■撃沈
医務室のドア越しに通路をあわただしく人が行きかう音が聞こえる。南条はドアを開け、医務室の前を通りかかった乗務員の一人に声をかけた。二十歳そこそこの若い船員は「敵潜水艦の潜望鏡を確認。攻撃に備えよ」との伝達を短く告げ、足早に去っていった。
突然船内に、けたたましい警報が鳴り響いた。南条は医務室に戻り急いで救命胴衣を身に着けた。次の瞬間、耳をつんざくような爆発音とともに、ダンプカーに正面衝突されたような衝撃を受け、南条は医務室の壁にたたきつけられた。ガラスビンを粉々に割ったような波しぶきの音。その音に混ざって大勢の悲鳴と怒号が飛び交う。
船体が傾き、軋みと唸りを上げながらゆっくりと大きくバランスを崩していく。壁に頭をぶつけ倒れこんでいた南条は、ふらつきながらも意識ははっきりしていた。誰かが肩を掴んでいる。
「南条! 大丈夫か?」牧本勝次少佐の声が聞こえた。
「は、はいっ。少佐殿、ご無事でありますか?」
「ああ、大丈夫だ。敵戦艦の魚雷にやられた。もうこの艦は沈む。貴様も早く逃げろ」
牧本少佐は足を引きづっている。さきほどの爆撃で負傷したようだ。海水が医務室に流れ込んできた。
少佐は南条の無事を確認した後、船外とは別の方向へ歩き出した。
「少佐! どこへ行くつもりですか? 右の通路から外へ行かないと逃げ遅れてしまいます!」
「無線電信室に行かなければならない。先ほどの爆雷の衝撃で通信班が壊滅した。急ぎ救難信号を送信しなければならん」
船体がさらに大きく揺れ、細かな爆発音が船内の所々で鳴り響いている。
「しかし、少佐殿。逃げ遅れてしまっては元も子もありませんっ!」
「救難信号が遅れれば助かるものも助からなくなる。俺にはまだやらなければならんことがある。南条! 早く逃げろ、これは命令だっ」
「少佐殿ーっ!」
牧本少佐は負傷した足をかばいながら、暗くなった艦内部へと進む。医務室に流れ込む海水の量が多くなってきた。艦は更に傾きを増す。南条は意を決して船外へと向かう通路を小走りに進んだ。まだ少し意識がもうろうとしている。
船外へ出るドアは開け広げられており、既に大勢の船員が黒くうねる海へと次々に飛び込んでいた。海面から甲板への高さはそれほど高くない。艦は大きく傾いており、すでに船体の半分は海へ沈んでいた。南条も海へと飛びこもうと甲板に立った。
その瞬間、艦中心部が爆発し、すざまじい轢音とともに巨大な爆風と衝撃波が南条を襲った。吹き飛ばされた南条は艦から遠く離れた海面にたたきつけられた。その勢いのまま海中深く沈み込んだ南条だが、救命胴衣のおかげで海面へと顔を出すことができた。命が助かったのは奇跡に近い。
ふげん丸の中央から夜天に向かって火柱が上がる。重油の焼け焦げた臭いに包まれ、南条は意識が遠くなってきた。艦のあちらこちらで鳴り響く破裂音と、燃料と木が燃える炎の音が次第に小さくなる。夜の海から湧き上がる火柱が星空に向かって伸びている。大きく高い火柱に照らされたさざ波がキラキラと輝く。ゆっくりと流れる時間。南条はまどろむ意識のなかで、月の光に照らされた輸送艦ふげん丸の沈みゆく艦首を見ていた。