10-1 不吉な予感
季節は流れ…3月。
アイデン地域の象徴とも呼べる巨大山脈から吹き荒れる北風は収まり、ついに長かった越冬期間が終了した。
まだ雪解けにはいかないものの、氷点下10度を超えることは無くなっていたからであった―。
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「領民達が宿場町へ帰っていくな…」
窓の外を眺めていたエルウィンが独り言のようにポツリと言った。
「ええ、そうですね」
机に向かって仕事をしていたシュミットは立ち上がり、エルウィンの近くにやってきた。
エルウィンの視線の先には領民達が列をなしてぞろぞろ去っていく姿があった。
領民達の誰もが大きな荷物を抱えて帰っていく。
荷物の中身は、越冬期間中に領民達が自分たちで作った小麦や非常食といった今後の生活で必要な品物が詰め込まれているのだ。
「今年も領民達に沢山食料を分け与えたのですね」
シュミットがエルウィンに声を掛けた。
「そんなのは当然の事だ。彼らはこの越冬期間中、一生懸命城の為に働いてくれたのだからな。報酬を与えるのは当然だ。それで、今日全員が引き上げるのか?」
「いえ、全員ではありません。まだ山奥の宿場村は雪が深いですから。後半月は城にとどまるはずです」
シュミットは手にしていたリストをパラパラとめくりながら説明した。
「そうか…。それでダリウスは?あの胡散臭い男は今日帰るのか?」
「ダリウスですか…。う〜ん…彼の住む地域はもう帰っても生活に支障は来さないはずですが…。どうでしょうね…」
「フン!あんな奴…さっさと帰ってしまえばいいのに」
エルウィンは吐き捨てるように言った。
「エルウィン様、仮にも城主が領民に対してそのような言葉づかいをするのはどうかと思いますよ?」
シュミットが眉を潜めた。
「領民?あいつ…本当に『アイデン』の領民だったのか?調べたところ、あいつがここへやってきたのは越冬期間に入る3ヶ月前からだったじゃないか。一緒に住んでいる家族もいない。しかもどこから来たのか明確にしてもいない…。いくらなんでも怪しすぎるだろう?」
「まぁ…確かに怪しいことは怪しいですが…。でもこの城にはもっと怪しい人物がいるではありませんか」
「…オズワルドか?」
「ええそうです。それに…これはあくまで噂に過ぎませんが、オズワルドがダリウスと接触している姿を見たことがあると話していた領民もいたのですよ?」
「な、何だってっ?!オズワルドがダリウスとだってっ?!何故そんな大事な話を今するんだっ!」
エルウィンの顔が険しくなる。
「そう仰られても、私もこの噂を耳にしたのは今朝なのですから。オズワルドは領民達から恐れられています。なので彼らはこの事実を今迄黙っていたのではありませんか?」
シュミットがエルウィンを宥めた。
「…ちょっと出て来る」
エルウィンは扉に向って歩き出した。
「えっ?!どちらへ?!まだ仕事が残っているんですよ?!」
「とりあえず…ダリウスが今日城を出るのか確認してくるんだ」
何故かは分からないが、エルウィンは嫌な予感がしてならなかった。
そして…彼の勘は外れたことが無かったのだ。
エルウィンがドアノブに触れようとした時…。
コンコン
扉をノックする音が聞こえた。
「誰だ?」
用心深げにエルウィンは扉越しに声を掛ける。
『私です。オズワルドです』
「何?オズワルド?」
エルウィンはすぐに扉を開けた。
「おや…これは珍しいこともありますな?エルウィン様自らが扉を開けるなど…それともどこかへお出かけの予定ですか?」
「ああ…ちょうどよいところへ来てくれたな?実はお前に用があったんだ」
「さようでございますか?それは奇遇ですね。私もちょうどエルウィン様にお話があったのです」
「そうか…なら都合がいい。少し話をしようか?」
エルウィンはニヤリと口元に不敵な笑みを浮かべた。
しかし、これはオズワルドの策略だった。
オズワルドは邪魔なエルウィンを足止めさせる目的で執務室を訪ねてきたのだ。
そして、この間…城内ではある異変が起こっていた―。