最も平和で、異常な二ヶ月間
眠い目を擦りながら教室へ向かう。先程職員室に行って朝練に出れなかったことを謝ったところ、普段はすごく厳しい顧問がすんなりと許してくれた。いつもなら遅刻した奴は二発くらいど突かれるはずなのにだ。
ラッキーなこともあるものだと思いながら教室の扉を開けると、あり得ない光景が目に飛び込んできた。
「康平この菓子食ってみろよ! 俺のオススメだぜ」
「あ、ありがとう——ん⁈ これすごく美味しい!」
「だろ! おい、朱莉と大貴は食い過ぎだぞ」
いじめられていた康平とその康平をいじめていた三人組が仲良さそうに机をくっつけてお菓子パーティーを開いていた。そして俺に気づいた三人は席を立ち、こっちに近づいてきた。
「力也、今まで悪かった。すぐに許してくれとは言わない。だがこれから仲良くしてくれると嬉しい」
「あ、ああ。わかったよ」
亮に続いて朱莉と大貴も謝ってきたが、今までとは違いすぎる、まるで別人のような三人はとても不気味に思えた。
こんなに人って急に変わるのか? それに教室を見渡すと亮達が配ったであろお菓子がみんなの机の上に置かれている。おそらくみんなにもちゃんと謝ったんだろう。まぁ不気味でもいじめが無くなったのならいっか。
こうしてホームルーム開始の十分前に間に合った俺は、席に着くなりすぐに睡眠の確保をすることに専念した。
そして授業が始まりウトウトしながら話を聞くが、教室の雰囲気がいつもより明るく感じた。昨日までの受験に向けて少し張り詰めた雰囲気はどこかへ消えていったようだ。消えた先は窓の外、上空に見えるあの浮かぶ黒い球体だろう。
途端にいじめが無くなったり、そのいじめをしていた三人組をクラスメイトがすんなり受け入れていたり、顧問からど突かれなかったり。サティーの言っていたように黒い球体は浮いてるし、部活の顧問や担任、クラスメイトの様子を見る限り本当に負の感情が吸収されているようだった。だがそう感じるのは俺がサティーから事前に話を聞いていたからではないのか、ただの思い込みなのではないか。俺はモヤモヤしたまま一日の授業を終えた。
俺自身にも変化があらわれたのは放課後だった。俺の所属しているサッカー部では普段から意見をぶつけ合い、時に喧嘩をしながらも互いを高めている。今は新チームになっているから特に意見のぶつけ合いが多い。なのに今日は意見をぶつけ合うどころか褒め合いが多くみられた。そしていつもなら誰かがミスをすればしっかりしろ、ちゃんとやれとそいつに向けて怒鳴るはずなのに今日はそれが一切なかった。俺はこの厳しさのかけた雰囲気に腹が立ちキレようと思った。しかしその瞬間にその苛立ちがスッと消え、ふざけんなという言葉が出なかった。かわりに出た言葉はもっと盛り上げていこうだった。自分が自分でない感じがして怖くなったが、そう思ったのも一瞬だった。それ以降その雰囲気に違和感なく普通に練習した。
帰宅途中、俺はいつも買い物をしている商店街で水やら缶詰やらを一週間分買い込んだ。
それから一週間後、世界中でとあるニュースが流れた。それは『刑法犯総数、自殺件数、事故件数どれも報告件数ゼロ』というもので、各国でその喜ぶべき異常事態が起こっていた。また国同士の軋轢も解消され、さらに急激な生活水準の向上までみられているらしい。
このニュースが日本で流れ始めた四日前、これは流石にやりすぎじゃないかと思ったが、日が経つにつれて平和すぎるこの日常が当たり前になり、それを明らかな異常として認識しなくなっていた。この事態をおかしいと思うものはおらず、逆にやっと平和になったんだと喜ぶ人々に囲まれ、次第に俺もそんな世界に染まっていった。
♢♢♢♢
黒い球体が出現して二ヶ月後、異常なまでに平和になった世界はこの短期間で大きく変わった。法律の改正により犯罪に関する記述は無くなり、それに伴い警察や検察、弁護士など司法や国の安全に関与する職も廃業となった。国同士の関係については互いが何か利益を求めるようなことは一切なく、無条件で足りないものを補い合っている。偽りなく世界が一つになりつつあった。
以前ならこんなのは馬鹿げている、あり得ないと誰もが思ったはずで、平和だとはいえ警察などが廃業になるようなことはなかった。そもそも法律に犯罪に関する記述がなくなったり、司法事態が機能しなくなることなどない。国同士に関しても無条件の援助などあり得ない。
だが、今となってはそれらをおかしいと思う人は世界のどこにもいない。むしろこのような状況を生み出したのは国のトップによる独断ではなく民意である。
そしてそれは力也も例外ではなかった。力也はサティーの話を何一つ覚えていなかった。
「あの黒い球めちゃくちゃデカくなったなぁ」
この日も普通に学校のある力也は授業中、窓の外を見てボソッと呟く。出現時はサッカーボールほどの大きさだったが、今では球体展望室『はちまた』よりもふたまわりほど大きくなっていた。それが上空に浮いているのは明らかに違和感しかないはずだが、もちろんこれにも大きいなと思うだけでそれ以外には特に何も思わないのであった。
誰もがこの異常を異常として認識することなく、幸せに生きている。
しかし時は満ちた。
時計の二つの針が十二の所で重なった瞬間、上空に浮かぶ黒い球体は破裂し世界は暗闇で支配された。
最も平和で、異常な二ヶ月間は突然終わりを迎えた。
そして新たな世界の始まりが訪れた。
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