしょうとも。何しろエルウィン様の様に美丈夫な青年は中々見当たりませんからね」
「そんな事を言われても少しも俺は嬉しくない。…とにかく、俺はステニウス家の娘を妻に娶る気は一切無い。シュミット、お前から陛下に断りの手紙を入れてくれ。報奨金の1億レニーだけありがたく受け取るとな」
エルウィンは立ち上ると窓へ近づき、外の景色を眺めた。
雪が薄っすらと積もった山脈に荒涼とした大地――この地は、レビアス王国の辺境。
アイゼンシュタット城は、国王の命により他国からの侵攻を食い止めるために築かれた防衛拠点であり、その守りは極めて強固で、“厳塞要徼”と呼ばれていた。
周辺諸国から恐れられるこの城が、特に警戒していたのが北方の遊牧民族カルタン族である。
「しかし、エルウィン様…恐らく縁談話と報奨金はセットだと思います。仮にステニウス家の縁談を断れば、1億レニーは頂けないのでは?」
シュミットは背中を向けるエルウィンに声を掛けた。
「だったら1億レニーもいらない。そう伝えてくれ」
エルウィンはシュミットを見る事も無く言う。
「しかし…」
「くどいぞ。俺は同じことは二度は言わん。直ぐに書簡の返事を書いて早馬で届けさろ!」
「…かしこまりました。それでは失礼致します」
シュミットは言いたい事を飲みこむと、背中を向けたエルウィンに頭を下げ、執務室を後にした――




